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□裏切りの報酬
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ひんやりとした鉛の、手に平に感じる重みに慣れはじめたのはいつからだっただろうか。
ゆっくりと両腕を上げ愛用のMk.22を目の前の男に構えた。


「バーボン」


ホテルの一室、明かりのついていない暗闇の中、窓から差し込む外套の光だけが、唯一の光。
その光が、バーボンのコードネームを与えられた安室透と名乗る男を照らしだす。
安室透は、片顔だけをこちらに向けると、相変わらず、端正で憎たらしい表情で口角をあげた。


「上司に銃を向けるとはいい度胸ですね」

「そうですね。けれどそれは、貴方が本当に組織の一員であった場合です」

「…ほう」


銃の先をしっかりと奴に向け、標準を眉間に合わせる。彼との距離はおよそ3m。この距離で、獲物を外すことはまずない。


「逃がしませんよ、安室透。いえ、降谷零」



組織でコードネームを持つ者は上層部でもほんの一握り、その中でバーボンという名を与えられた、彼の正体は、降谷零という日本の公安の潜入捜査員だ。


「まさか、君に正体を暴かれるとは思わなかった」


ある時突然組織にやってきたこの男は、あっという間にその実力を買われ、ほとんど歳も変わらないというのに、彼は私の直属の上司であった。


「私のことを侮りすぎていましたね」

「そうみたいですね」

「貴方の情報はこのUSBに全て入っています。紛れもなく貴方が日本警察の公安の人間であるという証拠が」

銃を構える片腕はそのままに、私は懐から一つのUSBを取り出し、彼の前にちらつかせた。
降谷零の目がかすかに細められる。
私に追い詰められる彼の様子に、笑いがこみあげそうだ。
私がこの時をどんなに待ったことか、彼はきっと想像ができないだろう。

今までさんざん下っ端のように(下っ端ではあるが私の方が組織の中では先輩だ)、情報収集やら、根回しやら、寝ずの番やら、あれが食べたいから買って来いだの、僕の代わりにジンの相手をしろだの、好き勝手良いように扱き使われてきた私の恨み妬みが分かってたまるか。
私はこの男を上層部に売って、上層部にのし上がってやるのだ。
そして、ゆくゆくは私がそのバーボンの地位に、


「心の声がダダ漏れですよ」

「……とにかく、裏切り者の貴方には制裁を下させてもらいます」

今まで思い馳せていた降谷零の悔しそうな顔が、今やっと目の前に!
と思ったところで、彼が浮かべた表情は、私が想像していたものとは全く逆だった。

どこに潜入しても行く先々で女性をイチコロにしていたムカつくくらいの紳士スマイルを浮かべてくるのは何故なのか。
嫌な予感しかない、状況的には銃を構えている私の方が優勢だというのに、たじろいてしまう。

「恐らくこの手柄を独り占めしたいだろう君の様子と言葉からして、僕が"ダブルフェイス"であることはまだ、誰にも言っていないと見える」

「…」

「そして、君の携帯がボタン一つでその情報を組織の一員に送れるようななんらかの細工がしているようにも感じられない」

「…」

確かに誰にも言ってはいない、さらにそう言った細工も何もしていない。
彼のいたずらっ子が悪戯を成功させたような憎たらしい笑みがこちらに向けられた。

そのとき私は初めて、こんな一筋縄じゃいかない男に、いろいろと早まったのかもしれないと感じた。

ごくりと生唾を飲み込んだ瞬間、貴重な情報を膨大に組み込まれた小さな機器が急に熱をもち始め、あまりの熱さにそれを床に落とした。

そして、音を立て床に転がったUSBは次にボンッと謎の破裂音を発し、シーンとその場に再び静寂を蘇らせる。

え、なにごと。

「ある一定の距離にある機器類の電子回路をショートさせる周波によって、君のUSBを破壊させてもらいました。きっと携帯電話の方もダメになっているでしょう」

「ッな!」

彼が懐から取り出したのはスイッチが大きく取り付けられた小型機器。
それを先ほどの私のように振り上げている。
咄嗟にポケットから携帯を取り出し、電源ボタンを何回も押すが、一向に起動する気配もなく確かに携帯電話もダメになっていた。

これでは外部との連絡が取れない。

予想していなかった展開に焦燥に駆られていると、油断しきっていた私は、そぐ目の前まで迫っていた安室の姿に気づかなかった。

拳銃を持っていた手が勢いよく叩かれ、鉄が床へと投げつけられる。

「ッう」

「だからいつも言っているでしょう、君は詰めが甘いと、」

任務のたびに再三言われてきた言葉を今言われる。
だから僕に先を越されるんですよ。と紳士スマイルのオプション付きでそう言ってきた彼に、ムカムカが止まらない。

「君に正体がばれたかもしれないということは、想定していました。だからこうやって僕もそれ相応の対策は練らしてもらっていましたし、君の自宅のパソコンにあるバックアップもつい先ほど、消去させてもらいました」

