魔法少女 リリカルなのは StS,EXV
□第四十三話「刀刃の後継」(前編)
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朝五時。まだ、日も上らぬ内の出雲市内を軽快に駆けていく影があった。
神庭シオンである。例の如くタイヤにおもりを乗っけて、アウトフレームと化したイクスを乗せたまま街を走り抜ける。
その速度は全力疾走に近い。彼等の修練にマラソンと言う概念はそもそも無いのだから。一時間も走り、やがて神庭家に戻ると、次は庭先に出る。
そこに用意してあるのは、先端が尖った三角錐の太い針であった。シオンはその周りに剣山を配置していく。
剣山を置き終わると、おもむろに針へと人差し指を置き、ひゅっと、口から鋭い呼気が発っせられたと同時にシオンの身体が上下逆さまに吊り上がる。
針に置いた人差し指を基点に逆立ちしたのだ。よく見れば、人差し指が淡く光っている。その輝きは、まごうこと無き魔力の光であった。止めとばかりにイクスがシオンの爪先に乗る。――シオンの身体が僅かに揺れた。
【……落ちたら死ぬぞ】
「ぐ……っ!」
イクスのぽつりとした呟きにシオンは呻き一つで耐えた。揺れが納まり、安定する。
【このままの状態で一時間だ。いいな?】
「おうっ……!」
答えを返しながら、シオンはただ指先に魔力を集中させる。この修練は、主に魔力制御の為のものであった。
シオンはただでさえ、魔力制御が甘い。タカトやトウヤとは比べられない程にだ。属性変化系魔法である神覇ノ太刀、奥義を精霊の力を借りねば発動出来ないのは偏(ひとえ)にこれに問題があった。
十分程もそのまま逆立ちでいると、シオンの身体から汗が吹き出し始める。下手に動くよりも、持続する事の方が難しい修練。シオンが今行っているのは、まさにそれであった。
ぽたぽたと庭に落ちて行く汗。だが、シオンはどれほど集中しているのか、一切それに構わなかった。視線は、ただただ魔力を放出する人差し指にのみ集中し続ける。
この修練で最も大事なのは、魔力放出の量であった。多過ぎれば魔力はあっと言う間に枯渇、もしくは針が壊れて落下する。少な過ぎれば身体は支えられず、剣山に真っ逆さまと言う仕掛けであった。
つまり魔力放出を適切に一定の量で長時間持続する必要があるのだ。これが非常に難しい。
シオンはそのまま一時間程逆立ちしたままの姿勢を持続し続け、時間を確認するとイクスがフムと頷いた。
【よし、一時間だ……が、まだ持ちそうだな。後三十分追加だ】
「ぐ……っ!」
イクスの台詞に、漸く終わりだと思っていたシオンが追加された時間に呻いた。
終わりだと思っていた所から更に時間を増やされると言うのは、想像以上に堪えるものである。終わりだと安心し、一度落ちた集中力をもう一度振り絞らなければならないからだ。
呻き、ぐらぐら揺れ始めたシオンの身体だが。どうにか、落下を堪える。やがて三十分経つと、漸くイクスがシオンの足から下りた。
【よし。いいぞ、シオン】
「く……っ。ふぅっ!」
−発!−
イクスの声に、漸く終わりだと悟り。シオンが指先で一気に魔力を炸裂させる。すると、シオンの身体が空高くに舞い上がった。剣山を避けて庭に着地する。だが、立っていられ無い程に疲労したか、庭先にばたりと座り込んでしまった。
「っう……。久しぶりにやったけど相変わらずきっついなコレ」
【針も剣山も向こうでは用意出来なかったからな。この修練こそは率先してやりたかったのだが】
淡々とイクスは答え、シオンはそれに顔をしかめた。元々じっとしているような修練は得意では無い。
ただでさえ、魔力制御には自信が無いのだから。まぁ、イクスもそれを考えてこの修練をさせている訳だが。
「さて。どうする? まだ修練やるか?」
【無論――と言いたい所だが、後三十分もすれば朝食だな。続きは後にしよう】
「オーライ」
イクスの返事にシオンは軽く答えて立ち上がり、自室へと向かう。朝食を食べるにしても、まず汗を流しておこうと思ったのだ。汗でべたついた服のままと言うのも気持ち悪い。その為に風呂に行く前に、着替えを取りに行こうとして。
「……ん?」
自室へと歩くシオンが、ふと何かに気付き立ち止まる。部屋へと向かう先に人影を見付けたからだ。その人物は――。
「なのは先生?」
「ふぇっ!?」
呼び掛けてみると、その人物、高町なのはは、飛び上がらんばかりに驚く。慌てて、シオンへと振り返った。
「し、シオン君……! お、おはよ〜〜」
「はぁ。おはようございます。……何してんですか?」
えらく慌てるなのはに、シオンは疑問符を浮かべる。何を、そんなに慌てる事があると言うのか。それに、なのはが今見ていた部屋の襖は――。
「タカ兄ぃの部屋に何か用でも?」
「え、えっと。そう言った訳じゃ無いんだけど……少し、気になって」
なのはにしては珍しくも小声での言葉である。それに、鈍感極まるシオンは?マークを貼付けたまま、今度は部屋へと視線を向けた。
――タカトの部屋。シオンも結構入る事が多かった部屋である。それにはまぁ、ちょっとした理由がある訳だが。
