成田良悟作品

□赤×黄
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昼食を購入するのに立ち寄ったコンビニで発見。一番目立つところにどすんと威厳さえ醸したたたずまいで立て掛けられたそれ。女装した弟が表紙の雑誌にどこと無く複雑な思いを抱きながらも静雄は他の客と同じようにパラパラ中身を拝見してしまったりする。なんだこの敗北感、幽め。
羽島幽平という名を芸名として名乗っているこの男は今秋公開予定の映画で主役を射止めたのだ。我が弟ながら美少女と美女の中間地点と表現できそうな女ぶりである。長い黒髪に彩られ柔らかそうに見える頬に微笑まれると、静雄ですらも全くの赤の他人であれば本当は男なのだとわかっていても、思わず目を奪われていたかもしれない。
その自分とは全く違う造形は俳優をするのに相応しく、それ以外の職業につけば周りは「勿体ない」という感情しかきっと持ちえないだろう。しかしあるかないかの僅かな劣等感よりずっと強く、そんな野郎と血が繋がっていることが喜ばしくあり。
という自分は終わってるのだろうか。考えがどこか他力本願めいててなんだか情けなくなりながら雑誌を元に戻す。戻した雑誌を、すかさず掴む誰かの手があった。
幽も人気者だなと思い、あー今日何食おうかなあと雑誌コーナーを離れようとする。「美人じゃのう」。どうやら先程自分が戻した雑誌をとった客のものらしいその声が表紙の幽に向いていることがわかり兄としてちょっと嬉しくなりながら、背を向ける。
「なあ、そうは思わんかね」
くいっと。
歩みを遮る軽いつんのめりでああ俺今服を掴まれたのかとようやくわかり、でなんで掴まれたんだと振り返ったら弟の映る雑誌を持った――老人、外国人らしき赤毛の老人がバーテン服のベストをちょこんと摘んでいた。
誰。
全く静雄に心当たりの無いその老人は、人懐っこい笑顔でサンタクロースのような顎髭を撫でながら、春の日だまりのような声でほほほと笑った。いやだから本当にどなた。
「儂の孫もこんな感じの美人じゃよ。まあ男なんじゃが、妻によく似ていてのう」
「・・・・・・、はあ」
「そういえば最近会ってないのー。元気かのー」
はああ、と一転、悲しそうな声音で嘆いて涙を拭う所作をする老人。不審者。判別がつきにくいがざっと見てみる限り、六十代くらいだろうか。目を隠し正確な歳をわかりづらくしているふさふさ、というよりどこかもさもさとした艶のある赤い髪に赤い顎髭。手の平、白人特有の白い肌にはシワが刻まれている。着ているものはラフなセーターだが、ワインレッドがその茫洋とした雰囲気に不思議とよく似合っていた。
東京観光に来た外国人。おそらく静雄のくだした判断に間違いはないだろうが、それにしても流暢な日本語である。ちなみに、静雄の辞書には第二外国語という言葉は勿論、第一外国語という言葉も載ってはいない。
「えー、と。じーさん、ツアー客か何かか?」
「ツアー?」
「迷子なら俺を掴むより警察行った方が早いぜ。交番くらいまでなら案内してやるから」
「ほー? ふん、まあ、それならば頼もうかのう」
この人の多さだ、きっと観光の途中に連れとはぐれ、道でも聞こうとしたのかコンビニに寄ってみたのだろうと検討をつける。いけふくろうはもう見たかと聞くと、行けフクロウ?と首を傾げられた。
けったいなじーさんというものは世界中でどこにでもいるのだなあと思えば腹も立たない。失礼という概念もきっと遠い昔にどこかへ置いてきたんだろうなあ、と静雄は自分こそ失礼なことを考えつつ納得していた。そもそも、ここまで明朗に馴れ馴れしく接されるとかえって気を遣わないというものだ。クルリやマイルといった顔をなんとはなしに思い浮かべ、静雄は宣言通り老人を交番まで送っていってやることにした。静雄が知っている交番まではこのコンビニからせいぜい徒歩10分といったところにあるので、仕事の昼休み中に難無く済ますことのできる案内である。先導をきって歩くと、ベストから指を離した老人がすたすたとついて来た。
「親切じゃのー。お前さん、名前聞いてもいいかの?」
「平和島静雄」
「英語で言うと?」
「・・・・・・え。あぁー、っと・・・ピース・・・アイランド・・・・・・サイレント・・・マン?」
「・・・・・・、シズオ・ヘイワジマじゃないかの」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「シズオはバーテンダーなのかい?」
「いや、これは弟からのプレゼントで・・・」
「ほおー弟もおるのか。顔は似てるかい?」
さっきあんたも見てたよ、と笑ってしまう。女装していたから、西洋人には女にしか見えなかったかもしれないが。あれで昔から立派な弟である。
言うと、老人は髪に覆われこちらからは見えにくい素顔を、それでも驚きに染めたようで「雑誌の表紙を飾るとは、シズオの弟は有名人なんじゃのー」と感嘆してくれた。すごいのーとまで言われると、俺でなく弟がすごいのだと言いたくなるのだが。
「そっちこそ名前は。せっかくなんだし教えてくれよ」
「3つほどあるが、どれがいいかのー」
「なんだそりゃ」
変なじーさんだなと笑え、言いたくなきゃ言わなくていい、と穏やかに返すことができた。これが別の人間ならば人に名乗らせといててめえはこたえねえってかー!とまた激怒してしまうきっかけになったのだろうが、その老人の持つ不思議な空気に毒気を抜かれたようで、全くそういったものは感じなかった。交番につくまでの付き合いだという意識も静雄を寛容にしたのかもしれない。あと5分程でつく。
「なら、歳は?」
「どうじゃったかのー。九十は越えたような気がするのう」
「きゅっ」
九十!?と静雄は叫びそうになって慌てて飲み込んだ。どうしてこんなことで注目を浴びねばならない。心を落ち着かせ、改めて老人を見た。髪や髭のせいでなんとなく六十くらいという判断をしていたが、かくしゃくとした口調といい機敏な足運びといい、ちょっとその判断に年取らせ過ぎたかなあと反省しかけていた静雄だ。ひょっとすると五十いってねえのかも、と思いかけていたのに。改めてまじまじと見ても、いやどう見ても九十とは思えない。
「げ、元気だな・・・」
「男はいくつになっても女を喜ばすのが義務なんじゃよー」
さりげなく下ネタともとれる言い方をし、ほっほっほっと笑う老人。九十だなんてとてもとても。100歳以上の老人がこの国では1万人をこしたというが、30年も生きていない静雄にとってみればそれでも十分別世界だ。90歳の自分なんて、まるで想像もつかない。
「妻とは若い時に列車で知り合ってのー。当時は儂は車掌をしとったんだが、金の瞳に黒い髪、それにドレスを身に纏った彼女がとても美人で、つい目を奪われてしもうて・・・色々あって想いが通じ一緒になったんじゃが、いやはや懐かしいのう」
「のろけんなってじーさん、ひとりもんに対する嫌がらせかよ」
「ほっほー。いい恋しろよ青少年」
年長者の余裕といったおおらかな微笑み。毒気が抜かれる、本当に。まるで人間デトックスだ。自然に、静雄も穏やかに微笑み返していた。

