記念文

□3周年記念、『囚われ』の3人を酔わせてみようの巻
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『記念日だから空けといてくださいね!』

 吉木がそう言いだしたのは一週間ほど前だったか。何の記念なのか、橘には心当たりがないし、吉木から知らされてもいない。空けておけも何も、声をかけられた橘と茜、ついでに吉木のスケジュールを管理しているのは今井だ。しかも以前のゴタゴタがあってから、その連絡役も吉木に任せてしまっている。
 予定が入るとすれば女関係だが、それも最近では完全に仕事の延長上になっており、わざわざ休みに出向く気も起こらない。仕事以外に用事がないのは茜も同じらしく、つまらなそうにソファに寝そべったままだ。そんな姿が見慣れたものになっていることへの危機感も薄れつつある。

「茜」
「なに」

 出ていく気はないのか。以前は定期的に告げていたそれを口に出すのがためらわれた。合鍵を渡してしまった時点で、橘からその権利が失われている気もする。
 声をかけたきり黙りこんだ橘を茜が怪訝そうに見やってくる、そこに鳴り響く呼び鈴の音。あいかわらず鳴らされ続けるそれを止めるために玄関に赴けば、吉木がスーツ姿で満面の笑みを浮かべていた。うさんくさいことこの上ない。

「あれ、まだ準備してないんですか」
「準備?」
「記念日だって言ったじゃないですか。茜ちゃんも紅一点なんだからおめかししてよ」

 躊躇なくひとの家に上がりこみ、ソファの上の茜をも急かしだす。普段ならそこで口論が勃発するところだが、茜も暇を持て余しすぎていたのだろう、吉木に舌打ちを返しつつクローゼットに消えた。橘にも拒否する理由はない。大人しく部屋着からスーツへ着替えながら、何やら楽しげな吉木に声をかける。

「何の記念なんだ」
「あー、橘さんて記念日とか忘れて怒られそうなタイプですよねー」

 心外だ。これでも前の仕事のときにはすべて把握し、女たちを喜ばせていた。しかしそれを口に出せば、また難癖をつけられるのだろう。吉木の口ぶりからすれば、ここに集まった3人、もっと言えば橘と茜に関する記念日である可能性が高い。とすれば完全にノーマークだし、そもそも記念するような間柄になった覚えがない。
 けれど橘とともに巻き込まれているはずの茜が、口に出さないだけで何のために集まったのか把握していた場合。橘だけが認識できていない状況は分が悪い。念のため探りを入れておくか、と思ったところで茜が戻ってきた。正式に同居を始めた際に正装も持ち込んでいるはずだが、いつものパンツスーツ姿だ。

「あれ、おめかしは?」
「このメンツで着飾る必要性感じない」

 不満の声をあげる吉木を茜があっさりと切り捨てる。もっともな意見に苦笑が漏れそうになり、茜の機嫌を損ねるまえに噛み殺した。しかし吉木はまだ不服らしい。どうでもいいが、なぜこいつはこんなにも気合いが入ってるんだ?

「えー? 俺はともかく橘さんも一緒だよ?」
「ついさっきまでお互い部屋着だったのに?」
「あー。じゃあ行きましょっか」

 ようやく諦めたらしい吉木が、どこか憐憫が感じ取れる視線を橘に送ってくる。意味はわからないがなぜか灸をすえてやらねばならないような衝動に駆られた。しかしそれを実行するまえに吉木の運転する車に茜もろとも押しこめられて。行き先も告げぬまま走っていく車内で、橘は今さら何が始まるのか聞き出すのも諦めた。
 あの一件以来、多少は周りの存在を意識するようになったものの。元来橘には興味を持つという概念が薄い。それでも以前ならばしつこく問い詰めていただろうところを投げ出すあたり、この2人に気を許している証拠なのだとしたら。これは進化なのか、退化なのか。
 
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