1859text-3 短編いろいろ
□ONLY ONCE
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◆ONLY ONCE◆
どこへ行っても半端者扱いで、裏社会ですら受け入れてもらえなかった、かつてのオレ。
母親が生きていた頃に、そういえばそうしてもらった、薄らボケた記憶がある。けどそんなの参考になんかなりゃしねえ。いいんだ。
オレは自分で望んで孤独になったんだ。
だからもう、10代目に出会えただけで……幸せすぎるんだ。ボンゴレだけが、オレの一生の支えになってくれる。まともな恋愛なんか、なくて全っ然構わねえ。恋愛が要らねえんだから、出会いだって要らねえ。挨拶なんかしなくていい。
一時ものすごく、ものすごーく気にはなった。が、オレはそのことについては一切を諦めることにした。男が一度決めたことをごちゃごちゃ気にしたり、恥ずかしく思ったりすんのは本当にみっともねえ。
10代目のお屋敷、野球バカが「みんなで観よーぜ」なんて言って借りてきた、最近DVDが出たばかりの人気アクション映画は丁度、再生して2時間45分を越えたあたり。
死線を越えた主人公に、ヒロインが駆け寄って首に抱きつき、派手な音を立てて熱烈なキスをする。
「なー獄寺」
男だらけで観るには、感動なんかより居心地が悪いばかりのラブシーンだってのに。その真っ最中、空気読まねえ野球バカが間抜けた声を掛けてきた。
「洋画ってみんな、あーやってキスすんじゃん、ほっぺたとか耳元でやってるあれ、チュッチュッて音うるさくねーの?」
「何、言ってんだよ山本……」
「海外じゃキスって普通に毎日すんだろ?」
「本物のバカだな、てめー」
オレが知るか。
頬を染めた純情な10代目、その反応の初々しさをちったぁ見習いやがれっつーんだ。
ったく誰だ?! 欧米では挨拶にキスするなんて言いやがる日本人は。こいつか。この野球バカか。
このオレにそんな挨拶なんかしてきた奴は家出して以来1人も居ねえ。だから山本はバカなんだ。
オレは……その、この年になって何だけど、一人で居ること多かったからな。いわゆる欧米流の挨拶は教わり損ねたまま、日本に来ちまった。
日本は慎ましくていい国だ。きっちりお辞儀が出来ればキスなんかいらねんだからな。なんて理性的な文化なんだ。さすが10代目がお育ちになられた美しい国。
女なんかまるで関わりのねえ毎日だし、なるべく気にしねえようにしてっけど。
将来どーなんだろうとか、いつか、本気で好きになった相手と来るべき時、ここぞって所でまともにうまく出来なかったらどーすんだろうとか。
たまに、いやあの、ものすごくたまにだぜ? 気になることだってある。まあ、ほら……思春期だからな。
ったって、んなデリケートな悩み、この脳味噌野球ヤローなんかにはカケラもわかんねえに違いねえ。
結婚式の時、新郎新婦は何でああ一発で出来んだ、って思う。目ェ閉じてんのになんでちゃんと……その、くちびると、くちびるを……上手く触れられんだ? しかも何だ、大勢の招待客が居る前で。
鼻にぶつかるとか、息が苦しくなるとか、失敗したらどーすんだ?
◆◆
ユニットの湯舟にちゃぷんと浸かりながら、オレは日中の出来事を思い返した。
みっともねえ、けどオレはくちびるどころか、どこにしたって上手にキスが出来ねんだ。
もちろんする相手なんて誰も居ねえから。
こんな風にこっそり、湯からはみ出たてめーの手首の内側なんかにくちびるを当ててみる。
むにゅ、と何の不思議も無く、ただ静かに上くちびるが押されて潰れる感触。
首を傾げたせいで濡れた髪は重たく落ち掛かり、湯の中に沈んでゆらりと毛先が泳ぐ。
ああくそ、映画とかのキスだったら今、こう「チュッ」って言う所だろ?
なんだあれ、実は音声さんとか頑張ってて、後から擬音でも合成してんのか?
