OTHER GENRE
□幸福の在り処
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『幸運』である事と『幸福』である事は違う。
『幸運』は一過性のもの。
『幸福』はある程度持続するもの。
どちらがより良いものかなんて、推して知るべしだ。
宝くじで大金が手に入る。ライバルが事故に遭って競争からリタイアしてくれる。目の前を歩く女性のスカートが風でめくれるなんていうパターンもあるね。
――それが、何?
実力で得るわけでもない一瞬で過ぎ去る『幸運』には何の価値も魅力もない。全く無意味で無意義だ。
ボクは『幸福』になりたい。ドラマなんてなくていい。平凡で平穏な人生で構わないんだ。
それはボクの信奉する『希望』にも似ているようで、全く違う。
『希望』がキラキラ輝く宝石なら、『幸福』は桃源郷のような環境そのもの。
どちらもボクなんかには到底手に入らない。
そう思っていた――彼に出逢うまでは。
* * * * *
風邪をひいた。
高熱、悪寒、頭痛、腹痛、吐き気、咳、鼻水、関節痛と、風邪の諸症状をほとんど網羅している。
油断していたと言ってもいいだろう。だって、あの子といるとあまりにも幸福で、幸福しかなくて、自分のゴミみたいな才能の事なんて忘却の彼方へと沈むんだ。
彼と出逢えた事が人生最大の幸運だと心の底から思う。だのにその幸運に見合うだけの不運はこれまで訪れなかった。
ボクにとってこれは異常事態でもある。もうボクが死ぬしか吊り合いが採れないんじゃないだろうか。
彼は自分をごく平凡な一般人だと言うけれど、『超高校級の幸運』としての才能は実は本物なのかもしれない。
それか、あるいは――
熱で朦朧としていたボクは階段を踏み外してダイナミックに転がり落ちそのまま意識を失ってしまい、すぐに学園内の保健室に運ばれた。ここで病院に運ぶ必要がないのが希望ヶ峰学園の素晴らしいところだ。
一時は面会謝絶になる程の高熱で、肺炎にもなりかけたとか何とか。まあそれはいい。
一週間授業を休み容態が落ち着いた頃、眠っていたボクの元へ天使がお迎えに――もとい、目を覚ますとボクの苗木クンがベッド横にあるパイプ椅子に座ってボクを見下ろしていた。
「あ、起こしちゃったかな? 大丈夫?」
心配そうにボクの顔を覗き込む苗木クンは本当に天使に見える。否、ただの天使です。
あまりの神々しさにボクの目から涙がだばだば流れ落ちるのも仕方ないと言えるだろう。
「わっ、狛枝クンどうしたの!? どこか苦しいの? どうしよう先生呼ばなきゃ……!」
おろおろする苗木クンの手をそっと掴む。体温が高い今、苗木クンの手はひんやりと感じられて気持ち良かった。
「……大丈夫だよ、苗木クン。キミがいて嬉しかっただけだから」
マスク越しに掠れた声でそう伝えると、苗木クンはホッとしたように微笑んで、涙で濡れたボクの顔をティッシュで拭ってくれた。
「もう、大袈裟だなあ。それにしても狛枝クンが倒れたって聞いた時はビックリしたよ。お見舞いに来たくてもずっと面会謝絶だったしさ」
……死んじゃうのかと思った――そう呟いて、苗木クンは唇をきゅっと引き結ぶ。
ボクがいつも、『希望』の為なら命も惜しくないとか死んでも構わないとか口走っていた所為で、苗木クンを不安にさせてしまったんだろうか。
ボクの死を苗木クンが悼んで偲んで永遠の傷にしてくれるならそれもいいかなぁと思うんだけど、そんな事言ったら苗木クン泣いちゃうよね。
それに、以前よりは生きてて良かったとボクが思えるようになったのは、苗木クンがいてくれるからだ。そう簡単に死にたくはない。
「大丈夫だよ。ボクは曲がりなりにも『超高校級の幸運』だからさ、死にかけても『幸運』で戻ってこられるよ」
生死の境を彷徨うという『不運』の後に、快復して愛しの苗木クンがお見舞いに来てくれるという『幸運』がこうして起きている。
安心させようと軽い調子でそんな事を言ってみたけれど、苗木クンの表情は晴れなかった。
「……そうじゃないでしょ、狛枝クン」
震える声で絞り出すように言い、苗木クンは大きな瞳からぽろぽろと涙を零す。
「まず、死ぬような状況に陥らないでよ……心配で、死んだらどうしようって、怖かった……」
ああしまった間違えた。
泣かせたくなんかないと思うのに、こんな風にボクの為に泣く苗木クンを見るとその涙の美しさに見惚れてしまう。つくづくボクは歪んでいる。
「……ごめん、勝手な事言って。狛枝クンは好きで病気になったわけじゃないのにね」
苗木クンはごしごしと乱暴に涙を拭う。良く見れば、苗木クンの目の下には薄ら隈が出来ていた。
ボクを想って夜も眠れずにいてくれたのかと思うと、申し訳ないという気持ちより先に昏い悦びが溢れ出して止まらない――苗木クンはボクのものだ。
キミは間違ってないよ。今までの自分の言動を思えば、好き好んで病気になったと思われても仕方がないよね。
でも解かってほしいな。こう見えてもボクは平穏を望んでる。キミと一生穏やかに何事もなく生きていけるのなら、それが一番だ。ただ、そう上手くはいかないのがボクの人生なだけで。
……いや、苗木クンはそれも解かってるのかもしれない。苗木クンはいつだって、ボクに安らぎを与えてくれてるもの。その上で破滅的な事を言うボクが許せないんだろう。ボクもキミを悲しませる自分が許せない。
ボクは戒めに自分の頬をべちんと叩く。あまり力が入らなかったけど、腕の撓った分は痛い。
「こっ、狛枝クン!?」
「心配かけてごめんね苗木クン。ちゃんと治して元気になるから。全快したらいっぱいキスしようね」
「キ……っ!?」
苗木クンは一瞬にしてぼぼぼっと真っ赤になる。
ああ、可愛い……キスだけと言わず今すぐ押し倒したい。なるほど健康であるっていうのはこういう時即座に行動に移す為にはとても大事なんだな良く解かった。身体の不調が本気で口惜しい。
けほっ、と咳をしながら苗木クンに手を伸ばす。力なく宙に浮くボクの手を、苗木クンは反射的に握り取ってくれた。
「約束、ね?」
マスクをしてても伝わる程にっこり笑ってみせれば、苗木クンは頬を赤く染めたまま、しょうがないなというように笑った。
「……うん。元気になったらね」
その言葉だけでボクは生きていける。