1859text-1 きりりく・捧げ物再録集
□シュガーベイビー
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◆シュガーベイビー◆
携帯電話を肩に置き、首を傾げて挟みつけながら、モデルみたいな等身の身体が大股に部屋を横切っていく。
肩にタオルを引っかけ、濡れた銀髪はシャワーを浴びた直後みたいだ。よく見ると彼が通った絨毯に水が落ちたような跡もある。
「……ああ、そしたらそいつらはオレ達のシマの中だって事を理解してねえな。誰か挨拶に寄越してやれば手ぇ引くと思うぜ。誰を……ってお前、自分の部下だろ? 適任な奴くらいパパッとなあ……」
空いた手でタオルごと洗い髪を掻き上げ、擦りつけるようにして水分を吸わせながら、獄寺が執務用デスクの椅子へ乱暴に腰を下ろした。
組んだ長い脚の先が苛立たしげに上下していて、羽織ったシャツは胸のボタンがほとんど開いている。
きっと浴室から出てすぐに電話を取ったんだろう。
「名前なんつったかな、こないだ隣町との土地取引の時も居た……そうそう、その背ェ高い方だ。アイツなら交渉事も上手いからいけるだろ。……あ? ああ、なるほどな。……? そんな話は初めて聞いたぜ……? おう。そうか。……おう、ああ…………なんだと?!」
無防備に露出した胸元を横目で睨みながら、しかし切れ切れに聞こえる電話の展開も気に掛かる。
雲雀は視線を外して獄寺の執務室を見回した。
ボンゴレアジトが建造されて以来、元々ワーカーホリック傾向のあった獄寺は、宛てがわれた執務室――この部屋にすっかり寝泊まりするようになってしまった。
一時は机の上や床で寝ていた事がばれて、綱吉が獄寺の執務室にだけ、特別にベッドを支給したのだが。
壁際にある天蓋付きの瀟洒な寝台は、今朝もシルクでカバーリングされた枕の傍にファイルや本が山積みになっている。どうもろくな活用がされていないらしい。
社会の裏側を仕切り、傘下の拠点は世界の主要各国に及ぶ巨大ファミリー、ボンゴレ。
事あるごとに「10代目の右腕」ということばに固執して走り回っていた10年前の中学生は、今やそんなマフィアの幹部、押しも押されぬNo.2の地位に就いている。
決して肩書きに寄り掛からないのも彼の特長で、それはNo.2たる長所でもあり、ときどき短所だった。
例えばそう……たった今とか。
器用貧乏人宝、そんなことばはきっと彼――獄寺隼人のためにあるんじゃないかと、齢25歳を数えた雲雀は思ってしまうのだ。
「……おい、そっちの方がよっぽど重大じゃねーか! なんで今まで報告しなかった!!
ああ、……まあ、そりゃそうだけどよ……待て。それはてめえの独断で動かしていい話じゃねえ。確認してから折り返す。5分後にかけ直すから、すぐ出られるようにしとけ」
獄寺は柳眉を逆立てながら通話を終了し、続け様に連絡先を探して電話をかけている。
「おう、もしもし……急ぎだ、確認してほしい事がある。すぐ動けるか? ……よし、」
何だか長くなりそうだと踏んだ雲雀は、デスクの隅に設置されている内線電話の受話器を取った。
バンケットホールの番号を押して飲み物を頼みかけ、しかし誰かが飲み物を持ってくる時間すら惜しくてやっぱりやめる。
程なく、雲雀の想定よりは手早く用件を処理した獄寺が携帯電話をポケットに仕舞いながら雲雀を振り向いた。
「来るなり待たせたな……、悪ぃ」
「……そんな中間管理職みたいな繋ぎ、部下にやらせたら?」
甘やかすのは本人の為にならない。
獄寺には何度か言った覚えのあることばを繰り返しながら、雲雀は獄寺の目をじっと見つめた。
「どうでもいい小競り合いなら丸投げするけどよ。
自分ちの中でクスリだ殺しだ、後が腐れるような揉め事に半端な奴を首突っ込ませとくのはオレの主義じゃねえ」
跳ね返る強い視線は、同じ事を言わせる無能さではなく、揺るぎない信念に裏打ちされたもの。
……だから、ムカつく。
「オレは上として、担当を最適化してやるだけだ。……ったく、最近は素人も物騒で参るぜ」
