ノーマル短編集

□葉月と八重子
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 近所に住んでいた葉月は、女の私から見てもそれはそれはひ弱だった。寝付くまではいかないけれど、いつでも少しばかり顔色が悪くて覇気がない彼。
 子だくさんの中ほどに生まれて、親の手伝いをすることも下の子の面倒をみることも求められない代わりに放任されていた。同じような立場の私はひとくくりにされて、ともに過ごすことが多かった。

「やえちゃん」

 小さくて頼りなさげな外見には似合わない、どこか悟ったような落ち着いた声。それを聞くたび、なぜだかその白い頬をひっぱたきたくなった。なにも私が加虐体質ってわけじゃない。

「はづきなんて女みてーな名前!」

 その証拠に同じ年ごろの男子からはたいてい馬鹿にされ、仲間外れにされていた。それだって葉月はおっくうそうにため息をつくことはあれど、たいして気にしてもいなさそうだった。
 八月生まれだから葉月。すぐ上のお姉さんは弥生ちゃんで、一番上のお兄さんは睦(まこと)くん。生まれ月を忘れないし名づけも楽だとおじさんが笑っていた。これまた同じ発想かららしい、八重子なんて私の名前よりよほど垢ぬけていて、そんなところも腹立たしくて。

 たぶん葉月には私のそういう感情なんてお見通しだったのだろう。それでもそしらぬ顔をして、変わらず私のそばにいた。



 そんな彼が一度だけ、いじめっこ相手に立ちはだかったことがある。
 きっかけはなんだったか、あまりにもどうでもいいことだったので忘れてしまった。とにかく私がガキ大将に目をつけられて。

「おまえ、女のくせになまいきなんだよ」

 そんな台詞は耳にタコができるほど言われていたから、相手が年上でもかまうことなくせせら笑った。

「そうやっておどかさないと気がすまないの? 小さい男だね」
「うるせえ!」

 ガキ大将の手が振りあげられても私は引かなかった。べつに暴力なんて怖くない。相手だって少し身体が大きいだけの子供だ、たかが知れてる。
 でも痛みは襲ってこなかった。かわりに小さくうめく声がして、とっさにつぶってしまった目を開ければ、細い身体がよろよろと倒れかかってくるところで。反射的に受け止めつつも、わけがわからず間の抜けた声が出る。

「あんたなにやってんの」
「止めるのはむりそうだから、せめて盾になろうとおもって」
「だれがそんなことしろって言った」
「言われてもいやだったらしないよ」
「そうじゃなくて、」

 ぼんやりと口を動かす葉月の殴られた頬が、みるみるうちに赤く腫れあがっていく。そのころの葉月と私の背丈は同じくらいだったから、女の顔狙ったのか、なんて怒りすらどうでもよかった。
 私たちの言いあいをあっけにとられて見ていたガキ大将たちも、あまりの話のかみ合わなさに我に返ったようで。

「おい、俺たちをむしすんな!」
「うるさい、引きぎわもわかんないのかい、このトウヘンボク!」

 葉月に対する苛立ちもこめて啖呵を切ったら、私の剣幕に恐れをなしたのか、ガキ大将たちは捨て台詞を吐きながら去っていった。私たちも頬を冷やすために、まだふらついている彼の手を引いて帰路につく。

「とにかく、あんたが女をかばおうなんざ百年はやい。こんどあんなまねしたら承知しないよ」
「じゃあやえちゃんももう無鉄砲なことしないでよ」

 あんたのほうがよっぽどなまいきだ。そんな言葉は腫れあがった頬に免じて飲みこんでやった。かわりに手に力をこめれば「痛い」と弱々しい悲鳴を上げる、そのことになぜか安心した。
 べつにはっきりと約束を交わしたわけじゃないけど。それからケンカを売られるたびに、なんとなく葉月の腫れた頬が思い浮かぶようになって。彼も痛みが効いたのか、こじれるまえにいさめてくるようになった。

 意外に頑固なもやしと、可愛げを腹のなかに置いてきたじゃじゃ馬。そんな私たちのよもやま話。
 
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