1859text-3 短編いろいろ

□強さの証明
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身体の節々が熱を持って、灼けていくみたいだ。
複雑な形に腫れあがった骨が絶望を訴える。

でもまだ意識がある。戦える。

――ヒトの脳は、実際持ち得る能力の数パーセントだって活かせていない。

思念、それは口から溢れて他者に影響を及ぼす以上に、本当は自分の身体へも影響を及ぼす、絶大な力を持っている。

――だから自分が信じて思う限り、身体は生き続け、動き続ける事が出来る。


ヒトの身体は意外と死ににくいものだ。


どんなに出血し、内臓を抉られ、骨肉を粉砕されたとしても。
その直後から、誰の手を借りなくても、破れた血管は速やかに修復を始めている。
破壊され、失われた部位は、それを補うかたちに生まれた新しい細胞によって、ただちに欠損を最適化していく。
身体が傷つけられた瞬間から遺伝子は、その二重螺旋に刻まれたあるべき生物の設計図に従って、命を繋ぐため、劇的に活動している。

――だから元通り、いや前にも増して、力強く動けることを確信していい。

その自然が与えたサイクルを、身も心も信じ切れた瞬間、それは自信となって脳内を活性化させる。
賦活された脳は細胞に酵素とエネルギーを与える指令、ホルモンを分泌して、奇跡のような回復を現実にするのだ。

――むしろ奇跡なんて、存在しない。

元から備わる能力に気付かず、脳を暇にさせている人間が多すぎて、その上群れ合っているうち、能力の限界を凡庸なものに勝手に決め付けてしまっただけだ。


痛み、違和感、不安、それら迷いの雑感全てを打ち消し、自分に与えられた自然の力を信じること、

――生き抜くこと。


◆◆◆


どこか遠くで覚えのある、声がしている。

癖のあるハスキーボイス。
この声は嫌いじゃない。

日本人が生まれ持つ色素にはあり得ない、銀鼠の髪、白い皮膚。

――この僕に凄んで見せた、エメラルド色の黒目。

彼が三白眼で睨むと、濁りのない白目は青みがかって、まるでどこかの湖の底を覗いたみたいな気分にさせられた。

血の気は多いくせに、どこか静謐な色あいで彩られた、獄寺隼人という名前の転校生。


物の壊れる音、瓦礫を踏み付けて走る音。
コンクリの上を右往左往する足音は二対だ。

雲雀は胡坐を半分かいて立てた膝の上、組んだ両腕へ頭を寄り掛け、瞼を閉じて身体へ休息を与えていた。
しかし地響きのする轟音で、浅い眠りから揺り起こされる。

「しぶてーんだったな、こいつで果てな」

間近く聴こえた彼の声。

――誰かを、獄寺隼人が葬ろうとしている。

既に雲雀の怒りは、この建物――黒曜ヘルシーランドに巣喰う者全員を仕留めなければ、気が済まないレベルにまで達していた。
しかしそれを彼が代行する事については、容易く了承が出来る。

消えない苛立ちは後で、獄寺隼人を咬み殺せば解消されるだろう。
そもそも彼にやられる程度の者、自分で咬み殺す程の価値も無いと言えた。

「――がッ!!」

何故か、彼のとどめを刺そうとしたはずの攻撃の音は一向に聞こえてこなかった。

苦悶に呻く声、それは獄寺隼人が発するものなのか。

その上、代わりに雲雀を苛つかせる癖の強い喋り声と足音が一対、余計に増えている。
階段を踏み外す音が聞こえた。


「――ヤラレタ! ヤラレタ!」

ふくら雀のような、種類のわからない小鳥が小窓に舞い戻り、余計な事を鳴き声で報せて来る。
本当なら今少しの間、休んでおきたいところだったのに。


――獄寺隼人の白い皮膚に、紅く血が滲む様は見ていられない。

うっかり日本人の血色の尺度を以って判断してしまうと、彼の顔色はやたら心臓に悪いものだった。
その皮膚の下に通う血の色を日本人のそれよりも率直に示して、表情と共にすぐ朱に染まったり、青褪めた色へ変わる肌の色。