しばし部屋を見てると、シオンはフムと頷き、なのはへと視線を戻した。
「どうせだし、入ります?」
「ふぇ!? で、でも人の部屋に勝手に入るのはあまり……!」
「2年も放ってある部屋ですし、問題無いでしょ。掃除とかで母さんやらが入ってるだろうし。……どうしますか? なのは先生に任せますよ?」
悪戯めいた笑いでの問いに、しばしなのはは宙に視線を巡らせる。あ〜〜やらう〜〜やら唸りに唸り、やがてコクンと頷いた。そんななのはにシオンは苦笑する。
「んじゃ、入りましょう。あまり、驚かないで下さいね」
「え?」
台詞の後半部分に思わず問い返す。それには何も答えず。シオンは襖を開けた――そして、”それ”が現れた。
本。本が、ある。だが、ただ本がある訳では無い。開けられたシオンの異母兄、タカトの部屋を見て、なのはがポカンと口を開いた。シオンは苦笑する。
そして、”本”を見上げた。本の、山を。
タカトの部屋は、まさに本だらけであったのだ。と、言っても無造作に本が置いてある訳では無い。
ちゃんと本棚に綺麗に整頓され、分類ごとに分けられてさえいる。下手な図書館よりも綺麗に整理されているだろう。だが、問題は”量”であった。
何せ、シオンの部屋より広い筈の部屋なのに、遥かに狭く感じる程に本棚が乱立していたのだから。
ここは相変わらずだなぁと、呆れたように笑いながらシオンはタカトの部屋に踏み入った。なのはも続き、周りを見回しながら入って来る。
「タカ兄ぃは、家事の他に一つだけ趣味みたいなものがありまして。それがこれです」
「えっと、本好きって事かな?」
「本人は乱読派とか言ってました」
肩を竦めてシオンはそう、なのはに言う。
世に、彼のような人間を蔵書狂(ピブリオ・マニア)と呼ぶ。タカト自身に自覚は無いが、彼は酷い本の収集家であったのだ。しかも本であるならば基本なんでも楽しめると言う人間でもある。それについて、タカト曰く『本の内容はとにかく、本の種類に貴賎は無い』。そう断言するのだからタチが悪い。
「ちなみに、俺が世話になってたコーナーはそっちです」
「……そ、そうなんだ」
言いながらシオンが指差す方向に目を向けて、なのはは苦笑した。そこにはこれでもかと漫画の単行本が収められていたのだから。シオンの部屋に漫画が無かった理由がここにある。つまり、タカトの部屋に山とあるので置く必要が無かったのだ。
タカトは本当に、本に貴賎をつけなかった。学術書、技術書、民謡、神話、漫画、etc、etc……。
単に節操無しなだけなのか、個人で持つ蔵書量としてはかなりの量がある。何せここに置いてあるものでさえ一部に過ぎない。実は神庭家には地下室があるのだが、そこにはこれに数倍する本の量があったりする。
「……やっぱり驚きました?」
「う、うん。あ。でも、ちょっと納得かも……」
そう言い、なのはが思い出したのは幼なじみであるユーノの事であった。ユーノはタカトの事を友達と言っていたが、それはこういう共通点があったのだろう。
実際タカトはユーノ家に居候中、酒を酌み交わしながらユーノの蔵書について朝まで熱く語り合った事があったりする。
「……よくここで、本をぼけっと読んでましたよ」
シオンは笑いながら、部屋に一つだけ設えてある机と椅子を見る。
家事をしている時と、修練の時、そして仕事の時以外だと、タカトはそこに座り、本を読み耽っていたものである。
……ルシアから、しょっちゅう無理矢理遊びに連れ出されていたようでもあるが。
懐かし気に、そして寂し気に笑うシオンに、なのは少しだけ表情を曇らせた。トウヤの言葉を信じるならば、タカトの真実をシオンは知らない。
『幸せ』と言う感情を喪失ってしまっていると言う真実を。
こんなにタカトの事を想っている、シオンが。
それは何故か。とても悲しい事だと、なのはは思った……理不尽な事だと、そう思った。
だが口にしてしまいそうになるそれを、なのはは必死にしまい込む。今、シオンに知らせるべきじゃない。そう思ったから。
「シオン君は――」
「はい?」
なのはの声に、シオンは振り返る。きょとんと自分を見るシオンに、なのははくすりと笑った。
――タカト君の事が、本当に好きなんだね。
そう言おうとして。でも止める。多分、彼は否定しかしないだろうから。だから、別の言葉を紡いだ。
「――もし、お姉さんがもう一人出来たらどう思うかな?」
「なんですかそれ。ユウオ姉さんの事ですか?」
「違うよ」
「なら、どう言う……?」
「内緒♪」
冗談めかすようにそう言い。唇に、立てた人差し指を当てて、なのははウィンクする。そのままタカトの部屋を出た。
取り残された形となったシオンは暫く唖然とする。
どう言う意味だろうと首を傾げて考えるも、鈍感なシオンに答えは当然出せる筈もない。取り敢えず、なのはを追い掛けて部屋を出て、再び聞く。
「なのは先生! さっきのどう意味なんなんですか?」
「内緒、内緒〜〜♪」
「気になりますって! 教えて下さいよ!」
追いかけっこのように、二人は朝の神庭家を駆ける。そうして、再び主が居なくなった部屋に静寂が戻った。