大人向け長編

□流れ流され行き着く先は、
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 腕を引かれるままコピー機の前から移動して、よりによって美河さんの机の上に座らされる。悪趣味だ。ほとんど抵抗しない私もどうかと思う。私の前に立つ丹羽さんは綺麗に口角をあげていて、この状況を楽しんでいることを隠そうともしない。

「自分で脱いで?」
「いやです」
「あ、そう。でも逃げないんだね」

 こちらを揶揄するような言葉に思わず笑いそうになった、逃げる必要性がないから動かないだけなのに。私は不倫相手に操をささげているつもりはないし、目の前の男は、お断りしたくなるような外見ではない。オフィスでの背徳感なんていまさらだ。
 先ほどの緊張はどこへやら、丹羽さんのスタンスを把握したとたん、私は自分でも驚くほど落ち着いていて。そしてこの状況を傍観していた。

「逃げたらどうなるんですか?」
「……さぁ、どうしようか?」

 考えてないのか、つまらない。丹羽さんは勿体つけるように笑ってみせたけど、あいにく私はそういうごまかしに慣れてしまっている。
 もっとも、不倫をネタに私と上司を強請るとかだったらさらに興ざめだけれど。せっかくなら、もっとどん底につき落とすようなことをしてほしい。すでに落ちるところまで落ちているような気がしなくもないことは置いておいて。

「もっと怯えてよ。好きでもない男に犯されようとしてるんだよ?」
「すみません」
「やる気でねーな」
「たたないんですか?」
「……誰に言ってんの?」

 彼も自分の噂については自覚があるらしい。合図のように首筋に歯を立てられて、私は小さな吐息を漏らした。



 欲望に晒されていると、枝にぶら下がった果実の気分になる。あまり人気はないけれど、一部の食い意地のはった鳥に興味本位でついばまれるような。すぐ下には川が流れていて、落ちればどこまでも流されてしまう。美河さんとのものは予想もつかなかった流れに捕まり、ずいぶん遠くまで流されてしまった。
 そしてまたひとつ、食い荒らされて流れに飲みこまれていく。それを自分のことなのにぼんやり眺めているような、そんな心もち。

「何つーかさ、そんなだからほかの女にかっさらわれちゃったんじゃないの?」

 手早く服の乱れを直す私を横目に、だらしなく前を緩めたままの丹羽さんが言う。自分でもそう思うので、何も言い返さなかった。こういう態度が『そんな』なのだろうともわかっているけれど。
 それよりも、美河さんと私が先に付き合っていたことを知っている人がいたのか、と地味に驚いた。もちろん、知らせずにいただけで交際を隠していたつもりはなかったのだけれど。いや、美河さんは意図的に隠していたのかもしれない。だとしても責められない、だって私は『そんな』だから。

「で、そんなだから男にもいいように利用されちゃうんだよ」
「利用?」
「何でそこ疑問形?」
「私を抱いて、彼にメリットなんてないでしょう?」

 あるのはリスクだけだ。ほかにばれたとき、私が妊娠したとき。回避できると思っているのか、単に考えてすらいないのか。もしくは私が黙ってすべての責任を背負い、姿を消すと思っているのか。
 そもそも私のような十人並みを相手にする気がしれない。オフィス内で楽しみたいのだとしても、美河さんだけでなく目の前の丹羽さんだって、ほかにいくらでもいるだろうに。たしかに目立たなさには自信があるけれど、それも絶対ではない。現にこうしてばれてしまっているのだから。

「……あんた、どんだけ惚れてんの」
「え?」
「相手にメリットがないように、あんたにもメリットないじゃん。それがわかってるのに、それでも抱かれてるのはそういうことだろ」

 少しあきれたように告げられた彼の言葉を反すうしてみる。客観的に見れば、たしかにそういうことなのかもしれない。でもそれなら私は彼を拒まないどころか、自分の意志で彼との関係を続けていることになる。
 流され続けて遠くまで来たつもりだったけれど、実は何度も岸に流れ着く機会をふいにしてきただけだとしたら。自分の罪を、つきつけられた気がした。
 
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