ノーマル短編集

□ベタ×ベタ恋愛
14ページ/21ページ


患者×医者

「ちい先生」
「あれ、千鶴子さん。こんにちは、今日はどうしたんですか?」
「あのねぇ、ちょっとねぇ」
「あ、どうぞ、座って座って」

 ドアのところに佇んだまま、まごまごと話し出そうとする御年76歳の千鶴子さんを診察室の中に手招く。患者さんのためのふかふかソファにちょこんと腰かける姿は可愛らしい。担当医である小(ちい)先生こと私はカルテを開……かずに、いそいそとお茶とお菓子の用意をして、腰を据えて話を聞く準備を整える。そもそもこの部屋の中に医療器具はない。

「――だからねぇ、何もあそこまで怒る事ないと思うの、ひどい嫁だと思わない?」
「そうかぁ、それは大変ですねぇ」

 肯定するとのちのち角が立ってしまうので、同調しつつもゆるりとやり過ごす。ちなみにそのお嫁さんも私のお得意様だったりして。

 祖父が開業して家族や親族で経営している小さな病院の一室を使って、カウンセリングという名のお悩み相談室を始めて半年あまり。自分で言ってはなんだけど、割と需要があるようで。まぁ、タダだしね。
 でも話をしに来るついでに些細な不調でも診察を受けてくれるから、結果的に貢献してるって事で家族にも容認されている。

「今日も聞いてくれてありがとうねぇ。また来るからね」
「はい、お待ちしてます」

 今日は特に体調が優れないところはなく、愚痴をこぼしに来ただけらしい。途中に他の来訪もなくて、同じ話を二、三度くり返してようやく千鶴子さんは腰を上げた。
 気軽に訪れられるようにと、病院の出入り口とは別に、私の診察室には外から直接入る事が出来るドアがある。ニコニコと可愛らしくお辞儀をしてくれる千鶴子さんに、笑顔で手を振ってお見送りした。

 人の話を聞くことは好きだし、笑顔で帰っていくのを見ればやっぱり嬉しいものだ。もしかしたらこれが私の天職なのかもしれないと、最近時々思えるようになった、けれど。

「ちーセンセ……」
「……はーい、って、わ! 大丈夫!?」

 1人になって思考の海に沈みこもうとした私の耳に、か細い声が聞こえてきて。我に返って声のした方に視線を向ければ、明らかに血の気が失せた男性が壁に寄りかかるようにして立っていた。慌てて近づけば、彼はほう、と安堵したかのようなため息をついて。

「話、長い……」
「あ、ずっと待ってたの? ごめんごめん、声かけてくれればよかったのに」

 どうやら女子トークに割り込むのを遠慮して、外で待っていたらしい。女同士の話は気が遠くなるほどに長いという事を、まだ学習していなかったようだ。
 彼も私のお得意様の1人だ。いや、お得意様という言い方では生ぬるいかもしれない。何しろ、彼はここに来る以外は外出しないのだから。

「歩ける? おうちの人呼ぼうか?」
「嫌だ……」

 私の提案に彼は顔をしかめて、大丈夫だと主張するように歩き始める。思いっきりふらついてるけど。いつもの事なので引きとめはせず、私よりかなり長身の彼に肩を貸す。ずしりと寄りかかってくる彼に、2人してふらふらしながら診察室へと入った。細身の体をソファにほとんど横たわらせるようにして座らせて、ようやく一息つく。

「大丈夫?」
「うん……死ぬ前にどうしても、ちーセンセの顔が見たかったんだ……」

 物騒な単語が当たり前のように彼の口から飛び出したけれど、これもいつもの事なので動じない。少しうるんだ瞳と物憂げな表情で見上げられるのは、いまだにちょっとドキドキするけど。
 幼い頃は確かに、彼は寝つきやすいたちだったそうだ。でも成長した今、彼の身体がそんなに深刻な事態に陥っていない事は、現医院長である父が太鼓判を押している。

「それはありがとう。けど本当に辛い時は言ってね、私がきみのおうちにお邪魔してもいいんだし」
「だめ」

 彼が珍しくはっきりと首を振る。なぜか彼は、私が彼の家に訪問する事を認めない。まぁ無理しても行きたいわけではないし、そもそも他のお得意様には訪問するなんて言った事もないのだけれど。
 大事ないとはいえ、こんなにふらふらとした歩みで私に会いに来るなんて、いつも申し訳なさを感じてしまう。それなら体力だけは無駄にある私がそちらに行くのが筋なのでは、と。でも実際に行く事になったら、怖気づくに違いない。彼の家は地元で有名な名家だから。うちもそこそこだとは思うけど、格が違う。

「はい、いつもの……」

 倒れそうになりながらも死守していたらしい紙袋を、彼が手渡してくる。中身は彼専属お手伝いさん特製の、絶品チーズケーキだ。たまたまおすそ分けしてもらった時に私が大喜びしたら、たびたび持ってきてくれるようになった。たぶん、いつも坊ちゃんがお世話になってますってところなのだろう。

「ありがとう。一緒に食べる?」

 遠慮なく受け取って尋ねれば、彼はこくりと嬉しそうに頷いた。
 
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