大人向け長編
□流れ流され行き着く先は、
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気づけばしばらく美河さんとしていなかった。もしかしてこのままフェードアウトするのかもしれない。そう思ったのが間違いだったようで。
「っ……痛、」
美河さんによって壁に押しつけられて、大して痛くもないのに驚きで声が出た。これはあれか、壁ドンというやつか。流行に乗る趣味はないから一刻も早く抜け出したい。何よりまずいのはここが職場だということだ。人気はないようだけれど、ありえない。
こちらをにらむように見つめてくる美河さんが何を思っているのか、私には理解しがたい。私の周りにほかの男がうろついていようと、彼が危ない橋を渡る理由にはならないはず。私はすでに彼の正式な所有物ではないのだから、いまさら独占欲なんてものを発揮されても困る。
「離してください」
「何だよ、その他人行儀。腹立つな」
「職場ですから」
私の常識にまみれた言葉を鼻で笑う。そういうところはずっと嫌い。言いたくて言っているわけじゃないと、どうして汲みとってくれないのか……なんて自己中もいいところだ。そもそも私が彼の理解を放棄している。
こんなに近づいていても、私と彼はわかり合えない。もし彼が婚約なんてせず私を選び続けてくれていたとしても、きっとそれは変わらなかったのだろう。こんな感傷的な思考もいまさらだ。
「なら、19時にいつものところ。……逃げるなよ」
念を押してから、美河さんはようやく私を解放した。我に返ったように辺りを見回してから踵を返した彼だって、リスクは避けたいに決まっている。そんな彼が職場でここまでのことをしてくるのは、やっぱり丹羽さんがうろちょろしているせい、か。
いっそのこと、不倫が丹羽さんにばれたことを美河さんに告げればいい。そうすれば男二人で話をつけるだろう。もしくはすぐに美河さんが私との関係を断とうとするかもしれない。
そこまでわかっていて何も言わない私はきっと。丹羽さんの言うとおり、誰も選べないし、選ばない。
「っは、んん――……っ」
「何で、こんなの付けられてんだよっ」
丹羽さんは本当に、私たちをからかって楽しんでいるらしい。まさか私が気づかない、服を着ていては見えないところにキスマークを付けるなんて。おかげで美河さんがさらに面倒なことになっている。
そもそも今日は最初からおかしかった。待ち構えていたようにホテルの部屋の中に引きずりこんで、ドアに押しつけて唇を塞ぐ、なんて。こんなに余裕のない彼は初めてだ。
そんな彼の視界に入った、丹羽さんが付けた跡。完全に頭に血がのぼってしまったらしい。
「も、……やめて……っ」
哀願するような声が出てしまうほど、虐げられている身体がつらい。快感なんてどこかに飛んでいる、ただ身体が熱くて、苦しい。
暴力的な流れに飲みこまれてようやく、いままでの彼は多少なりとも私を気遣い、愛してくれていたのかもしれないと感じた。それを素直に受け止めず、心を閉ざしたのは私で。自業自得だ、と脳みそのどこかで思う。それとは違う場所で、どうして、とも思う。
選べないのに関係を続ける私が異常なのはわかっている、でもそれは彼も同じこと。むしろ彼は、別の人を選んだはずなのに私を離そうとしなかった。選ばなかったほうは結局その程度の存在なんでしょう? それなのに私は一生、美河さんだけを受け入れなきゃいけないの?
「……美佳、っ」
美河さんが私の名前を呼びながら果てた。ようやく終わった、それしか思わなかった。安堵と疲労で思考が霞んでくる。ぼやけた視界で美河さんが何か言っているのを把握するのに、水の中にいるみたいに音が遮断されて。そして私は気を失った。