1859text-3 短編いろいろ

□To The Moon And Back
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 ……子どもの世話なんて冗談じゃない。

 雲雀はため息を吐いた。
財団の施設から、その長たる自分が実質追い出されているとは。いったいどういうことだろう。

 あまりにもバカバカしい状況にムカついて、誰でもいいから出会い頭に咬み殺したいほどの悪い気分だった。
暴れたいのなら、怒りを感じている当の本人に向けてやればいい。
しかしそれを解っていながらする気にもなれないのは何故か。……多分、獄寺がどこかでそれを望んでいるのを知っているからだ。

 自分の技が一向に完成しない――自分の手持ちの匣さえまともに開けられない、15歳の獄寺。
 
 か弱い生き物は自分を追い込み、責め続けて、しかし目の前にある障壁を打ち破るには至らない。
群れの仲間と顔を合わす気力まで無くしたのか、雲雀の居所に押しかけて……要するに、甘えてきたくせに。

 声を掛ければ怒る、叫ぶ、暴れる、それはもう駄々をこねる赤子に等しい。
そうして彼はいま、財団施設の雲雀の私室に引き籠もっているのだった。

 お遊びに付き合っているほど暇じゃない。
勘弁して欲しいのは山々だったが、渋々ボンゴレアジトに繋がる廊下を歩くうちに、雲雀はふと約10年前の自分を思い出した。

 そうだ、この時代の施設には何かが足りないと思っていたのだ。

 並中にあって、アジト一帯に存在しないもの。
地下建造物には屋上がない。

 屋上から眺め下ろす下界はまるで、ミニチュアの玩具のように小さく映っていた。

 ふと自分の力について省みるとき、雲雀はいつもその小ささと己の手に持った武器を並べて比較したものだ。
遠近法も手伝って、トンファーを握る腕のひと振りでくしゃりと潰せてしまいそうに微細な、街並み。

 実際、街を潰そうと思えば降りて行けばすぐにも出来た。そして潰すことより、つくることの方がひどく面倒がかかる事も知っている。
だから雲雀は並盛の町を守ろうと思うのだ。

 高いところから見下ろすことは自分を知るのに必要な作業だ。

 叶うものなら、あの子を部屋から引きずり出して、あの校舎の屋上――給水塔のてっぺんまで連れていってやりたい。
何物に遮られることもなく、吹き抜けていく爽やかな空気。あの風に当てておいたら、近視眼で熱しすぎの頭もちょっとは空冷されたりするんじゃないだろうか。


◆◆


 青い畳と白木の匂い。何かと四角ばっているのが獄寺には異質に見える、純和風の室内。

 すらりと身長を伸ばし、いつの間にか男の色気を纏っていた雲雀の気配が部屋のそこかしこに色濃く残っていた。
だらしない格好で寝そべっていても肩の力を抜くことが出来ない。まるで見張られているみたいだ。

 獄寺は畳の縁に身体を投げ出したまま、脇に散った幾つもの開かない匣に目を遣った。もちろん開くような気配は見せない。
それを確認して、獄寺は指に嵌まった指輪を抜き取って投げつけた。い草の上を弾んで転がったリングがちらりと光を反射し、無様な自分をあざ笑う。

 くっそ……!

 苛立たしい。何もかも壊してしまいたい。

 この身体も匣も指輪も全部火にくべて燃やし尽くしてしまいたいような、そんな衝動的な気分だった。
もちろんそんなことを10代目は望んでいないし、口にも出せない。
だからこんな捨て鉢な自分の素顔を見られたくなくて、誰にも会いたくなくて――誰も好いてなさそうな奴のところに来てしまったのだ。

 そして案の定、雲雀はこんな獄寺のペースに巻き込まれてくれないばかりか、呆れたような一瞥を寄越したきり、部屋を出ていってしまった。
おかげでぽつりと取り残された和室の床、獄寺はひとしきり暴れ狂い、それも一段落して畳に大の字に伸びている。

 雲雀に何かリアクションを欲したわけじゃない。そんな都合の良いことなんて、ない。

 仰いだ天井の突き板に描き出された木目を視線で辿る。雲雀の行動はよくわからない。脈絡がない。でもまったく得体の知れないものとも違う。
輪切りの板に急に浮かび上がる丸い輪の模様、幹が別れて出来た枝の年輪のかたちにも少し似ているかもしれない。

 実は期待していたのだろうか。

 柄に合わない、優しいことばを掛けられることを。
あるいは冷たく視線とことばで罵倒されることを。

 他の誰にも会いたくない時の孤独を、雲雀なら解ってくれる気がしていたのは否めない。
そしてこの苦しさを知っているかも知れないと思った、それだけだ。
癒されるなど思ってはいなかった。別に突き放されたって痛くも痒くもない。