しかし傷つけると出血の色だけは誰とも変わることの無い鮮やかさで、生々しいコントラストを滴らせた。

そしてすぐにメラニン色素が生成され、やがて傷口が茶褐色に変色していく日本人とは明らかに違う、獄寺の傷が治りかける際の経過。

それはやけに煽情的な赤みの差した、どこかエロティックで喰らいつきたくなるような肉芽を形成した。
雲雀が付けた傷、顔面を殴った時に切った傷跡があまりにも婀娜っぽく、思わず犯してしまおうかと思った事さえあると言うのに。

そんな罪深い色彩を、一体誰の前で露出しているのか。

雲雀の篭った狭い部屋の中からは見えない、それでも近くに居るらしい、獄寺が対峙する相手が許し難い。

目を開けて、額を腕に付けたまま、雲雀はそんな理不尽な怒りと、ゆらぐ感情を感じた。


手懐けた小鳥が歌っている。
雲雀の学校、その校歌。

「へへ……、へへへへ……」

弱々しく雑音を含んで掠れ、途切れがちな声が嗤っている。

「へへっ……うちのダッセー校歌に愛着持ってんのは……
おめーぐらいだぜ……」

搾り出すようなそれは腹、あるいは胸を負傷しているのか。

爆発、仕切り壁が崩れ落ちる音と共に、伏せた雲雀の頭上へ、急に外の光が差し込んだ。
暗闇から突然に目を射るそれが、煩わしい。
しかし呟かれた名前に瞬くこともせず、ただ無言で面を上げてやる。

割れたガラスの合間から、矢の如く投げ掛けられる日差し。
空気中を舞う微塵が細かに陽光を弾いている。

それらが全て消し飛ぶような錯覚を思わせて発散された殺気の主を、獄寺が虚ろに見遣って呟いた。

「……元気そーじゃねーか」

獄寺の胸元を、どす黒く染める紅。
雲雀の許可なくして、口の端からも溢れさせられたその血の色が、網膜を灼いていく。

脳裏を怒りと血の色で、真紅に染め上げられていくような感覚。

手足に血が集まり、筋肉が強張って、その硬さをどんどん増していく。
ひび割れ、折れた骨の痛みに挫けそうになる雲雀の足許を、常識を超えた気力と筋力が支持する。

「……自分で出れたけど……まあいいや……」

「へへっ……」

――強がりやがって。

もはや口を開く元気も無いのか、にやりと口許で嗤って見せただけの獄寺には、これが本当にただの強がりにすぎないものなのか、教えてやらなければならないだろう。

群れて生きる者とは異なる、絶対の力。

獄寺隼人、君を傷つけた輩を今すぐ咬み殺して――見せてあげる。


◆◆◆


「お前……ターミネーターみてーな奴だな……、ヒバリ……」

結局、獄寺に手疵を負わせた二人はそれぞれ、雲雀のトンファーを受けてガラス窓を突き破り、廃墟の階下へと吹っ飛ばされた。

獄寺は階段を落ちた窮屈な体勢のまま、それ以上身動きする事は出来ず、その必要も無かった。

ヨーヨーのかたちをした武器、ヘッジホッグの針すらろくに飛ばす暇を与えず、無駄に駆け回る事も一切しないで屠った、圧倒的な力。
雲雀はあれだけ獄寺と山本を煩わせた相手を、手負いとは言え鮮やかに、一瞬で片付けてしまった。

血まみれのまま振り向くと、雲雀は階段を踏みしめるように一段づつ、ゆっくりと無言で降りて来た。
スニーカーの踵が引っかかった一段上にその足を止め、仰向けの獄寺を見下ろしてくる。

