1859text-3 短編いろいろ
□サウンド・オブ・ミュージック
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◇サウンド・オブ・ミュージック◇
「ピアノのしまい方が判らないんだ、来て」
吹き付ける風と轟音の中、差し伸べられた手の意味を受け取りかねて、獄寺は柳眉を思い切り顰めた。
急場なので戸惑いながらもしっかりヒバリの手を取り、縄梯子につま先を掛ける。こんな時にこいつはいったい何を言い出すのだろう。
獄寺の背後には総量1トンもの段ボール箱に入った早ゆでパスタとレトルトパウチのソース、エビアンのダースパック等が整然と詰まれて空輸を待っていた。
並盛町で大規模な地震があったのはつい先週末のことだ。
イタリアを訪れていた獄寺はその一報に驚愕し、EU近隣諸国からありったけの食料と生活必需品をかき集めた。
しかし並盛へアクセスが可能な空港はターミナルビルの損壊によって閉鎖され、ジャッポーネの自衛隊のみが使用できる状況となっており、直後の物資支援は止むを得ず見送りとなった。
機を見て出来るだけ早期に救援物資を送るつもりだった矢先、並盛に居たヒバリが突然ヘリコプターで現れたので、獄寺はてっきりモノの搬送を実施するものだとばかり思っていたのだが、ヒバリのヘリはごく小さく、救援物資が載るどころか、ヒバリと獄寺が乗るのが精一杯に見える。
「いいから君に来て欲しい。すぐ」
「って言われても……」
自分にいったい何が出来ると言うのだろう?
ピアノの収納など、この際どうだっていいことでは無いのだろうか。
水は、食料は、衛生用品は足りているのだろうか。住民が避難する先、脚を伸ばして安眠できるような備品は足りているのだろうか。獄寺は気が気ではなかった。
ヒバリに強く腕を引かれ、ともあれ獄寺はヘリの中に乗り込み、被災地の中心――並盛町へと飛び立った。
◇◇
並盛中学校の体育館には、避難してきた地元の住民が所狭しと詰め込まれていた。
その混沌とした状況に息を呑みながら、獄寺はヒバリの上着の袖を引っ掴んだ。
「おい、ピアノとか言ってる場合じゃねえだろ、少しでもスペース広く使って……」
「だからピアノがじゃまなんだけど、置き場所に困ってるんだよ」
「あ……」
体育館の舞台の手前に、年期の入ったグランドピアノが置かれていた。卒業式の時に旅立ちの歌を唄った際、音楽教員が弾いていたのが思い出される。
脚部のキャスターには動かないよう輪留めがしてあるものの、激しい余震が襲ったらピアノの重量だけに走る凶器となりかねない。確かにこれは困り物だ。
「お前の仕込みトンファーの鎖って何メートルあるんだ? あれでピアノの脚を壁に括っとけば良いんじゃねえか?」
「ああ、なるほどね。でもトンファーを刺して壁に穴を開けると壁が崩れないか心配だよ」
「ちっ……仕方ねえな、確か音楽室、この階にあったよな。そこまでこれ、キャスターで転がして運ぶから、お前も手伝えよ。お前そっち側押せ。せーのっ」
「ん」
キャスターが嵌まり込んでピアノの位置を固定している、丸い円盤状の輪留めを外してピアノを体育館の鉄扉に向かって押していく。
避難住民のひとりらしいの小さな子どもが、そんなヒバリと獄寺の姿をじっと見ていた。
キャスターが左右に回転しないよう、注意を払って押していく。ゆっくりとピアノを押しながら、獄寺はその子どもの視線に気が付いた。
退屈と余震の恐怖の間で、所在なげに揺れる瞳。
子どもは楽器が好きだから、ピアノを片づけてしまうのが嫌なのかも知れないな、なんて頭の隅で考える。
オレに出来ること。
照明さえも覚束ない、この殺伐とした喧噪に包まれる避難所の中で、オレに出来ること。
ピアノを片づけて住民の寝床を増やすことは出来る。
「……」
でもあの子どもの不安を、傷ついた心を癒すことはきっと出来ない。
「ヒバリ、ちょっと待て。ピアノ押すのちょっと待て」
「?」
獄寺は舞台の手前まで押してきたピアノを止め、ヒバリにそっと耳打ちした。
獄寺の小声に頷いたヒバリは輪留めを再びピアノの脚に噛ませて一旦固定する。
獄寺は体育館の隅に取り残されていた椅子を運び、グランドピアノの前に腰掛けて、おもむろにピアノの蓋を開いた。
細心の注意を払い、右端の白鍵から柔らかな音色が奏でられるように、ゆっくりと順番に鍵盤を押し込んでいく。
こぼれ落ちる水のような、静謐なメロディが優しく流れ始めた。
良く知られた旋律にヒーリングテイストのアレンジを加え、獄寺は指先に神経を集中させ、ありったけの気持ちを込めた。
人々の話し声、生活雑音、喧噪が束の間、水を打ったように静まりかえってピアノの音だけが体育館を満たしていく。
どうかこの土地に居る全ての人の心が少しでも癒えるよう。
少しでも、心の支えになるように。
旋律は徐々にジャズピアニスティックに、軽快なリズムを刻み始めた。
複雑な和音を奏でながら、その節に合わせてヒバリが、小声で唄い始めた。
曲目は誰もが知っている、ドレミの歌だ。
威勢よく2番の歌詞に突入して、ヒバリも獄寺も声を張り上げて唄った。
どんな ときにも
列を組んで
みんな たのしく
ファイトをもって
空をあおいで
ラララララララ
しあわせのうた
さあ うたいましょう
気が付けばピアノの行方を見守っていた子どもも、周りの大人も唄っていた。
繰り返し、同じパートにアレンジを加えて軽快に弾き続け、ひとしきり演奏が終わると、どこからともなく拍手が起こり、獄寺は顔を真っ赤にしながらヒバリと一緒に輪留めを外して体育館の外へピアノを押していった。
◇◇
「なかなか粋なことするじゃない。君独り連れて行ったところでピアノの片づけしか出来ないと思っていたけど、今のコンサートは良かった」
「っせえ! 照れるからそーゆーことは言わなくていい!」
「また、時々弾きに来てよ。今度は物資も一緒に輸送できるクラスの旅客機を準備するから」
「てめえ……そういうのあるなら初めから使え!」
「近隣地域から物資を運ぶのに使ってたんだよ。まずは近場から輸送路を整えていかないと。初めは何だって混乱する。でも、この混乱は絶対に終息させるから、僕を信じてもう少し待っていて。順番に整えて、みんなを守るから。元の生活を取り戻すから。必ずね」
「お、おう……、約束だからな!」
ヒバリは並盛に残ると言い張った獄寺の申し出を固辞し、イタリアに戻るよう獄寺へ言い渡した。
後ろ髪を引かれる気持ちは山々だが、現地で出来る支援と、現地ではないからこそ出来る支援がある。
天災はいつどこで起こるか予測が付かない。だからこそ、現地から離れた場所で暮らす者は、日々の暮らしを普通に過ごして、いざというときに様々なかたちで支援が出来るよう、いつも通りに経済を廻す事が大切だ。株価やユーロ・円の乱高下も避けなければならない。
「ケガしたり、ケガ人増やしたりすんじゃねーぞ! ヒバリ!!」
「君も無茶しないでね」
草壁が操縦する風紀財団のヘリは獄寺を乗せて、再びイタリアへと飛び立っていった。
◇終◇