……オレ、きっと誰かを愛する才能とか、ねーのかもな。
今までずっと一人だったしな。
当たり前だけどオレのくちびるが触れた手首は、決して気持ちよかったりはしねえ。こんなんでまだ見ねえ相手、どんな奴かわからねーけど、恋人になる奴がいろいろ気持ちよくなれるなんて到底思えねんだ。
ちょっとしたキスでさえこんな体たらくじゃ、その先なんてもうだめだ……。明るい将来なんざまともに考えられねえ。くそ。
湯気の籠もったユニットバスでくちびるを尖らせ、ため息をつく。
まったく湿気た話だぜ。つまんねえ。
そうだ、キスの相手が自分の手首だからいけねえのかも知れねーな。口にしないから一向に上達しねえんじゃねえ?
明日、風呂に浮かべるアヒルでも買ってくっかな……。
そうだ、こつこつ練習すりゃ、何もしないよりはいくらかマシになるかも知れねえ。努力に勝る天才なし、ってんだ。
◆◆
並盛商店街の中程、昔ながらの小さなおもちゃ屋の入り口を潜り、それを探す。
目的の黄色い相手は所在無くぐるぐる回った店の中、よくよく見ねえと気づかないような、ものすげえ端っこに置かれていた。
色褪せたピンク色をしたプラスチックのバケツに何羽ものアヒルが無造作に突っ込まれている。頭を帽子ごと成形されたアヒルは、ぺかぺかする塗料で要所を塗られて薄くホコリを乗せていた。
くすんだショーウィンドウの内側にはガンプラの箱がうず高く積まれていて、外の日差しがほとんど入らない。
薄暗い店内で脳天気な赤いくちばしを見つめて逡巡する。
やっぱやめっかな。でもな……ああ、もうこんなくだらねえことにちょくちょく悩まされんの、いい加減勘弁だろーが。
意を決して伸ばしたオレの指先が掴んだのは、ビニールで出来た黄色いアヒルなんかじゃなく、体温を持った人間の手首だった。
「……何、してんの」
不機嫌な低い声が予想外の至近距離に聴こえ、オレは飛び上がる勢いで驚いた。
「え、は、はああ?! て、てめー、ヒバリ……?!」
思わず掴んだ手首を放り出す。……おい。
「獄寺、隼人……」
おいおいおいおい冗談じゃねえ。
誰にも会いたくねえっつー時に、またすげえ面倒くさそうな相手に遭っちまった……?!
なんでこいつもおもちゃ屋なんかに居やがる。って言うか気配とか消して、ぬうっと現れて、無駄に素早い動きでアヒルに手ェ出してんじゃねえよ。
ヒバリがアヒルのバケツに手を伸ばしてたワケは知らねえ。が、うっかりアヒルを掴むつもりでこいつの手首がっちり掴んじまったオレも大概、タイミングが悪すぎる。
何となくヒバリに触れてしまった手のひらをホコリでも払うみたいにパッパッとはたいて睨みつけ、トンファーに備えるつもりで間合いを計った。
すると奴は意外にもご機嫌で、他愛も無いことをけろりと訊いてきた。
「君もアヒルを買いにきたの?」
「……う、うっせ……! てめーにゃ関係ねえ!!」
「奇遇だね。僕のアヒルは昨日、お腹に溜まってる湯を抜こうとしたら、破裂したんだよ。ちょっと摘んだだけなのに」
訊いてねえ。そんなこと一言も訊いてねえよ、今。
なんだオレ、こいつに風呂でアヒルを愛でる同類だと思われて慣れ慣れしく話しかけられてんのか? 冗談じゃねえ、一緒にすんな……って、むしろオレの方が用途が如何しいじゃねーか……!
ああ、ああもう、オレのがよっぽど変態だ。
今、キスする相手、その練習台を探してたんだからな……いい年こいて風呂の湯にアヒルを浮かべるコイツを責められる立場にねえ。へこむ。
こいつのバカ力に摘まれて、腹に溜まった水を撒き散らしながら思いっきり炸裂したんじゃねえかと思われるアヒル、その様までうっかり頭に浮かんじまう。なんだかすげえ不憫だ。もちろんこいつが哀れなんじゃなくて、原型さえ留めねえ、ビニールの残骸に変わり果てただろう罪の無ぇアヒルが可哀想だ。けど、オレに買われてくちばしを……その、下手なキスに晒されるアヒルだってどうなんだろう。
「悪いけど、このアヒルは僕が買うよ。君はこっちを買うといい」
そして人の気持ちなんか露ほども知らねえヒバリは、オレが本来掴むはずだったらしいアヒルを片手に鷲掴み、恐ろしく隙の無い動作で有無を言わさずオレの指をつまみ、勝手に手のひらを広げる。
つや消しの塩化ビニールの感触が手に当たる。適当なアヒルを握らされつつも、未だ葛藤中のオレはぽかんとヒバリの顔を凝視するしかなかった。
ジャッポネーゼらしい、赤くて薄いくちびる。
それが何故か得意げに口角を吊り上げる。
「こっちのアヒルはくちばしがきれいに塗られているからね。僕が買う」
ああ……?
