1859text-4 季節もの・お題

□アンプリファイア
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◆アンプリファイア◆


「――っんで開かねんだよ、クソッ!!」

苛立って投げつけた匣が4つ、壁に当たって跳ね飛んだ。
机の上にはルーズリーフのリフィル、書いては消した幾つもの数字と矢印、走り書きが並ぶ。

”Tempesta”
”Pioggia”
”Fulmine”
”Ciel sereno”

その先、”nembo”――『黒雲』、不吉なイメージを呼び起こす単語でメモは途切れたまま、13、14、15、16の数字がどの数字と結びつけられることもなく宙に浮いたまま残っている。

「確かに雲の色だよな、この炎……。
匣はまだ4つ残ってやがるし、最低でもどれかひとつは雲の匣のはずだっ――なのに……!」

なんでどれひとつ開かねえ?!

獄寺はリングだらけになった手で前髪を掻きむしった。

「くそ……雲なんて、いけ好かねえ匣だぜ……!」

苦々しく吐き捨てた矢先、部屋の扉が有無を言わさない調子で連打される。

「ちょっと隼人? 人を待たせるのもいいかげんになさい。もう約束の時間を30分も過ぎてるわ」

修行するって言ったのはあなたじゃない、隼人――ビアンキの声が追い打ちを掛けた。
胃がキリキリして、酸っぱくて苦い何かが喉元へせり上がる。

「ああ、もう……!」

散らかした匣の中から開かない4つを拾い集め、ポケットに押し込むと、椅子を蹴り倒して立ち上がった。
身体ごと当てる勢いで出口へ殺到する。

「え、」

目の前、突然乱暴に開いたドアを躱し、距離を空けたビアンキには振り向かない。そのまま全力で廊下へと走り出した。

「……待ちなさい、隼人!」

もう後ちょっとだってのに、クソっ――!!


◆◆


――なかなか渋くていい造りじゃねーか。

雲雀の居室を眺めて言った、在りし日の彼の姿が脳裏をよぎる。

「……なんとなくエスプレッソと似てんな」

茶菓子と一緒に飲む抹茶も、なかなか悪くねえ。

教えられた通りに碗の口を懐紙で拭い、獄寺が茶碗を回している。揃えた白い指先がつと茶碗を寄越す様は、純日本人の下手な女子など顔負けの典雅な雰囲気を醸す。

「お前と会った頃は、日本の侘び寂って、なんか窮屈なイメージばっかりあったんだけどよ」

鹿威しの音が、深閑たる空間へ響く。

「お前がここに揃えさせたモン、オレも割と……好きだぜ」

「……そう」

自分でも驚くくらい、目元が和らいでいくのを感じた。

近頃「笑った時の顔が優しくなった」と誰かに言われた気がする。
頻繁に見つめるうちに、きっと彼の表情がうつったんだと僕は思う。

そのままじっと彼の笑顔を見つめると、くちびるの端にきめ細かく泡立った緑色を見つけた。

「ねえ、泡」

不意に伸ばした手に獄寺は肩を竦めて驚き、そして頬に朱を散らす。

「ついてる」

雲雀は指の腹で注意深くそれを拭い去った。

ちらりと窺った表情、そして仄かに赤い目元に引き寄せられるようにして、獄寺の濡れたくちびるに自分のそれを重ねる。

「……ヒバリ」

「ごめん」

「謝んなよ」

オレ、お前のこと――ずっと好きだったんだ。
首まで紅潮させながら、彼が小さく呟いた。


◆◆


彼はどこへ消えてしまったのか。

雲雀の知らない時代、あるいは違う次元で、何を思って今この時を過ごしているだろう。

「……は?」

「ですから、獄寺さんがいらして、……あ」

「おいヒバリ!」

草壁が取り次ぐ間もなく、風紀財団本部へ押し入った獄寺が上がり框を土足で駆け、特注した大畳の縁を無遠慮にブーツの踵で踏みつける。

「雲のリングの使い方を教えろ!!」

「…………」

考えるよりも先に、雲雀の口からため息が漏れた。

「……呆れる。
君の頭には「礼儀」とか「マナー」って無いの」

「それどころじゃねんだよ!!」

目の前の、まるで躾のなっていない生き物はいったい何なんだろう。

これが10年後、あの彼に結びつくと思うと、時間の果てしなさを感じて眩暈がする。

「10年後の君と今の君は……それこそ、雲と泥くらい差がある」

「仕方ねえだろが……!
とにかく決戦当日までに全員、技が完成してなきゃ……みんな困るじゃねーか!!」

「…………困る? 僕が?」

この子はどうしてこう、いちいち突っかかって来るんだろう。うるさい。
うんざりしながら雲雀は大きくため息を吐いた。

だけどそうだ、確かに言われた通りでもある。

あの白い装置までたどり着かないといけない。
獄寺隼人――この時代の、雲雀が愛した彼を取り戻すために。

「確かに困るね」

10年前の獄寺に死なれては、きっと世界のどこかに居るはずの獄寺も、存在が危ういに違いない。

「じゃあ教えやがれ……」

「うるさいな」

何度も繰り返さなくたって解ってる。

10年の歳月、その間にどれほどの命の遣り取りとどんな経験があっただろう。
この我慢の利かない子どもが大人になって、道なき恋を始めるその日まで、どんな日々が積み重ねられていくのか。

興味はある。……ほんの少しだけ。

だけどそこに関わりを持てるのは、この僕じゃない。

雲雀は自分の視線の下にある獄寺の胸ぐらを掴んだ。
そのまま腕の力だけで目の前まで引き寄せる。

「……っ、――ええ?!」

いきなり爪先が辛うじて床を掠る高さまで吊され、予期しない距離で雲雀に直面し、目を見開いて凍り付く獄寺はまだ幼く、あどけない。

派手な音を立てて、そのくちびるにくちづける。

「今のでちょっとだけ雲の炎が増幅されたと思う。
……何、固まってんの」

「……ぁあ?! ちょっ、お前っ……今、何しやがった?!」

更に零れ落ちそうなくらいに開かれた眼の端には、嫌悪と驚愕のあまりに涙まで浮かんでいる。
顔色を無くし、慌てて袖口でがしがしとくちびるを擦る獄寺に雲雀は目もくれなかった。

もう、いちいち面倒くさい。

雲雀は事務的に要点を押さえていく。

「匣、開けてみなよ。持ってきたんでしょ」

「てめ……! 開かなかったらただじゃ置かねえからな……!!」

「…………」

獄寺が雲の炎を灯し、半信半疑で匣にリングを押し当てると、あっけないほど簡単に蓋がはじけた。

「10年前の君も、はじめは雲の波動がものすごく弱かったからね……僕が増幅する方法を教えたんだ」

「…………!!」

「その先の匣も、もしかしたらまだ開かないやつがあったかも知れない。
困ったらまた来れば。ただし靴は脱いでよね」

「なっ……?!」

弾かれたようにくちびるを覆い、驚きとショックの入り交じった表情で獄寺が凝視する。

「まだ開かない……だと?! じょ、冗談じゃねえ……!」

じりじりと後退し、ぱっと身を翻して獄寺が走り去る。

バタバタとうるさい足音がすっかり去った後、成り行きを見守るしかなかった草壁が、ようやく口を開いた。

「……雲の増殖……そんな方法もあったとは……」

「本当はもう少し時間をかけて、マトモな方法で干渉するけどね。
あれじゃ説明しても聞かないだろうし。あ……そこの畳、拭いといて」

「押忍」

その後獄寺が部屋に籠もり、死ぬ気で全部の雲の匣を開けようとしたのは言うまでもなかった。


◆終◆

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