1859text-4 季節もの・お題

□オー・マイ・ゴッド。
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◆オー・マイ・ゴッド。◆


こもった部屋の空気を換気しようとして、乱暴に窓を開け放つ。

午前中から冷え込んでいた天気はすっかり崩れ、叩きつける暴風が獄寺の銀髪を乱暴にかき混ぜた。
渦巻く黒雲は生き物みたいに灰色の空を滑って、うねりながら西から東へ、急速に流れていく。

このまま一雨来そうだ。大荒れの空模様を見上げながら思った。

ああ、嵐は雲が生み出すんだ。
オレも一緒だ。ヒバリに攪乱されるんだ――きっと。


◆◆


……なんだか、よく寝た気がする。

そう思いつつ瞼を開けると、獄寺が見遣った時計は校門の閉まる時刻を指していた。

も、申し訳ございません、10代目……!

慌てて布団を飛び出し、歯を磨きながら着替え、うがい以外には一滴の水さえ口にしないまま、廊下から玄関を走り抜けて家を出た。寝坊して遅刻。それはもう免れられない。

だがしかし。

そんな日に限り、全力疾走中に肩先がぶつかってはねた一般人などに喧嘩を売られる、このタイミングの悪さはいったい何なのだろう。

一丁前の胴間声なんか出しやがった見知らぬ一般人、相手は脇道の陰へ細い獄寺の身体を引きずり込んだのだった。

10代目の困ったお顔がちらりと浮かぶ。

しかしここまで来たら見過ごすわけにも行かない。拳一発でさっさと沈めてやろうと思いつつ、その喧嘩を購入してやった。……そして、自分の浅はかさを改めて思い知ることになった。

……相手の凶器に気がつかないまま、狭い所になんか入るもんじゃない。

そしてナイフを隠し持ったそいつは――頭がいかれていたに違いない。

凶器をよけて獄寺が背筋を反らした瞬間、翻ったシャツの裾の下のオレの腹を見るなり、そいつは目の色を変えて襲ってきやがった。

予想もしなかった瞬発力と握力でシャツを引き毟られる。当然、仕舞うわけでもない相手のナイフが、狭い場所で揉み合ううちに獄寺のTシャツの端を掠め、逃げ道を阻んで追いつめられる。

まさか。

このオレが強姦未遂に遭うだと……?!

ナイフをちらつかせて人を脅した気分のそいつ、不良に毛が生えたような、どう見ても素人の攻撃になまじ手が出ない。
チビボムも含め、ボム類は隣接する家の壁まで破壊しかねない。逡巡している間にも、せせこましい路地裏に不法投棄された粗大ゴミへオレの背中を押し付け、股間を膨らませてやがるふざけた男。

その手がオレの肩を押さえつけ、ジッパーを下げて弱点を晒した瞬間、ようやく目いっぱいの力で、グロテスクに目立った急所を蹴り上げるのに成功した。

泡を吹き、ばったり後頭部からコンクリートの地面へ倒れ伏した相手。
その薄汚れたツラに唾を吐き掛け、詰めていた息をようやく嘆息する。

ざまあみろ。

この男が再起不能になったところで、オレの知ったことじゃねえ。
相手が悪かったな。

……登校時間がさらに遅延してしまった。

学校に着いた時には、すでに何限か過ぎた授業の真っ最中。
閉まりきった校門を跳び越え、さっぱり人の気配がない校庭へと進入する。昇降口の扉が開いている。もう少し。10代目がいらっしゃる教室まで、あと少し――!

なのに、昇降口に辿り着いた所で、真っ先に目に入ったのは。

走り来る気配に振り返る、黒い背中だった。

なんでこんな時間にそこに居るのか、まったく理解の出来ない切れ長の瞳が、何してんのと言いたげにオレを見るなり眇められる。

ああもう、10代目……!