が、それは十人程の青年達の、悪意のこもった笑みでとり囲まれてすぐに消えた。

「よお、平和島君」
静雄と老人を中心に輪になった青年達。進路も退路も断たれる形になった。うんざり。静雄は全身から徒労感が襲ってくるのがわかった。
日常茶飯事というのは、もっと幸せなものであってもいいだろうに。
「なんだてめえら?」
その中の一人が答える。彼はギプスを嵌めていた。よく見るとその十人近くの青年達は往々にして何かしらの暴力の武器を持つと同時に、その身体のどこかしらに怪我の治療痕があった。
「覚えてるー? 僕達3日前に君にやられちゃったんだー」
「覚えてねえ」
「そんなこと言わずにさー。・・・リベンジさせてよ」
――どうしてたった10分の人助けの間くらい、放っておいてくれないのだろう。
悲しくなりながら、せめてさっさと済まそうと標識を抜く気にもなれずに素手で応戦することにした。無くなった器物を補完するのは税金だ。それに老人を交番に送り届けた後も仕事がある。手早い処置が好ましい。とりあえず目についた3人を動けなくする。上がる場違いな歓声。
「強いのうシズオ。儂が今まで見てきた男の中で4番目くらいかのー。かっこいいわーい」
褒められているようだが間抜け極まりない掛け声に力が抜ける。ありがとうよ、と老人を振り返ったその隙を突かれ、数人に羽交い締めにされる。
「なっ」
「お前もジジイを盾に取られたら抵抗できねーだろ!?」
どうやら破れかぶれになった青年達は一致団結して人質をとるという極めて有効な手段を選んだらしいが、冗談ではない。納得はいっていなかったがこれは自分の喧嘩ではなかったのか。部外者を巻き込むような話ではない。
「ッおいこらジジイにまで手ェ出してんじゃねえよ!」
老人に駆け付けようとして纏わり付く人間の多さに叶わない。殴りつけても中々引き剥がせず、ようやく目的を果たせた時にはもう今更駆け寄った所で間に合わない間合いに男はいた。若く見えるといえど老人は90歳だ。無駄だとわかっていながら、それでも叫ばずにはいられなかった。「じーさん、逃げ――」
ふわり、と髪が舞い上がった。つくりものみたいにシワだらけだった手と全く違った質感の頬が、そして血のように赤い髪の毛の中から、怜悧な瞳が覗いていた。同時にニ、と弧を描いた口から、白く頑丈そうな犬歯が露出。笑みだ。それがわかって静雄は、ぞっとした。
人間というより。
まるで化物のような。
一瞬の出来事だった。

「お前は俺の見てきた男の中で4番目くらいに強いぜシズオ。まあ1番は、――俺だがな」

力に満ちた若く雄々しい、男のその声。
えっ、と静雄が瞬きをしたら老人は何事もなかったかのように髪と髭をもさもさと揺らし、「ほっほー」と笑っていた。鮮やかな一本背負いで男をのしたのだ、ということを受け身もとれず地面に張り付く男を見てわかった。
「ジュードーをやっていてよかったよかった。それとありがとのう静雄、おかげで助かったわい」
「え?」
「ここじゃろ? 交番」
老人が指した白い正方形の建物は紛れも無く二人が目指していた目的地であり、静雄は狐につままれたような気持ちになりながらああ、と呟いた。










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