□本編
1ページ/1ページ

 八月三日。
 私にとってはその二日前以上に特別な意味を持つ日だ。いや、私のパートナーにとっては最も大事な日なのかもしれない。私が彼と知り合ったのはほんの一日にも満たないが、彼女にとっては私に出会う前からの親友以上の存在だったのだ。仮にデジモンが人間のような男女間での特別な感情をもつのだとしたら、それは恋慕の情と呼んでも良かったのかもしれない。
 私たちがお台場のフ○テレビの球体展望室にいるのは、今日がその八月三日だから。ここから屋上庭園までの通路に赤い薔薇をお供えするのが、二十一世紀になってから毎年私たちが続けてきたこと。私たちを庇って吸血鬼に殺された彼のために私たちがせめてできることだ。
 彼はデジタルワールドではなく、私たちの世界で死んだ。これが真に意味することを、新しい仲間達と再び戦いの日々に飛び込んだ年のこの日になってようやく思い知った。
 デジタルワールドでは死んだら世界に還ってまたデジタマから新たな生をはじめるデジモンも、デジタマという概念のないこの世界では、新たに生まれ変わることはできずに俗にいう幽霊となって悠久の時を彷徨う。悠久のときとは言ったが、もしかしたらいつか魂そのものが消えてしまうのかもしれない。こればかりは死後の世界について想像でしか知らない人間と、本来はこの世界の住人でないデジモンには分からない。が、確実に言えるのは、もう生身の身体で私たちの前に現れることはないということ。
 暗黒の種に翻弄された少年との決戦において重要な鍵となることを教えてくれたあのとき、私のパートナーが伸ばした手を彼は取ることができなかった。それで自分がどういう存在になったかを嫌というほど痛感した彼の顔を、私たちは今も忘れられないでいる。生きていたときには一度も見たことのない、自分が置かれている状況を悔やむような表情だった。思えば、理知的で常に彼女のことを考えていた彼が初めて自分のことを考えたときだったのかもしれない。
 最初は彼はどちらかというとキリスト教のイメージだからという理由で赤い薔薇を選んだけれど、尊敬や情熱、美を花言葉に持つこの花は案外合っていたと思う。私のパートナーに対する彼の気持ちは尊敬を土台とした情熱のあるものだったし、彼の心は本当に美しかった。何度か二つ下の後輩に咎められたけど、それは彼の信仰の違いだから気にするのは止めにした。
 記憶を元に彼が散った場所を探す。もう十年以上経っているから彼の痕跡は何もかも消えてしまった。当然と言えば当然。悲しくはないが少し寂しい。そうやって歴史は紡がれてきたとはいえ、彼の存在がなかったことにされたようで、理不尽に感じる。本当はそう感じる自分の方が理不尽なのだと分かっていても。 
 溜息をついて腰を下ろした私のすぐ横をあのときの私と同じくらいの女の子が駆けていく。さらに、その隣を黄色い幼年期のデジモンが可愛らしく跳ねていく。それを見たら、先ほどまで思っていたように変わっていく歴史も、案外悪くないのかもしれないと思えてきた。私の頃は公にならないようにみんながいろいろと頑張っていたけれど、十何年という時間の中で少しずつパートナーデジモンが認められてきたのだ。私たちのお父さんたちが私たちの代わりに表に出て、デジモンという存在についての世間の評価を少しずつ上げてくれて来たことは感謝しても足りないくらいだ。私たちも世界中の選ばれし子供たちと協力して次世代を担う子供たちからデジモンという存在を受け入れてもらえるように頑張ってきた。パソコンやインターネットに詳しい二人の先輩が異常にいきいきしてたのはいい思い出だ。
 こんな私もこの国では大人として認められる年齢になった。大人として、目の前の女の子に誇れる未来を創るためにも、まだまだ頑張っていかなくてはいけない。あの短い夏の冒険と一年に渡る戦いを乗り越えた私たちならきっと大丈夫。今よりもっと良い世界に「進化」させていくのが今を生きる者の務め。そして、その過程で散っていった者たちへの手向け。
 そうだ。私たちが彼に伝えたかったのはこういうことだ。今、自分達が何をしてどう頑張っているのか。何を思い、どんな世界を願っているのか。そして、与えられた名前と紋章に恥じない自分でいたいという決意。
 たとえ会えなくてもいい。たとえ返事がなくてもいい。ただ、聞いていてさえしてくれればそれだけでいい。そうしたら、彼の心が孤独で固くなってしまうことはないだろう。私たちの心の中に彼の居場所がいつまでもあることが分かってくれるだろう。
 一番最初には何を言おう。どういう切り出し方をしよう。
 いや、それだけは最初から決まっていた。同じように考えていたらしきパートナーと顔を合わせて少し笑い、同時に息を吸って、一番最初に伝えたかったことを言葉にする。




 君に会えてよかった。――ありがとう。

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