そ、そうかよ。オレにしてみりゃ、んなことどーだって良いっつんだよ。
そう思いながらもヒバリのことばにつられ、誇らしげにヒバリが掴んだアヒル、その赤く塗られたくちばしとヒバリを見比べる。
ヒバリのくちびるは何だかこのアヒルと似てやがんな、なんてどうでも良いことを思う。
口を結んでる今ですら、文句言いたげにめくれかけたようなかたちだ。オレのくちびるのかたちとはだいぶ違う。
……あ。
かたちとかポーズって関係あんのか?! ま、まさか。
慌てて、自分のくちびるの輪郭をアヒルを持ってない方の手、その指先で確かめる。
そういや、あんまり意識してやったことはねえ。試しにヒバリの真似をしてくちびるを僅かに尖らせる。
指の腹と触れたくちびるの間で小さく微かに水音がした。
ちゅ、って。
「あ……!」
キスの音っ……確かに鳴ったよな、鳴ったぜ今!!
この要領でやりゃいいのか?!
眉間にぐっと力が入る。変に意識したせいで余計に力がこもり、ぎゅっと噤んだくちびるは裏返るほど尖りきる。
「……っ」
ぷ、と小さく吹き出す気配。
……うあ?
こいつ、まだそんなとこに居やがったのかよ。眼中になかったぜ。
「何? その顔」
「うっせえな、てめーこそいつまでもボサっと立ってんじゃねえよ。とっととレジ済ませて、好きなアヒル持って帰りゃいいだろ」
「そうだね」
その刹那、薄暗かった店内の景色が更に暗くなる。
避ける間もなく、両腕をきつく押さえつけられ、視界いっぱいに溢れる真っ黒な前髪。
何かがぼとりと床に落ち、転がって靴先に当たる。
……んな、何……?!
鼓膜を打った唐突な音声に、思考が麻酔でも打たれたみたいに痺れた。
ちゅっ、……って。
まるでスローモーションみたいに残像が網膜を焼いていく。
見とれるほどキメの細かい端正な白い頬、伏せられた真っ黒な睫毛がゆっくりと持ち上がり、僅かな光を反射してぬるりときらめいた黒目。
その漆黒の中にオレの呆けたような顔が丸く歪んで映る。
意外に整った黒い眉が少し寄せられて、もう一度角度を変えてヒバリのくちびるが重なる。舌が僅かに粘膜を撫でるみたいに接触したのを認識させるより速く、さっきよりは控えめな音と共にヒバリが離れた。
触れ合った感覚がざわりと微かに胸を騒がせる。けど、それを深く意識する間もなく、外気が冷たく濡れたくちびるを撫で、何事も無かったみたいに平熱を取り戻させる。
「……アヒルじゃないね。まるでタコだ。そんな顔で居たらおかしいでしょ」
「お……?!」
……おかしいのはてめーだ!!
叫びたいのに声にならない。
オ、オレの……生まれて初めてのキスがヒバリに食われた……!
こいつキスの仕方知ってやがる? しかも映画みたいに、腹立つくらい上手くやりやがって、ああもうなんだ、キスって意外に呆気ねえ! オレの悩みは何だったんだ!!
胸に溢れかえることばが一度に口を割ろうとして、驚愕と怒りと変な感傷に顔面全部がかあっと熱くなる。
オレの皮膚は変に生っ白いし、薄くて顔色が変わりやすい。それがこんなに恨めしいと思ったことはねえ。
慌ててそのまま俯くと、くちばしをキレイに塗装されたアヒルが一羽、床に転がったまま虚しく宙を見つめていた。
◆終◆