本日はそのお姿をお側で見守る時間が遅れまして、大変申し訳ありません。


◆◆


「……誰なの、君の格好をそんなにした相手は」

オレは上履きを履く以外、昇降口なんかに用はない。

目の前に立ちはだかった雲雀は見なかったことにして無視を決め、何事もなかったかのように通り過ぎる。

そのまま教室へ向かおう。きっとお優しい10代目が、オレの所在についてそろそろご心配なされているに違いない。

ところが無事に通過したと一瞬だけ思わせて、素早く伸ばした雲雀のが、獄寺の襟首を背後からがっちり鷲掴む。
体重がやや不足がちの身体は半強制的に、委員長様の目前へとしょっ引かれる形になった。

「んなことオレが知るか! ……それこそ、通りすがりのチンピラだ!! 知った顔じゃねえ」

取るに足りないザコ。
春もすぐそこだし、ちょっとくらい頭のおかしい奴が居たところで不思議はないと思う。
まさか野郎を相手に犯される危険があるなど、全く想定外で……ちょっと油断した、が。

「風紀を乱すのは許さないよ」

背中は土埃の積もったゴミと仲良くしかけて煤け、襟首のリブをナイフで裂かれ、鎖骨をだらしなく剥き出したTシャツ。それに重なる学校指定の白シャツさえ、乱暴に掴み上げられた拍子にボタンを幾つも無くしている。もはや折り目正しい制服の印象はかけらも無かった。

きちんとただそうにも直せない、ひどい服装の乱れ。
それを真っ黒な双牟が冷ややかに見下ろしている。表情を凍てつかせた雲雀はしげしげと呟いた。

「……君がそこまで弱いとは思わなかった」

そのまま口元が不機嫌そうに、「へ」の字に歪む。

「うっせえな! ボムは一般人に使うとテロに間違えられたり、ろくなニュースにならねえから使わない、って……10代目とお約束したんだ!
炎とか形態変化とか、街なかで気軽に使えねえだろーが、そんなの!!」

「だからって、こんなにボロボロにならないで欲しいね」

言いながら雲雀は静かに一歩、獄寺へ近寄った。

顔をぶつけそうになる至近距離で、不意に腕を伸ばした雲雀が羽織った学ランから肩を抜く。
そのまま流れるように、ごくごく自然な動作で。

雲雀は獄寺の身体に、ぱさりとそれを着せかけた。

そのまま意外なほど柔らかくくるまれて、その黒い服地の下、見かけを裏切る腕力を秘めた腕が獄寺の身体を強く引き寄せる。
外の空気に冷えきっていた獄寺の肌へ、触れた雲雀の温度は電灯が点ったみたいに感じる。不覚にも心地よく思えてしまった、暖かさ。

「君……もう少し強く、なれないの」

まるで体温と共に力を分け与えようとでもするような、真摯な雲雀のまなざし。
間近く抱きしめられながらしみじみと囁かれ、迂闊にもことばをなくした。

視界を占める上着の黒、それに染みついた雲雀の匂いが熱っぽく、獄寺を包囲している。温度を上げた二人の間の空気。吸い寄せられるように近づく、雲雀のくちびる。

……キ、キス……?

まさか。まさか。

ヒバリが?

なんで?
ここで、今?

直視しようにも出来ない近さ、くちびるから紙一重の距離に雲雀の体温がじりじりと伝わる。
しかし脳裏を襲った疑問の嵐に失っていた注意を取り戻すと、上着の襟から掌底をかまし、その鼻先を押しのけて俄然暴れた。

「どいつもこいつも何、発情してやがる……! ケモノじゃあるまいし」

「ねえ、そんな格好じゃあまりにも無様だ。これ貸してあげるよ、上着」

今しがたの行動なんかまるで無かったように、しれっと言った雲雀のことばが気分を逆撫でしていく。
冗談じゃない。そんなクソ目立つ腕章の付いた上着なんか、借りたくも無い。

「な……っ、無様だ……?! だ、誰が要るかってんだ、そんな物!!」

「君は隙が多すぎる。今だって僕にあっさり捕まって……ダメじゃない、そんなことじゃ」

「うるせー!! いつも殺気の塊みたいなてめーが大人しいと、調子狂うだろうが!」

耳の縁まで真っ赤になりながら上着を剥ぎ取り、雲雀に突っ返した。
人を上着で包むとか、気障な仕種がやけにさりげなく決まっていたのも気に喰わない。

ああ、10代目……本当に、まことに大変申し訳ありません!
今日オレもうこのまま……家、帰ります!!


