大人向け長編
□流れ流され行き着く先は、
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美河さんとの果実はようやく、岸にたどり着いた。そこにはもう熱や痛みはなくて、ただ穏やかな懐かしさだけが包みこんでいる。そんな情景が思い浮かんで、現金なものだと笑いそうになった。
けれどこうしてすぐに過去にできるのが私の、『そんな』女の強みなのかもしれない。
「ついに別れたんだ?」
目の前でドアが開いて視線を合わせたとたん、家主に尋ねられた。さすがに驚いたけれど、とりあえず中に入れて、と視線でうながせば、丹羽さんはすんなりと迎え入れてくれて。
玄関でパンプスを脱ぎながら、彼の言葉を反すうする。ついに、なのか。真っ当ではない関係である以上、いつかはそうならざるを得なかったわけだけれど。
「その情報はどこから?」
「あ、否定しないってことはほんとなわけ? ちょっとビックリ」
ゆるく腕を組んで私の様子を眺めている丹羽さんが、さして驚いたようでもなく声を上げた。確証があったわけではなく、鎌をかけただけのようで。美河さんが丹羽さんにわざわざ告げるはずがないのだから、当然と言えば当然か。
事実を確認して、ただの『そんな』女になった私から興味が失せたなら。いまのうちに帰るべきだろうか、と丹羽さんの様子をうかがう。さすがに入りこんでから追い出されたくはない。
「よかったね」
「え?」
言葉どおりの温度で笑いかけられて戸惑う。まさかそんな反応をされるとは思わなかった。不倫なんて関係を解消したのだから、喜ばしいことには違いないけれど。私の疑問を感じ取ったらしい丹羽さんが、笑顔のまま言葉を続ける。
「だってまかり間違ってあの人と結婚したら、『みかわみか』じゃん。しかも美しいが二つ付いてるとか、どんだけ主張したいんだって感じじゃん」
声に含まれる笑いを隠す気はなさそうだ。長い間付き合っていたのだからもちろん、その間抜けな可能性に気づかなかったわけじゃない。本人にとっては笑いごとじゃなかったけれど。だから美河さんが婚約したとき、初めから縁がなかったのだと、そう思って。
懐かしさだけではない感情が胸を満たす。ごまかすように脱いだ靴をそろえてから丹羽さんのほうへ向きなおれば、彼は何とも言えない表情を浮かべていた。
「……泣くなよ」
「え?」
心外なことを言われて、先ほどと同じ音がまた声帯を震わせる。何だか馬鹿みたい、そう思って笑ったら丹羽さんがため息を吐いた。
「それ反則だから」
三度目を呟く前に、私のほうへと丹羽さんの腕が伸ばされて、抱き寄せられて。
「泣きながら笑うとか、あんたどんだけめんどくさいんだよ」
そっけない言葉なのに、抱きしめられた体温のせいか温かみを感じた。美河さんとの関係は私の中ではとうに区切りがついたこと、そう思っていたのに。ぼやけていく視界でようやく胸の痛みを自覚して。自覚したら止まらなくなった。
こうして泣く権利すら私にはないと思っていた。それだけのことをしていると常に言い聞かせていたし、美河さんの肌に触れるたびに罪悪感はつきまとった。それでも美河さんに変わらず求められ続けることは嬉しかった。たしかに私は、嬉しかったのだ。