1859text-3 短編いろいろ

□花火
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今夜も30℃超えの熱帯夜。

こんな気温で、人いきれの中掻い潜って、背丈の余ったような野郎共の肩越しに、ビルと高速道路で四角く寸断された空なんか見上げて、温いビールに固くなった焼き鳥なんざ、本当やんなっちまうだろ?

川沿いにそびえるボンゴレ所有の高層ビル屋上には、目障りなフェンスがない。

川の中ほどに設営される花火会場がよく見え、法被姿の職人が筒の周りを忙しそうに行き来している。東の空の端がうっすら群青に染まり、そろそろ開始の時間も迫ってきた。網目のような往来では、足並みの鈍った行列が川縁に沿って凝り始めている。

氷水にビールのロング缶を並べたクーラーボックスと、備長炭も準備万端のバーベキューコンロ。

串を打った地鶏の下拵えも完璧な状態で取り寄せました!

ああ「うわあ凝り性だね、獄寺くん……!」とか呆れられても良いので、そのお声を拝聴したかったです、10代目。

今夜はジャッポーネで一番有名な花火大会。
オレ、おもてなしがんばるつもりだったんですけど……!

10代目と二人っきりで花火見るとか。
右腕というポジションの部下にとって、そんな大それた願いが簡単に叶うとは、さすがに思っていなかった。
しかし直前にEUでテロがあったから、ちょっとイタリアまで様子見に行ってこい、なんてリボーンさんから超ピンポイントな出張を言い渡されるとも思ってみなかった。今日になって突然、オレは留守を任された。

さりげなく事前にスケジュール調整入れて、オレと10代目の二人だけ花火大会の会場近くでミーティング後、夜メシ食べる予定にしてたのに。
残念だ。さすがに浴衣まで着なかったけど、実はかなりあれこれ周到に用意していた。まるっきり水泡に帰すってやつ。

これからはじまる音と光のファンタジー。
こうなると独りきりで満喫するしかない。

まあ不味くないモン調達したんだし、下界の混雑からは隔離されてるし、たまにはいいのか? 息抜きみたいで。
そろそろ開始か、テレビ生中継のヘリが増えてきやがったな。なんかペラの羽音、すっげー耳障りだ。つか、なんだ、どんだけ低空飛行しやがんだ。

まさか自爆テロじゃねーだろうな、と空を仰ごうとした先、目前にぱらりと縄梯子が落ちてきた。

「え?」

明滅するライトが眩しい。

突如激しくなった風圧と轟音が感覚を圧倒する。
高度を急速に下げた黒塗りのヘリコプターがホバリング、つむじ風が湧き起こった。
思わず腕で庇った視界に、逆光を纏うスラックスと磨き上げられた靴が入る。

「……」

「先客とは、ね」

コンクリを踏む音がして、低い声が耳元に吹き込まれる。

「うっわ!」

思わず肩を竦めて仰け反った。

ヒバリか!

アレか、バカと煙は何とかってやつか!
祭り好きのこいつも、この絶好ロケーションの屋上を狙ってやがったか!
よく見たらヘリコプターの横っ腹には、パールホワイトの行書体で『風紀財団』って書いてあった。扉が開いたままの機内には、草壁と思しいリーゼントの人影が見える。

ごく自然な所作でクーラーボックスへ屈み込み、ヒバリは勝手にビールの缶を掴んだ。プルトップを指先で引っかけて開栓し、口許へ運ぶ。

再び上空へ舞い上がる、ヘリのライトが横顔の輪郭を照らした。
カラスみたいに真っ黒な髪がふわりとなびく。相変わらずのツリ目。手を入れてる感じもしないのに、眉はすっきり整ってるんだよな。