◆◆


自分の部屋の扉を引き開けると、日当たりの悪い部屋が薄暗く広がった。

下手な外気よりも室内の空気の方が冷たい。獄寺は机に落ちていたリモコンを引き寄せて電源を入れた。設定温度を最高温度にして強風で暖めようとしていると言うのに、吹き出し口からはぬるく乾いた風が吹くばかりだ。

イライラしながら冷えた身体を抱え、起きた形のままうねった掛け布団が乗るベッドへ飛び込んだ。
しっとり冷たい掛け布団がやけに重たくのし掛かる。

雲雀の腕の温度。
そうだあれは、朝の布団の抜け出し難い温度にも少し似ていた。

……ショックなんか受けていない。

道行く男に、通りすがりに欲望の掃け口にされかかった。とは言え、自分はか弱い女子などでは無いのだから。

それにこれでもかと言うくらい、渾身の力で急所を蹴り上げてやった。タマが潰れたかも知れない。いい気味だ。もう、腹を立てたり、ぐだぐだ思い悩む必要なんかない。

その後うっかり触れた雲雀の熱さなんか……どうでもいい。

あいつのしてきた行為だってまるで、見方を変えたら騎士気取りの男が自分に酔って女にするような所作そのもので、絡んできたチンピラと発想の根源は大して代わりがないと思う。

ショックなんか受けていない。

あの雲雀がそんなことするとは思わなかった。それだけだ。

ほんの少しばかり鼓動が跳ねたのは、雲雀の行動に驚いたからで。
断じて……断じて、ときめきなどではなくて。

痴漢に遭ったら腹が立つだけなのに、雲雀に抱きしめられたらぎくりとして、10代目の側に居るのさえ放棄して家に走って帰ってきてしまった。
なぜそんなにも思考がかき乱されてしまうのだろう。我ながら不平等かつ不条理な話だ。

ぐるぐると思い悩みながら雲雀の腕、割れ物を扱うみたいな優しい手つきで包まれたのを思い出す。
心臓がうるさく鳴るのを止められない。

あの時、あのまま……くちびるが触れてしまったら、どうしたのだろう。

不機嫌に尖るくちびるがそのまま、オレのくちびるに触れたのだろうか。

それとも思わせぶりに、息が詰まるような距離で留まるだけだっただろうか。

いつも唐突で存外ガキ染みた行動をするヒバリのことだ、実は後者だったかも知れない。意味なんてまるで無いのかも知れない。

くちびるが触れ合ったら、自分はどうなっていたのだろう。

雲雀を真似て尖らせたくちびるを指先で撫でた。

寝起きからロクに水分補給もしないまま冷たい風に晒されたそこは、少し荒れて皮膚に引っかかる感触がする。やっぱり触れなくてよかった、などと思う。

雲雀のくちびる、そんなモン知らなくていい。

知りたくなくて、いいのに――。

赤くなりながら頭まですっぽり掛け布団を被るうち、冷たかった布団の中が徐々に温もりを蓄えていく。
そっと瞳を閉じ、雲雀の気配を追い出そうとしたのに、却って強烈に思い出す。

熱い湯に溶けていく石鹸の泡を思わせるような、意外なくらいに清潔で清冽な雲雀の匂い。
覚えてしまったそれにどうにもならないくらいに動悸が起こって、寂しいような、狂おしいような、甘い微熱がもやもやと身体に宿る。

「……」

焦げ付いたような胸から息を吐き出した。

……どうしてこんなに、苦しいんだ……?


◆◆


大気に雲が流入する分だけ湧き起こる嵐。

窓枠に肘を付き、庇ごしの大空を見上げながら獄寺はため息をついた。火照った頬を吹き荒ぶ風に当てていれば、この熱の残滓まで消してくれる気がしたのに。

勝手気ままな雲の流れは胸の中まで荒らしていく。止めることが出来ない。

雲雀に苛ついて、意識して、意識して――どうしようもなくて、結局台風の目に半時計回りで吸い込まれる気流みたいに、渦を巻きながら下へ下へと落ちていく。

どこへ?

――すみません、10代目……!

自分……同じ守護者に対してどうしようもない不埒な事とか考えちまった、とんでもない未熟者です……!!

……獄寺はまだ、恋という名の嵐を、知らない。


◆終◆

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