□前編
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 ソーサリモンが死んだ。たった今、僕の目の前で。
 彼の血が飛び散り僕の六枚の羽を赤く染めた。無愛想だけど誰にでも平等に優しかった彼の面影も、いまや肉塊となり、徐々にデータの粒子と化して消えていく。
「人型(ヒューマン)のくせに手こずらせおって……」
 ソーサリモンを殺した白い獣――ムースモンが憎々しげに何か言っていたが、よく分からなかった。
 ただ目の前の現実を受け入れられなかったから。ソーサリモンは死んだと認識はしたが、受け入れられるわけが無い。
 彼が何をしたというのか。なぜ殺されねばならなかったのか。
「な……んで……」
 やっと漏れたのは掠れそうなそんな声。それでもその言葉が言えただけでも十分だと思う。
「なんで……だと? こいつが人型だからに決まってるだろう! 人型は残忍な種族。こちらが先に殺らなければ、我等崇高な獣型(ビースト)がその手に掛けられるのだ!」
 何を言っているんだこいつは。ソーサリモンが残忍な奴だと? 
「そ……んな……」
 そんなわけ無い。ソーサリモンはそんな奴じゃない。彼は荒野で行き倒れていた僕を助けてくれた。見ず知らずの僕の面倒を見てくれた。いつも優しく僕を見守ってくれた。
「お前に……」
 今日いきなり家に来て、無抵抗なソーサリモンを殺したお前に。
「見たところ……貴様も人型のようだな。ならば生かしてはおけない。消えてもらう!」
「お前に……」
 荒野に打ち捨てられていた僕に、生きる意味をくれたあの人を殺したお前に。
「ソーサリモンの何が分かるんだよおぉっ!!」
「な、何っ……」
 ふざけるな。お前だけは許さない。ソーサリモンが残忍な人型だからと言って殺したお前だけは!
「うああああああっ!!」
 怒りに身を任せて叫ぶと、カチリと理性の箍たがが外れた音が聞こえた。自分がとんでもないことをしでかすであろうことも。
 それから数分間の記憶はない。意識も完全に吹き飛んでいた。
「――うあ……ぁぁ……」
 我に返った僕が見たのは、跡形も無く吹き飛んだ我が家と、体の中に仕込まれていた爆弾が爆発したのではないかと思うほどにばらばらにされ、一切の原形を留めていないムースモンの死骸だった。
「はぁっ……あっ……」
 動悸が止まらない。手が、羽が、ムースモンの血で深紅に染まった。……嗚呼、間違いない。こいつは僕が殺したんだ。僕がこの手で。
「はぁっ……はっ……ははっ……」
 そう思うとなんだか自然と笑えてくる。それが虚しいものだとは分かってるけど。
「ははっ……あははははははっ!」
 それでも止めれなかった。笑いを止めたら完全に正気を保てなくなる気がしたから。端から見れば、もう正気には見えないかもしれないけど。
「あははははは――」
 ムースモンは人型を残忍だと言ったが、その人型を躊躇いも無く殺す獣型も残忍じゃないのか。ソーサリモンのような人型もいるのに。
 無抵抗な人型が殺される理由などないはずだ。だから、僕はそんな獣型を憎悪する。
 ――でも、僕だけはムースモンの言った通りの残忍な人型なのかもしれない。




 荒野を当ても無くただ歩く。何度か転んだがまた立ち上がって歩く。どこから来て今どこを歩いているのかなんて分からない。
 一時空腹を覚えたこともあったが、もうそれすらどうでもいい。このまま何も食べずに歩けばそのうち死ぬんだろうな。……それでもいいな。
 足がふらつく。動きが緩慢になる。意識が朦朧とする。この世界から離れていくようだ。
 確か二か月前、ソーサリモンに拾われる前もこんな感じだったっけ。
 ――でも、彼はもういない。僕の目の前に再び現れることもないだろう。
「ふふっ……」
 だったらもうどうとでもなれと、小さく苦笑を漏らして僕はその意識を手放した。
「――う……うぅ……」
 どこからか聞こえたその呻き声が自分のものだと気づいた。体に触れる柔らかなこの感触は絨毯? 僕は荒野にいたはずじゃ……。
「――気がついたんだな。このスープを飲みな」
「あ……」
 上から投げ掛けられた声に反射的に顔を上げた僕は固まった。なぜなら、そこにカップを突き出すソーサリモンの穏やかな姿が見えたから。
 二か月ほど前のあの日のように、荒野に転がっていた僕を拾ってくれたのだろうか。また、僕に暖かいスープを飲ませてくれるのか。そして、またいっしょに生活して僕の生きる意味となってくれるのだろうか。
 そう思おうとしたけど、本心では分かっていた。そんなことはありえないと。。
 ソーサリモンは殺され僕にてもういない。おそらく僕が無意識にその誰かをソーサリモンに重ね合わせただけだろう。 今一度、彼が死んだことを受け止め、一度まばたきをしてその声の主を見据える。
「どうかしたのか?」
 声の主であるそのデジモンを見上げる形になっているのは僕が寝転んでいるからであって、そのデジモンが僕より大きいわけではない。むしろ僕より小さいくらいだ。
 二頭身ほどの茶色い体に、それと同じくらいの大きさの耳をぶら下げている。その耳を器用に使って僕にスープの入ったカップを突き出しているようだ。
 つぶらな瞳で見つめるその愛らしい姿に少しほっこりしたが、その風貌からこのデジモンには僕との決定的な違いがあるのが分かった。
 毛髪の代わりに頭部を覆っている薄い体毛。物を掴むことに特化しているとは言いがたい両手。それ以外にも、明らかにこいつが僕ら人型デジモンとは違う点がある。
 ――こいつは獣型だ!