帰ってきた熱帯性の高気圧と逢魔が時の静寂。
微かなホップの香り。

規則正しく喉を鳴らす音が温い空気を震わせる。

くっそ、10代目に差し上げるはずだったキンキンのビール、美味そうに飲みやがって。

横目で睨むと出し抜けに、水滴のついた新しい缶が頬に押しつけられて、オレはまたもや仰け反った。

「そろそろ始まるよ」

いつの間にか目を凝らさないと見えなくなっていた花火師が、会場の筒から急いで離れていく。

入れ違い、空を切り裂いて打ち上がった弾が頭の遙か上で炸裂した。
腹の底に染みるような音が響き渡る。
思わず釣られるみたいに空を見上げた。

あー、10代目。
今頃仕事してんのかな。

特別親密になりたいとかどうとか、小難しいこと願ってたんじゃなくて。
ただオレは単にこの絶景を、一番大切に尊敬しているボスと共有したかっただけなのに。

なのに。

「この手はなんだ!」

なぜか背中から肩を抱かれるかたちに回った腕に、オレは怒鳴った。

「そうやって小動物みたいに吠えるのはやめなよ。風情がなくなるから」

引っ剥がそうにもバカ力で取れない。
オレはそのまま有無を言わさずキャンプ用のテーブルセットのイスに着席させられ、ヒバリは隣にイスを引きずってきて、無理矢理握らされたロング缶に自分の缶をがつんと当ててくる。

「花火見に来たんでしょ」

「……!」

なんでこんなやつと見なきゃいけないんだ、花火!

渋々開けた缶に口をつけ、自棄になりながら苦い炭酸を呷った。
ああもう流し込んじまえ、理不尽も怒りも、ヒバリを力で押し返せない悔しさも……!

立て続けに爆音と、オレが使ってるのとは少し違う種類の火薬の匂いが仄かに漂った。

出来るだけヒバリを視界に入れないようにと見つめた闇の中、無数にきらめく星が拡散していく。
ビルから少し離れた地点に設営された第二会場と呼び合うように、また連続して花火が上がった。


◆◆


どこか原始的な記憶を呼び覚ますような、身体深くまで響く音。
ぱっと散った花火が、つやつやした銀色の髪の上へ輝く色を落としていく。

「君と花火を見るのは面白いね」

見つめた先、大きな翡翠色の瞳に、赤、金、紫、次々に咲いた光の花びらが映り込んだ。

花火の音が胸を打って、鼓動がリズムを乱していく。

そんな些細な現象になぜだか動揺しそうになって、気を紛らわそうと巡らせた思考が、遠い記憶をひっぱり出した。

「……カメレオン」

「は?」

獄寺の頓狂な声に遮られながらも、思い出すまま、ことばを続けた。

「カメレオンが月を見てたら金色になっちゃう歌があってさ」

「……は?!」

「……」

……で、なんだっけ。

なんで金色になっちゃったんだっけ。
どうして今、そんなこと思い出したんだっけ?

獄寺が眉間を思いきり顰めながら、しかし興味もあるらしく、真っ直ぐにこちらを見ながら小首を傾げている。話の続きを待っている。

花火の光が差さない角度を向いたせいで、獄寺の瞳の色は宵闇に置かれたエメラルドの色をしていた。

思わず、なんと言ったらいいのか判らない気分がこみ上げた。

「……」

衝動のまま両手を伸ばし、獄寺のこめかみを固定して、ぐっと近くに引き寄せる。
白い顎を掴んで掬い上げるとようやく、夜空の紺碧が色素の薄い目の中に映り込んだ。

続け様に花火が打ち上がり、瞳の中を星が染めていく。表面でぼんやりと輪郭を滲ませて、僅か、七色にきらめいた。
目の縁が濡れたように赤い。

その、星の色をした瞳を独占したい。
胸が波立ちそうな動悸にめまいがする。

身体の軸がぶれそうなくらいに早鐘を打っている。
押さえたままだった獄寺の肌まで急激に熱を持ち、拍動さえ感じる。

花火の音が、ひどく遠く感じる。

吸い寄せられるようにして獄寺の顔に被さり、熱い頬を手のひらで撫で、薄くくちびるを開いた。
潤んだ瞳に舌先を這わせ、なめらかな眼を注意深く味わう。

「……っ!」

カメレオンは、月を食べてみたかったのだった。

どんな味がするのか舐めたくて、でも舌が届かなくて、その願いは最後に月の入りをきっかけに叶うのだけど、月は期待したような味なんかなく、無味だった。月を舐めたカメレオンは、身体が金色になった。そんな顛末だ。

