届く距離に

□ 錦絵物語
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ミチリ

壊れる音。

心が割れる音。

怒りや悲しみを通り越す思い。

慕っていた師の姓を名乗り―

少年はただ、強い者を捜す。


『惡』とは何か――

『正義』とは何か――


喧嘩に明け暮れた日々を見つめ、自分は何を思うだろう。
喧嘩を仕事とし何も得ない日々を見つめ、自分はどう進むのだろう。

満足なんてしていない。
心は今にも爆発しそうなほどで。





押し付けられた『惡』を自ら背負い。
思いを忘れる為に喧嘩をし。
壊し続ける。
壊れ続ける。
大切な人を失った悲しみを。
大切な人を守れなかった怒りを。
自らの拳を血で汚しながら少年は青年へと成長していく。
結果として満足を得られなかった青年は怒りの矛先である男に負けた。


最強の維新志士――人斬り抜刀斎。

現在の名は『緋村剣心』。


完全な負けを体験した青年は、喧嘩屋斬左の名を捨てる。












――時は流れ



牛鍋屋 赤べこ




「錦絵?」


「ええ、今日は絵草紙屋に新しいのが入るんですけど、それって人気絵師のヤツやさかい、すぐ売り切れになってしまうんです」


赤べこで働く女性――妙と後ろに隠れる少女が顔を赤く染めている。


「けどうち、どうしても仕事抜けられへんよって…」


「で、代わりに俺に買いに行って欲しいと」


魚の骨を口に銜えた左之助は妙が次に発そうとした言葉を口にする。


「ええ、お願いできませんか?」


「んなモン、わざわざ俺に頼まなくても弥彦にでも――」


箒を手に持ち、雑用をこなす弥彦に視線を向けると顔を吊り上げた弥彦が「俺だって仕事中だバーロー!!」と怒鳴る。


「ったく、これだからプータローはよーっ!!」


と台詞を残し、ドスドスと重く大きな足取りでその場を後にする弥彦。
弥彦の仕事姿はおろか、弥彦が近くにいたことさえも確認できていなかった左之助は何事もなかったかのように妙のほうへと視線を戻す。


「まあ、いいか。
しょっちゅうおごってもらっている事だしな。
いいぜ、パシリぐれーはしてやるよ」

「今までの全部ツケですよ」

偉そうな台詞を吐き、席を立つ左之助に鋭い突っ込みを入れる妙。


「細かいこたぁ気にすんねぇ」


「どーせ払うアテはねぇ」と意味も無く威張った左之助は頼まれたお遣いの詳細を問う。


「で、何て絵師のどんな絵が欲しいんでェ?」


「月岡津南作『剣客・伊庭八郎』!」


よっぽど欲しい物なのだろう。
妙は先ほどよりも張った声で答えた。


「ホー、幕末一の人気美剣士“隻腕の伊庭八”か。
見かけによらず結構カルイ趣味だねェ」


左之助の言葉にうふふ、と笑みを返す妙。
その後ろにずっと立っていた少女―燕がおどおどしつつ声をかける。

「あ…あの」

「あん?」

「………いえ…何でもないです」


赤く染めた頬を隠すようにトレーを持つ燕。
その姿を見つめた左之助は口を開く。


「言いたい事はハッキリ言った方がいいぜ。
なあ、小さい嬢ちゃん」

「……いえ」

「そうかい」


軽くため息を吐いた左之助はそのまま背を向け、暖簾に腕を通す。


「そんじゃ、月岡津南の伊庭八の絵――二枚でいいんだな」


「!」


驚いたように顔を上げる燕は遠ざかっていく『惡』の一文字を見つめる。


「さすが左之さん。男が違うねェ」

「ホント、これで支払いさえちゃんとしてくれればねェ」


銀次の言葉に苦笑を返す妙。


――…仕事さえなけりゃ俺だって

勝手に繰り広げた男気勝負に負けた弥彦は箒を手に顔を赤く染める。


「そういや左之さん、最近すっげえ美人と歩いてたな」


「撫子ちゃんね」


「あれくらい男気溢れてるとやっぱ連れてる女も違うんだな!」


一通り撫子と左之助の関係についての話を進めた銀次達はそのテンションを継続させたまま話題を変える。


「けどよォ、今の丸くなった左之さんもいいけど以前の左之さんもカッコよかったよな」


「ああ『斬左』!」


「なんか顔は笑っていても本当はいつも満足してねぇって感じで。
まるで爆発寸前の炸裂弾の様で」





「―いつもギラギラしていた」






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