 不意に襖、そのかたちを模した頑丈な財団施設の扉が、滑らかに開いた。

 いまし方思い描いていた人物の黒髪が揺れる。出ていってしまったはずの雲雀が急に、再び気配をあらわして、視界へひょこりと覗いたことに獄寺は戸惑った。

 そして僅かに――本当に、ちょっとだけ喜んだ。

 もちろん雲雀に構われたのが嬉しいわけじゃない。
想像した人間が現実にあらわれた偶然に、ほんの少し世界が儘になったような気がした。出来事は本当に些細でも、気分がちょっとだけ晴れた。

 だから続いて掛けられた声に、妙に素直に頷いてしまったのだと思う。

「獄寺隼人、行くよ」

「……? どこへ」

「屋上」

「……お、おう」


◆◆


 どこまでも青く遠く、広がる空。

 深呼吸して、手にした空気からこの空の彼方まで、同じ空間が繋がっていることを実感する。

 大気を構成する無数の分子が均一な密度で並び合い、その間を揺らして風が吹き抜けた。
ふと自分の身体が宇宙の神秘で出来ていることを思い出し、姿を認識する。

 抱えた問題も自分も悩みも、この大空の広さに比べたらまったく小さすぎた。
芽を噴くように湧いた万能感が、指先から身体の内部、脳の髄まで波及する。

 こうやって、屋上に上るのも久しぶりだ。

「いい、ここへは一人で勝手に来たらだめだよ。いまの君は匣さえ開けられない。弱いから」

「……せっかくいい気分なのに……余計なこと、言ってんじゃねえよ」

 アジトの外は危険に溢れている。

 それでも雲雀はリングを鎖で縛り付け、こうして並中の屋上まで自分を連れ出してくれた。日頃の雲雀には随分似合わない計らいだ。
道中で何かあったら全部自分ひとりの力でどうにかするつもりだったのだろうか、手には今もトンファーがしっかり握られたままだ。

 こんな風にいいタイミングで外の空気なんか吸わせてくれるから。

 雲雀との間を吹き抜ける清々しい風が身体に肌寒く、染みたりする。

 ――何も思わないのなら、放っておいてくれればよかったのに。

 獄寺は雲雀の顔を振り向いた。

「いまの君に、一人で倒せる相手なんて……この世界には居ないからね」

 遠くまで油断なく注意する気配、彼方を見つめる瞳。その心はここに無いような風情だった。
獄寺のことなんて、小さな葛藤なんてまるで存在しないかのように、超然と佇んでいる。

「僕が居るときだけにしてよ」

 ……もしかしたら、わざと言っているのかも知れない。

 そんな風に曲解したくなる気持ちが、確かに胸の底へ息付いてしまっている。

 わかっていた。

 きっと雲雀の部屋に来る前からきっと、こんな気持ちと向き合う日が、いつか来たに違いない。

 しかしここで雲雀にこれ以上、くどくど言わせるのは癪だ。
そう、黙らせておきたかったから。理由としてはそれで充分だった。


◆◆


「雲雀」

「……」

「なあ、雲雀」

「……何」

 こぼしたミルクはカップに戻せない。

 一度口にしたことばは、無かったことに出来ない。

「賭けをしようぜ」

 それと知りながら、つんと尖ったくちびるの先を睨んで声にする。
触れる相手――雲雀のそれを求めて止まないくちびるが紡ぐのは、後戻りの出来ない所へ獄寺自身を追い込む、ことば。

「オレが匣を開けられたら、お前がオレの爪先にキスをする。オレが匣を開けられなかったら、オレがお前にキスをする」

 静寂が耳を打つ。

 宇宙から降り注ぐ光線が、身体を通過していく。
そのまま空の中に解けてしまいそうに思えるような、長くて一瞬の時間。

 身動ぎひとつ出来ない沈黙の中で気温が少し、上がったような気がした。

「いいよ」

「……っしゃ! 見てろよ……」

 獄寺は照れ隠しに両手でガッツポーズを取った。

 こんなことで一個も匣は開かないのに、まるで全部、今すぐにも開いてしまいそうな錯覚、気力が漲る。

 放熱するような頬の火照りを、風が早く吹き抜けて、冷ましてしまえば良いと思った。
およそひとまわり年上の雲雀がいったい、どんな表情でそんな返事を寄越したのか見てみたくて、恥ずかしくて――結局振り向くことさえ出来ないまま、逃げ出すように給水塔を滑り降りた。


◆◆


 よく判らないうちに、とんでもない約束をさせられた気がする。
 
 獄寺が匣を開けても開けなくても、結局どこかにくちびるを触れないといけない。
そんなくだらない賭け、言い慣れた拒絶のことばできっぱり断っていいはずだったのに。

 俯けた頭、戦慄く銀色の毛束の先に見え隠れする、白桃みたいな頬。
その薄赤い顔色が気になって、うっかり承諾してしまった。

 そして雲雀の返答を聞くなり眼下に駆け下りた獄寺はなにか、屋上の床でシャドウボクシングとも素振りとも付かない謎の運動をしている。

 ……15歳の君はなんだか今より、ませてる気がするよ。

 空を見上げて雲雀は呟いた。
自分が頭を冷やす側になろうとは、まるで思っていなかった。


◆終◆

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