1859text-1 きりりく・捧げ物再録集
□PTSD of LOVE
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◆1◆
白蘭とマーレリングの存在が消滅し、表向き、平和を取り戻した世界。
しかし平和とは、本当は一体何のことを指すのだろう。
誰も何も苦労せずに生きていられる世界、何者にも脅かされることの無い、備えも憂いも要らない世界。
そんなくだらない世界、その中で茫洋と群れて生きる者の精神ほど、平和と対義を為すものは無いように思われる。
雲雀はぼんやりと想いを馳せた。
元の時代に戻り、在るべき世界の生活に戻ってしまっただろう獄寺は、いま何を思い、どうしているだろう。
白蘭に踏みにじられる運命にあったどの平行世界――パラレルワールド――に存在している雲雀も経験することが無かった出会いと戦い。
彼に出会ったことで雲雀の思考に生じた歪み、それはこの世を生きている雲雀に限って得てしまったものなのかも知れない。
ときどき降って湧いたように自分を蝕んでいく想いに呆れながら、雲雀は今日も執務を終え、書類を片付けていく。
心はこんなに虚しさを感じているのに、それでも『平和』の名の元に、日々が平然と過ぎ、平和の上を生きていく自分の身体は、どこか精神と乖離しながら手馴れた作業を淡々と片付けていくのだ。
獄寺隼人――未完成で脆弱な身体と精神を、少しでも強く、誰の力も頼らずに成長させようと、空回りしながら育っていく約10年前の彼。
その存在にうっかり並々ならぬ愛着を持ってしまった雲雀は、消されずに残された白蘭との戦いの記憶の副生成物とも言える、過去の獄寺が雲雀の脳に焼き付けていった残像に苛まれていた。
恋をした者にいつか必ず訪れる、別れの苦痛。
雲雀が恋愛感情よりも先に感じることになったそれは、絶縁でも死別でもないもの。
しかし、本来越えることがない時間の壁の向こう、自然の摂理に則る限りは二度と会うことのない彼方へ焦がれた相手が離れていく苦痛は、時が経つにつれて救いのない痛みと慕情にかたちを変えていった。
彼の成長する姿を遠くから見ることすら雲雀自身にはもう叶わない。
10年前の世界を健康に生き延びた彼の運命の先、今の世界に存在する獄寺隼人にその片鱗を見出すことが万が一叶うとしても、それは雲雀が真に望んでいる獄寺ではない。
雲雀が回想し、囚われているその想い、それこそタイムパラドックスそのものだった。
歳月と共に得た経験は、時に人の性格、性質をも変えてしまう。
元々他の人間に比べて、獄寺は雲雀の意識の中に印象を残す、自分と近しい性質を持つ人間だと思っていたのに。
今の世界、24歳の獄寺隼人と言えばボンゴレ10代目の右腕、ファミリーと称して群れる者たちを束ねるボス――沢田綱吉――の隣にかしずく、綱吉のお守りとフォローを生き甲斐とする、まるで中間管理職みたいな男に落ち着いている。
雲雀が築いた風紀財団で例えるなら、ちょうど草壁のポジションが相当するのかも知れない。
中学時代から付き合いの長い草壁を厭うわけではないが、間に存在する関係はあくまで利害関係の一致に過ぎなく、雲雀が別段好んで側近を選んだ結果ではない。
自分に従い、支えようとする存在が居ることに何一つ疑問は持たないが、雲雀自身が誰か、他人を支えたいなどとは未だに微塵も思えない。
理由がどうあれ、この世界の雲雀にも、群れることについて努力を尽くす人間は根本的に理解する気が起きない。
この世界の獄寺を、10年前の獄寺のように特別に想うことは出来ないのだ。
『獄寺隼人』は居るが、雲雀が興味を惹かれてやまない、15歳の獄寺隼人はこの世界のどこにも存在しない。
――逢いたい。
自分を取り巻く大人の全てを敵視し、自身の力だけを頼りに生きてきた孤高の悪童、共に戦う仲間の大切さを知り、大人へと急激な成長を遂げていく瞬間の獄寺隼人に。
その欲求は日々、深く強く、心の底に淀む澱のように、行き場を失くしたまま脳の片隅で静かに膿んでいく。