逆光を浴びて表情のよく見えない雲雀が、不気味な沈黙と共に獄寺の上へ、長く影を落としている。

「……よく判ったね、僕がここに居るって」

「へっ……お前そんな所に止まってないで、こっち来いよ……ヒバリ」

説明するのも面倒な風情を装って、獄寺は動けるうちに渡すべきものを渡してしまおうと、重い腕でポケットを探った。

薄い紙袋。
『内用薬』とそっけない印刷の枠内、サクラクラ病、なんてふざけた名前の厄介な病名を書かれたそれ。

袋を開け、薬にしては妙に大きな、飲んだところでおよそ消化出来そうに見えないプラスチックのカプセルを取り出した。

雲雀が倒れた獄寺の右側、頭の脇に注意深く膝を落とす。

「もっと……側、寄れって」


◆◆◆


まるで豆鉄砲を喰らったような表情で、意味を量り損ねた雲雀は、更に獄寺の顔を間近く覗き込んだ。

負傷に乱された呼気を真近に感じる。

そのまま、吸い寄せられるように雲雀は獄寺の口の端にくちびるを寄せて、喉元に向かって流れた血液を舐め取った。


「ちょっ……何してんだっ」

「中腰じゃ長くいられない」

本音のような嘘を吐いて、雲雀は獄寺の額に頭を寄り掛け、満身創痍の身体を獄寺に重ねた。
整った顎のラインを汚している、まだ乾ききらない紅い筋に舌を這わせていく。

雲雀の舌に絡む、鉄と塩の味。

首筋までそのまま舌で辿るように移動すると、不意に獄寺の身体の微かな匂いが立ち上って、体温が上がったらしいことを知らせてきた。
舌先が触れる薄い皮膚の下、獄寺の血管の脈打つ間隔が急に早くなる。

慌てたような獄寺が、小さなカプセルを器用に割って、夏場に珍しくない耳障りな羽音を唸らせながら小さな蚊が雲雀の首筋に止まった。

か細い口吻による投薬は、ほんの一瞬の事。
雲雀の僅かな血液と、拮抗病原体の混じった蚊の体液が、雲雀の皮膚に突き立てられた、蚊の細長い口を経て入り混じる。

やがて小さな施術者はふわりと舞い上がり、その生態を利用した一通りの治療が終了したことを知らせた。
視界から素早く飛び去った蚊はあっという間に景色に紛れて見えなくなる。

「い……今のがっ……、シャマルの飼ってる蚊だ……、もう、離れろっ」

「ふうん……」

雲雀は真っ赤になった獄寺の、差し出した薬袋の文字を改めて確認する。
その文言を素直に信じるなら、これであの面倒な症状は治癒した事になるらしい。

とくとくと脈打って発熱する獄寺の首筋に、胸元の傷の深さが気になって、雲雀は覆い被さった体勢のまま獄寺のシャツの首を引き上げた。

底の見えない奥まで達し、黒い血を流し続ける傷。
相手の指の径と長さに相当するだろう、幅と深さを持った爪跡。

それが獄寺の心臓を潰したり、その付近の血管を傷つけられたのだとしたら、もはやとっくに絶命していておかしくない時間が経っていた。
勢い任せの動物的な攻撃を繰り返す敵、胸の深手は心臓を狙ったものではなく、偶然に胸元へ当たっただけなのかも知れない。

この白い身体に勝手にそんな痕を残していった、先程吹っ飛ばした敵に止め処無い憎しみが湧いてくる。

むしろ嫉妬とも言っていい。
叶うものなら、雲雀の指先でこんな風に獄寺の身体を蹂躙してやりたい程なのに。

そのままシャツの首の中へ頭を突っ込もうとした雲雀は、獄寺の手に髪を引っ張られて止められたから、おそらく急所は外しているのだろう。

「お、いっ……! 何しやがるっ……!!」

「治療には礼を言うよ。僕も君の傷を診てあげられたらと思ったんだけどね」

「医者でも無いくせに何抜かしてやがる! そんな元気があるんだったら、オレを10代目の所まで連れて行きやがれ……っ!!」

「……わかったよ」

獄寺の申し出に、素直な返事を返してやった。
どんなことであれ、他人へ借りを作るのは雲雀の性に合っていない。

沢田綱吉の元へ彼を運ぶのは腹立たしいが、この調子では、放っておくだけ、並中生がどんどん犠牲になるだけだろう。

――あいつは、必ず咬み殺す――。

ジグザグに分けた髪、跳ね散った後ろ髪の、変わった片目の色に数字の「六」を映した、おかしな奴。

獄寺が呻くのも構わず、脇の下から肩を差し入れ、雲雀は一気に力を込めて持ち上げた。

「――ぐあ!! 痛ってぇ――!」

「……耳元でうるさいな……黙ってなよ」

骨折した人間に支えられて運ばれるなど、獄寺は知ったらどんな顔をするのだろう。
雲雀は思わず笑い出しそうになるのを堪えながら、痛覚を無視し続けて、綱吉と骸の元へ急いだ。

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