「……っ、く」

獄寺の瞳は星を映して、その色はまるで世界にひとつしかない、宝玉のようだ。虹色にぬめる粘膜をずっと触れていたくて、獄寺の頭を掻き抱く。

一情報としてボンゴレの予定を眺めていたら、獄寺と草食動物がこの拠点へやってくるスケジュールが見えた。
意図は判らないながら、いつも無駄にぞろぞろ集まるファミリーが、なぜだか二人きりなのが気になった。

この僕を差し置いて、誰かと二人きりで花火なんて、許さないーー。

「……っあ、……あぁ……っ」

柔らかな睫毛が震えて、じわりと涙が分泌される。
すべて舐めとってしまいたくて縁を辿ると、獄寺が耐えきれなくなったように目ばたいて、そのままぎゅっと眼瞼を閉ざした。


◆◆


なんだ……!
何すんだよこいつ……!!

バカみたいにどきどきする。

目玉? 舐められたよな今?!
なんでそんなことしたんだ、こいつ……?!

固く閉じた瞳をこじ開けようと、ヒバリが隙間に舌をねじ込もうとしてくる。

「ふ……っ!」

ふざけんなバカ野郎、と罵倒しかかった瞬間、力を込めて押されていた瞼から圧力がふっと消えた。

今度は睫毛の生え際を温かく乾いた感触が柔らかく撫でていく。
ぞくっ、と脊髄から腰へ震えが走った。

「……っ!」

……くちびる?

「や……」

ヒバリが瞼に、……キスしてんのか……?!

鬼の霍乱を目の当たりにした衝撃というか。
何と言ったらいいのだろう。
マスターベーションの現場か、はたまた愛の告白の瞬間を覗き見てしまったらこんな気分になるだろうか。

ヒバリが……キスとか、すんのか? それも、オレに?

息を呑んだまま少しも動くことができない。
戸惑いと、誰も知らないだろうヒバリの側面を垣間見てしまった、という衝撃が身体を支配する。

まるで羽根が掠めていくみたいに、触れるか触れないかのぎりぎりを、ヒバリのくちびるがゆっくりと往復した。

口を開いてしまったらその後、この至近距離でなにを話したらいいのだろう。

その間が訪れるのが怖くて、制止することが出来ない。
何度も何度も撫でられて、僅かな接触に揺らされる睫毛の付け根から、もどかしいような、微かな感覚が肌を粟立てていく。
髪の毛を撫でられたり梳かれるのにも似た、心地良さに感覚が惑わされる。

「は……っ」

いつの間にか息を詰めていて、呼吸がすっかり浅くなっていた。

稲妻みたいな閃光がちかちかと瞼を射す。
脱力した身体が後頭部を支えるヒバリの手のひらにすっかり凭れきっていて、それでも腕が震えたりしないヒバリの筋力は、相変わらずだなと変な感心をした。

どうしよう。

花火の音が近づいたフィナーレを報せている。
このまま終わってしまったら、ヒバリとどんな風に向き合ったらいいのか解らない。
もはや自分がどうしてここに居るのかとか、EUのテロも10代目のことさえも、果てしなく遠くに感じながら。

うっかり、このまま花火が終わらなければ気楽なのに、と考える。

目を閉じたまま、オレはヒバリのスーツのジャケットの端を握った。


◆終◆

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