ありきたりな恋歌
□第四場面
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傘を借りて帰り、私は慶治くんに見つからないように着替えて目を冷やした。余計な心配はかけたくなかった。慶治くんは何も言わず、いつも通り明るい。そのことにほっと胸を撫で下ろしながら、その日の夜、私はゆっくり眠ることができた。
次の日の朝は昨日の雨を引きずって曇り。けれど、空から水が降ってくることはない。あとは晴れていくだけだそうだ。
「あっ……」
私は、油断していた。完全に、油断していた。
昇降口に、私と黒い髪のポニーテール頭。
まだ少し眠そうな顔の音田くんがいる。
(なんでこんな早い時間に……。朝練?)
周りには誰もいない。今日は朝早く出てきてしまったのだ。
「おはよ……」
音田くんは、私を何とも思っていないような雰囲気を纏って挨拶した。
これなら、挨拶を返しても平気だろうか。挨拶をするくらい、平気だろうか。しても、良いだろうか。
「おい、無視か?」
迷っていると、靴を履き変え終わった音田くんが不機嫌そうに言った。身体が、跳ねる。
「……音田くん、挨拶してくれてありがとう。でも、駄目なんです」
私はそう言い切って脱兎の如く駆けだした。
一人になった昇降口に、ぽつりと小さな呟きが落とされる。
「何度同じことを言われようと、分かんねえよ」
音田綜史は朝から不機嫌だった。行動を共にすることが多い雨下栄作はそんな様子に首を傾げる。
「栄作、腹減ったからパン買ってくる」
放課後の今も不機嫌な態度で教室から出て行こうとしている。声のトーンが暗く苛ついているようだ。
「待て待て。この学校でパンは売ってねえだろ。どこ行く気だよ」
「コンビニエンスストア」
「何でそんな長い名前言っちゃってんの。それに俺達は藤華だろうか」
綜史は、また学校に戻ってくる気なのだ。一般生徒ならいざ知らず、模範となるべき藤華がコンビニには行けないだろうと栄作は綜史の肩を掴んだ。
「じゃあなんか食うもんくれよ。腹減ったー」
「何だ。腹減ってるからそんなに不機嫌なのか」
「ちっげえよ。不機嫌でもないしー」
栄作はその口調に不機嫌でない要素があるなら教えて欲しいと思ったが、苦笑してガムを与える。
「はい、これやるよ」
「お、流石栄作。ありがとー」
ちょっと機嫌が上向いたようで、綜史の声が明るくなる。
「で、俺を引き留めた理由は?」
四手原中学校の部活動は活動日が曜日で決められている。部活があるのは火木金と土日。月曜日の今日は部活がなく、終礼が終わり帰るところだった。
しかし綜史が栄作を引き留め、今に至る。
「うう、あの、さあ……」
言い難いことなのか、ガムの包みを開けながら俯いている綜史に、栄作は長くかかりそうだなあと思った。
先ほどから話が全く進展しない。突いてみても口籠り、最後には一時的に逃げようとする始末。
「あのな、綜史。俺だってお前の話聞いてやりてえと思うけど、お前が話さなきゃ何にもわかんねえよ」
栄作の声に呆れが混じっている。
「ん。……じゃあ、言うぞ。……えっと、なんて言うか。…。……あの」
「…」
栄作は根気良く待った。
「あー。えっと……。……なんか。うーん……」
「…」
「あー、その、えーと、その、……」
「…」
「……あー」
「……あのな、綜史。話すことがないなら俺帰ってもいいか?」
栄作は至極真面目な顔で言った。綜史は慌ててそれを引き留める。
「ある! 話すこと、と言うよりも、相談、と言うか」
「だからそれは何なんだよ?」
「えーと、あの……」
「言え」
「瑞垣さんの、コト?」
こてん、と首を傾げながらようやく言った綜史に、栄作はため息を吐いた。