「うあ……」
 そのことに気づいた途端、急に動悸が激しくなって、嫌な汗が止まらなくなった。あの時のことを思い出して凄まじい恐怖が僕の全身を包み込んだのだ。
こいつも獣型なのだったら、あのムースモンとやらがソーサリモンを殺したように僕を殺してしまうのだろうか。……間違いない。獣型は人型を残忍な種族だと決めつけて殺す、残虐な種族なのだから。
 ――僕が殺される?
 嫌だ、死にたくなんかない! 一時は死を受け入れようとしたときもあったけど、やっぱり死にたくない。まだ、こんなところで死ぬのは嫌だ! 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ――
「うああああっ!」
「おわっ……」
気づけばその耳を振り払っていた。コップに入っていたスープらしきものがあたりに散らばる。獣型デジモンは怒っているというより、どうしようかと判断を迷っているように見えた。
 こっちもどうしようかと思案していると、彼の奥からまた誰かが姿を現した。
「ったく……なにしてんのよ」
 それは垂れ耳が特徴的な白い小さな体の四足歩行のデジモン。ホーリーリングという金色の輪――僕の四肢にもある――を首につけているようだ。指の見えない足をぺたぺたとつけながらこっちに近づいてくる。……何をする気だ。
 と、思ったら彼女は雑巾でこぼれたスープを拭きはじめた。……なにもしてこないのか?
「僕も手伝うです〜」
 ぼうっと見ていたら、また誰か現れた。慣れたようであまり驚きはしなかった。
 今度の奴は黄色い体のこれまた四足歩行のデジモンだった。その小さな羽根で不安定ながらに飛んでいた。
「なんなんだ……」
 僕がそう漏らしたのを聞いた長い耳のデジモンがふっと笑って問いかける。
「お前、殺されるとでも思ったのか?」
「……まあ」
 そう問われてもなんだか毒気を抜かれたようにそんな風にしか返せなかった。冷静に観察すれば、彼らには殺意の片鱗も感じられない。
「私達は荒野で倒れていたあなたをたまたま見つけて、放っておけなかったので拾ってきただけです」
「本当に……?」
 そう言われても疑わずにはいられない。先の事件で疑り深くなっているようだ。
「確かに人型と獣型は憎みあっているみたいだな。でも、例外がいるとは考えられないか? ――それが俺達だ」
 例外……か。考えても見なかった。ソーサリモンと暮らす以前に記憶はほとんどなかったし、あまり外に出たこともなかった。記憶上ではじめて会った獣型がムースモンだったから固定概念を植えつけられたのだろう。……だとしたら、ソーサリモンも例外だろうな。
「じゃあ、そろそろ行くよ。ありがとう」
 そう言って家を出ようとする僕の足を彼が掴んだ。
「待ちな。もう少しゆっくりしていけばいいだろ?」
「え?」
 意外な提案だった。もともとこれ以上厄介になるつもりはなかったのだ。
「遠慮ならしなくていいわ。このままどっか行かれる方が気分悪いわよ」
「しかし……」
「行くところありますー?」
「ぐっ……」
 だが、床掃除をしていた二人に遮られる。黄色いのに正論を言われて詰まるのは腹が立つが何もいえない。
「俺はロップモン。白いのがプロットモン、黄色いのがパタモンだ」
 差し出された手に悪意は感じられなかった。どことなくソーサリモンと近しい雰囲気も感じた。
「……僕はルーチェモン。よろしく」
 不本意ながらにその手を取った。ここからまた新たな生活が始まったようだ。
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