届く距離に
□ 人斬り事件
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昼下がり 神谷道場
長い廊下を一人の男が歩く。
赤く長い髪を一つにまとめ、腰に刀を刺す男は随分と背が小さく小柄だ。
中性的な顔をしており、ほんわかとした雰囲気をかもし出す男。
一見、ただの優男に見えるが左頬にある痛々しい十字傷がなにかを語らせる。
そんな男―緋村剣心は両手に洗濯物を抱え込んでいた。
「朝っぱらから洗濯かよ。大変だな」
剣心が振り向き、視線を少し下にやると神谷活心流を学ぶ少年―明神弥彦が欠伸をしていた。
剣心は弥彦に朝のあいさつを交わすと洗濯物を物干し竿に干し始める。
「雲行きが怪しいでござるからな。今のうちに干してしまわないと洗濯物が乾かないでござる」
「ふぅん」
空を見上げれば確かに雨雲が太陽を覆っていた。
弥彦が起床してから剣心に話しかけるまでは雨雲はほとんどなく、いつもどおりの快晴だと思われていたので弥彦は驚愕する。
―天候も分かるのかよ…
心中で呟いた弥彦は話題を変え、剣心や自分とって喜ばしい事を口にする。
「そういや、さっき恵が来てたぜ。多分そのまま朝飯作ってくれると思う」
「本当でござるか!?」
『恵が朝飯を作る』という事実に激しく食い付いた剣心は嬉しそうな顔をし、洗濯物を干し終えた。
Х
神谷道場の師範代、神谷活心流の使い手である神谷薫。
近所では剣術小町と呼ばれる彼女は緋村剣心、明神弥彦を養うしっかりした女性である。
剣の腕は相当なもので、人付き合いも良く少しやんちゃなところも魅力的とうかがえる完璧少女なのだが―
料理の腕前だけはお世辞にも良いといえるものではない。
薫と反対に先ほど会話に出た女性―高荷恵は背が高く、料理が上手く、美人な女医。
少し前に起きたとある事件で剣心に助けられた彼女は―すっかり剣心の虜になってしまった。
恵は時々神谷道場に遊びに来る。
彼女の目当ては剣心なのだが、薫の料理の下手さを知っているため朝食を作ってくれるときがあるのだ。
Х
朝食が恵の手作りだと察した剣心と弥彦は急いで勝手場の戸を開ける。
―そこには恵と薫の姿。
「あら、剣さん!おはようございます」
「おはよう」
恵に絡まれる剣心を尻目に、弥彦は鍋のふたを持ち上げ、中の味噌汁の味を確認する。
「…薫は作ってねぇみてぇだな…」
「…それどういう意味よ!」
安心する弥彦の頭に拳骨を喰らわせた薫は思い出したかのように呟く。
「もうそろそろ左之助も来る頃ね…」