「どうやってッ」

「そこらへんは、僕の本当の部下が動いてくれましたから」

彼は本当にどこまで頭のまわる男なのだろう。
そして、私はとんだ奴を敵に回してしまったと改めて理解する。

「まあ、先ほどの周波で僕の携帯もダメになりましたし、ここにたとえ盗聴器があったとしても、それももう使い物にならないと思いますから、…少しばかりここで、取引をしましょうか」


そういって向けられた、彼の表情はいつも見てきたバーボンの顔で、安室の正体を知ってからそれは演技なのだと思っていたが、案外これも彼の素なのではないか。
この状況で打つ手のない私は、何も反撃できるものがない。
言葉の通り、丸腰である。

いつも実年齢より若く見られるのが嫌だとぼやいていた、彼の丸い瞳が細められ、こちらを射抜く。
まるで蛇に睨まれた蛙のように身動きができない、それはもちろん物理的にではなく。

「…データを破壊された私と、何の交渉ができるっていうんです」

取引も何も、私には彼と対等に渡り合える"武器"を失った。
私に向けられる銃口は一切ぶれることなく今は静寂を守っているが、彼がその人差し指に力をこめれば私の命なんて一瞬にして、消えるのだ。
つまり、私の命と引き換えに、というならば、なにも取引なんてせずに、私を締め上げ脅せばいいだけ。

「ありますよ、十二分に」

そして、黒筒の銃口はゆっくりと下に落とされる。

「何のつもりなんですか」

「いえ、今まで可愛がっていた部下を殺すのは惜しいと思いましてね」

「可愛がっていたも何も、良いように利用していただけでしょう」

「まあ、そうとも言いますが」

否定せんのかい。

「僕としては、さらに君を利用して、この組織を壊滅させたい」

「…で、私との取引というのは」

「素直でいいですね」


彼は窓際にいる私の方へと2,3歩こちらに歩み寄り、その不敵な笑みを光のもとへさらに晒した。
それと同時に、私も2,3歩後ずさるが、トンと背中に窓がぶつかる。
視線を彷徨わせ、逃走経路を確認するが、目の前には頭脳明晰、ドライブテクも一目置かれ、体を使った格闘術もできるという、何をやらせても完璧な上司の姿を見てしまったら、もはや逃げる気もうせてしまうもんである。

もう、逃げ道はない。

「取引を呑んでくれれば、君の身柄は公安が保護しよう、何があっても組織には手出しさせないように」

「その代わりに、私には何をしろと?」

「今まで通り、僕の部下として動いてもらいたい」

…それだけ?
てっきり、上層部の機密を盗んでこいやら、誰の身柄を拘束してこいとか、はたまたどこどこに潜入しろ、とかいろいろ要求されると思ったが、彼の提案は私の覚悟とはズレたものだった。

「もちろん、僕の正体は黙っていてもらいますし、ちょっとばかり僕の都合にも付き合ってもらいます。なに、あまり危険なことはさせませんよ」

彼は、どうですか?と私の返答を促すが
つまり、それはほとんど今までと変わらないスタンスで行くということではないだろうか?

「あぁ、もしこの取引を断る、もしくは裏切った場合は、君がダブルフェイスだという偽の情報と証拠を流し、上層部に売りますんで」

結局、脅しじゃないか!!

「…私にyes以外の答えはないってことですね」

「そのとおり」

きっと私のこれ以上ない悔しい顔を見て、彼は上機嫌に違いない。いつだって、私が嫌な顔をすればするほど、こいつはいい顔で笑うのだ。大変愉快だと言わんばかりに。

「分かりましたよッ!その取引受けて立ちます!」

悔しくて悔しくてたまらない、憤った気持ちを抑えられず、大声で返答してやる。
取引をしたとはいえ、絶対にこの屈辱を晴らしてやる、降谷零!


「では、交渉成立ということで」


その言葉を聞いたとたん、強く引かれる腕。
体制を崩された身体は重力に従って、何故か降谷零の方へと傾き、クイッと顎を上げられ視界に映るのは、見慣れた童顔。
唇にふにゃりと軟らかいものが触れてから。
私はやっとこの状況を理解する。

「ッ!…んっ」

塞がれた唇に、押し込まれる舌は私の思考をヒートショックを起こすのに十分で、

「ぅっ…んんっ、……ぱはぁっ!なにすんのよ!」


侵入しようとするものからどうにか、逃げ切り、目の前にあった胸板を押し返す。



「へぇ、結構ガードは硬いみたいですね」



「い、意味が分かりませんっ」



「言ったじゃないですか、僕の都合に付き合ってもらいますと」




その笑顔は、今まで見た彼のどの笑顔よりも、恐ろしいものだった。








28.8.22.

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