大人向け長編

□流れ流され行き着く先は、
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「なぁ、今日泊まるだろ?」

 デスクワークをしていたら、言葉とともにいきなり後ろから抱きつかれた。私にこんなことをしてくるなんて例の遊び人、丹羽さんしかいないから、無視して画面を見続ける。
 驚かないと言えば嘘になるけれど、こうしてちょっかいをかけられるのはこれが初めてではないので正直慣れてきた。丹羽さんの噂が噂だから、きまぐれに私が標的になっているだけだと周りに認識されているようなのがせめてもの救いか。実際にはあれから何度か抱かれているのだけど。ていうか仕事しろ。

「勤務中だよ。いいかげんにしてくれないか」

 私の代わりに美河さんが反応する。上司として注意しているつもりなんだろうけれど、そこから変な噂が立たないとも限らないんだから、呆れたふりでもして放っておいてほしい。最近の美河さんはどうやら、丹羽さんを意識しすぎて周りが見えなくなってきているようで。そんな態度がさらに丹羽さんを面白がらせているという悪循環。

「俺は休憩中です。嫉妬ですか?」
「職場の風紀が乱れるのを見すごせないだけだ」
「へぇ」

 あまりにもきっぱりと放たれた言葉に、丹羽さんが含みのある笑みを浮かべる。たしかに美河さんが言えることじゃない。不倫に気づかれていることを知らないはずの美河さんは、それでも不快に感じたのだろう、こちらに矛先を向けてきた。

「市ヶ谷さんも抵抗しなきゃダメだよ」
「すみません」

 そして原因は私の、来るもの拒まずで流されるだけ流れていく性格にもあると自覚しているので素直に謝っておく。自意識過剰かもしれないけれど、周りの視線が痛い。いまはまだ、丹羽さんが目くらましになってくれているからいいけれど。もし美河さんとのことが露見してしまったら、そう思うだけでこの場から逃げ出したくなる。
 私の取り得なんて真面目な勤務態度くらいで、いままでオフィスで人目を引くことはなかったのに。だからこそ流れに身を任せたままでもやっていけたのに。大事になる前に何とかしなければ、そう思うとため息がこぼれ出た。

「迷惑なんだけど」
「え、何が?」
「もう私に関わらないでくれない?」
「じゃあ何で来たの?」

 玄関で靴も脱がずに告げれば、丹羽さんが苦笑した。たしかに彼の部屋まで来ていながら言うことではないし、勤務中に彼が口にしたとおり、こうして泊まりに来てしまっているのだからさらに始末が悪い。
 結局私は、そう言うべきだという世間体からそうしているにすぎない。世間に後ろ指差されるようなことをしているくせに、保身のために危険因子である彼を遠ざけようとしている。だから何も言い返せず、伸びてきた丹羽さんの腕に大人しく絡め取られるしかなかった。

「俺より不倫相手を選ぶの?」

 まだ熱を持つベッドの上で、丹羽さんが囁く。質問の意味がわからなかった。不毛な関係が終わらないのが私のせいだとしても、きっかけはいつだって彼らからだし、主導権も彼らが握っているのに。彼の口ぶりでは、まるで私がすべてを支配しているみたいだ。
 仮に自分の思うがままだったとしたら、私はどうするだろうか。それはきっと丹羽さんにつつかれて考え始めた、いまだに出ない答えと等しくて。けれど少なくとも。

「元から、あなたは選択肢に入ってないけど」

 美河さんと丹羽さん、二人を同一線上に置くほど常識外れではない。既婚者と未婚者だし、私との関係の長さも違う。そもそも自分を脅して関係を持つような相手を選びとろうとするわけがない。
 そんなことを言ったら不倫相手に対して選択肢があるわけもないけれど。それをいま口に出したところでむなしいだけ。

「あぁそっか、そもそも誰も選ぶ気はないんだ?」

 まるですべてを悟ったかのような彼の口調を不快に感じても、やはり何と言い返せばいいのかわからない。こちらに伸びてくる手も、振り払えない。そんな私がどう映ったのか、彼の唇が綺麗にカーブを描いた。

「なら黙って流されてろよ」
 
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