大人向け長編

□流れ流され行き着く先は、
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「市ヶ谷(いちがや)さん、これシュレッダーかけといて」

 言葉とともに上司である美河(みかわ)さんから紙の束を手渡された。清潔感のある短髪はいつでも乱れることなく整い、甘い顔を引きしめるように眼鏡をかけて。いかにも仕事のできそうな外見の彼から片手で差し出されたそれを両手で受けとれば、書類の裏側、人目につかないところで彼の指が私の指をそっとなぞる。

 まるでオフィスでの背徳行為を楽しむかのようだ。実際彼にとって、私の価値はそれなのかもしれない。無難にまとめた服装を好み、失礼に当たらない程度の薄化粧が常の私と彼では、お世辞にも似合いだとは言えないだろう。
 そもそも私に触れていないほうの美河さんの手、その薬指には誓いの指輪が輝いている。もちろん私はそんなものをはめたことはなく。それが視界に入るたび私の胸がきしむ、と思ったら大間違いだ。そんな繊細な精神の持ち主が不倫なんてするわけがない。

『19時にいつものホテルで』

 強調されなくても目に入ってきてしまう、書類に小さく走り書きされた彼の文字。まっさきにその紙をシュレッダーにつっこんで息を吐く。
 言い訳に聞こえるかもしれないけれど、不倫なんてするつもりはなかった。私たちは彼が独身のころから周りに知らせることなく付き合っていた、しかも彼の熱心な口説きに負けた形で。もちろん受け入れてからは私も彼を大切に思っていた。彼のような男性から選ばれたことを喜んでいたし、彼との交際が周りに知られればどんなに驚かれるだろうと、少し慢心してもいた。

 けれど気づいたら彼は上役の娘と婚約していた。
 普通なら問い詰めたり、泣いてすがったりするものなのかもしれない。けれど私たちのあいだで、『結婚』の文字が出たことはなかったから。婚約が正式に発表されたのち彼に呼び出され、別れ話をされるのだろう、そう思っていたのに。彼は食事のあと、当然のように私を抱いた。

『好きだよ』

 彼の声帯はきっと真っ黒に染まっているにちがいない。身体を合わせるたび、奥さんより私のほうがいい、そう囁く彼。
 バリバリと音を立てて機械に吸いこまれていく紙束。重要だった書類が、どんどん細かく、ただの紙片になっていく。こんなふうに彼との日々も粉々にして、すっきりと捨て去ってしまえたら、なんて。

「無理に決まってる」
 
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