*頂き物・捧げ物
□羊を数えて夢をみる。
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「茉咲ちゃん」
ふわりと私の耳にそんな声が届いた気がして振り向いた。キョロキョロ辺りを見渡しても、そこにあの人の姿はない。
げ、幻聴…っ私、ヤバいわ…っ!
歩いていた廊下を焦って駆け抜けた。
寝ても覚めても私の中に居続ける春ちゃんは、いつもニコニコ微笑んでいる。
「あ、茉咲ちゃん!」
お昼休みの屋上。
ノートとふでばこを持って重い鉄の扉を開ける。ギギギ…という錆びた音がして、同時に春ちゃんと目が合った。
目を細めて手招きする春ちゃんにテケテケと駆け寄り、私の為に空けてくれた場所に座る。
「あ、えっと、ここ、がね…わからないの、どうしても…」
数学のノートの途中まで解いた式を指差すと、春ちゃんが覗き込むように頭を落とす。ふ、と私の目の前で春ちゃんの柔らかく跳ねる毛先が揺れて、甘い香りが鼻をくすぐる。
とろんと目を細めて春ちゃんの香りを堪能していると「茉咲ちゃん?」くるりと振り向いた春ちゃんと至近距離で目が合って思わず上ずった声を張り上げた。
笑顔のままキョトーンとして頭の上にハテナを浮かべた春ちゃんは、あ、そうだ!と何か思い出したようにブレザーのポケットから細長いものを大切そうに取り出した。
「映画のペアチケット、もらったんです。茉咲ちゃんよかったら行きませんか?」
今度の日曜日なんですけど…と微笑んでいる春ちゃんの顔をマジマジと見つめた。状況が理解できずに固まる私を、少し離れたところにいる要達がニヤニヤしながら見ている。
イラっとした顔でそちらを睨みつけると、困った顔をした春ちゃんがまた覗き込んできて、慌てて笑顔を取り繕う。
「あ、もし先約があるなら気にしないで断ってくださいねっ?」
「えっ!?あっ!ち、ちがうの!予定なんか全然!まったく!ないからっ!」
「え、あ、そうですか…っ?」
キョトンとしてまた微笑んだ春ちゃん。天にも昇りそうな身体をなんとか地上に止めてチケットを受け取った。
見ると、今話題のラブロマンスもの。これは確かに男の子の友達とふたりで行くには寒すぎる。
女の子で1番春ちゃんと仲良いのは、私…って思ってもいいのかな。
お姉ちゃんにもらったんですよー、と顔を傾けて言う春ちゃんに、緩む頬が押さえられない。
次の日曜日、楽しみ…
とか思ってるうちに、あっという間に日曜日はやってきてしまった。
全然眠れなかった…最悪…。
鏡に映った顔色の悪い自分を恨めしげに見つめる。気分とは裏腹な清々しい朝日がカーテンの隙間から射し込んでいた。
一番お気に入りのワンピースに身を包んで家を飛び出した私は、待ち合わせ場所となっている駅前の噴水広場へバスに乗って向かう。
歩いても行ける距離なんだけれど、ちょっと準備に手間取って遅れてしまったから。
待ち合わせ時間の10分前、バスから飛び降りて噴水広場へかけ足で向かうと、そこにはもう春ちゃんが立っていた。
その姿を発見した瞬間、春ちゃんとデートという夢みたいなフレーズにやけに現実味を覚えて心臓がドクドクする。一気に緊張してきた。
「しゅ、春ちゃ…っ」
とりあえず笑顔で春ちゃんの元へ駆け寄ろうとすると、何かに気づいた私の足がピタリと動きを止めた。
遠くの方で、春ちゃんが、大人な雰囲気の女の人に話しかけられている。春ちゃんが、ナンパされてるーーーーーー!!!!
考えるより先に足が動いて、気づくと春ちゃんと女の人の間に仁王立ちになっている私。
「あ、茉咲ちゃん…?」
キョトンとする春ちゃんを背に、私は同じくキョトンとする女の人に向かって叫んでいた。
「わ、私たち、これからデートなんですっ!しゅっ春ちゃんは、わわ私の、彼氏ですからっ!!!!!」
駅前の噴水広場に私の声がやけにこだました。一瞬時が止まったような錯覚を起こして、途端に急に恥ずかしくなってくる。
クスクスと笑い声が辺りから聞こえて来て、顔が熱くなった。
キョトーンとした女の人が、優しく微笑んで
「ふふ、ごめんなさいね、お嬢さん。残念だけど他を当たることにするわ」
と、人懐こい笑顔で手をふって歩いて行った。
え、あれ、私、春ちゃんをナンパから守った…のかな?
とりあえずホッと胸を撫で下ろした私に「茉咲ちゃん」と後ろから呼びかけられてドキリとした。
「あっ、あっ、春ちゃん、あの、その、私…っ!春ちゃんがナンパ、され、彼氏…っとか、ごめんなさい…っ!」
あぁ、もう、自分でも何言ってるかわかんない!
深々と頭を下げる私を春ちゃんはほんのり頬を染めてクスリと笑った。
「ありがとうございます…茉咲ちゃんカッコ良かったですよ?」
口元に手を当てて微笑む春ちゃんを見た私は、パッと胸に花を咲かせた。うん…、と頷いてモジモジ指を絡ませていると、春ちゃんは腕時計を確認した。
「映画、終わったら甘いものでも食べましょうか」
「あ、うん…食べたいっ!」
「ふふ、僕おいしいお店知ってるんです」
楽しみ…!と声を上げる私に、春ちゃんが手を伸ばしてきて、その手のひらをジィッと見つめる。え、これって…
「……デート、なんでしょう?」
私から少し視線をずらした春ちゃんが眩しくて、カッコ良くて、目を細める。
小さく頷いて、おそるおそる春ちゃんの手に私の手を重ねると、キュッと握られた。手も、心臓も、一緒に掴まれて苦しくなった。
まだデートは始まったばかりだというのに、私の心臓、最後までもつのかなぁ…
*羊を数えて夢をみる。*end
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