ぼやきながら生乾きの髪を投げやりに拭き始める獄寺から、繊維が水分で固く縒れてしまったタオルを奪い取り、湿った髪束に指を差し入れてそっと梳いた。
「僕ならそれでも……最後まで当事者に責任を取らせる。眠ってる人間の意識を目覚めさせるのが窮地だよ」
「てめーの流儀を否定するわけじゃねえ。けどオレは、出来の悪い部下を咬み殺す勢いで制裁とか、見放して使い捨てには出来ねえ」
目を閉じて雲雀の好きにさせながら、迷いのないことばが、かたちの良いくちびるから滑らかに紡がれる。
そう、前も同じ事を主張していた気がする。ムカつく。
獄寺隼人、彼の甘い腕の下に庇われる部下達を、ひとり残らず咬み殺してやりたい。
「オレが内部で買う恨みは、そのまま10代目とボンゴレを危険に曝す火種だ。財団長のてめーとオレじゃ、立ち位置が違いすぎんだよ」
「……そんなの、どうでもいい」
不規則に荒れがちな生活を表したような毛先。
一度つやを失った部分はいくら指先で撫でてみても、傷みを癒せるわけじゃない。
雲雀は毛束を弄んだ指をそのまま、うなじに滑らせた。
「ねえ、僕の貴重な時間が浪費されたのはどうしてくれるの」
「んなもん、一番どうでもいいだろ」
「よくない」
出会った頃から端正だった、イタリアンクォーターの造作。今はもう華麗としか言いようがない、歳を重ねるごとに洗練されていく白皙。
獄寺は「やっぱりマフィアって言ったら黒サングラスだろ!」と茶目っ気たっぷりに言ってのけ、しばしばハイブランドのアイウェアをさらりと身につけて歩いている。
彼の人目を惹きすぎる顔立ちときたら、素顔で街に出るたび、うっかり芸能人みたいな扱いを受けてしまうからだ。
そんな彼に会う為に、やらなければいけない事を全部やっつけた。時間を約束してまで、わざわざここへ……君の顔を見に来たのに。
「ちょっ……」
「じっとして」
指の腹で獄寺の首筋をなぞり、暖めるようにそっと触れていく。
得意ではない力の加減にひっそりと苦労しながら、男にしてはだいぶ小ぶりな頭の付け根、抜けるように白い首すじを揉みほぐしていく。
「……っ、」
「力……抜いて」
「……あ……」
「……なにこの、硬さ」
「……あー……気持ちいい……」
「仕事、し過ぎ……なんじゃないの」
指先に圧力を加えるごと、椅子に掛けた獄寺の背中から、余計な力が抜けていく。ガスが抜けるように長く深い、吐息。
軽くさすってみると背中も相当に凝っていた。
「……ねえ、ちょっと」
雲雀はそのまま獄寺の首根っこを掴み、ベッドに向かって牽引していく。
「あ?」
「やりにくいからそこに寝て」
「……おう」
積まれた資料を脇にどけながら、部屋履き用のサンダルを脱いだ獄寺が横になる。
それを追って磨き込んだ革靴を脱ぎ捨て、ベッドに上がった雲雀はうつ伏せに伸ばした獄寺の身体の上に跨った。まず肩をほぐしにかかる。
「……痛ぇっ」
「こんな肩でよく平然として居られるね」
鎖骨の周辺、左右の肩胛骨の真上を軽く押してから、雲雀は背骨の両脇を押しつつ徐々に移動していく。
ストレスが溜まったり、食生活が荒れていると胸の辺り、胃の裏側が凝ると聞いた気がする。
雲雀はこの10年、そんな場所に違和感を覚えたことなんてさっぱり無い。だけど獄寺の背筋はまさに、それじゃないんだろうか。
「ごはん、ちゃんと食べた?」
「後で食うって……ぐぉっ」
雲雀に指圧されながら、身体の押された部分が軽くなっていくのを感じた。
そろそろ冷え込む季節にシャツ1枚の薄着だったというせいも手伝ってか、獄寺の素肌を雲雀の体温がダイレクトに暖めていく。
他人の――雲雀の手のひらと言うものがこんなにも、ホッとする熱を持っているとは気が付かなかった。
「……いつ覚えたんだ? そんなの」
「たまに草壁にやってもらう」
「へー……」
何だか面白くない。
「僕が揉むのは初めてだね」
「……」
……だろうな。
「あ、その辺」
背筋に沿って腰を揉んでもらうのが特に気持ちいい。
まさかこの歳で腰痛の気配があるとは思いたくない、しかしデスクワークに追い捲られて過ごすうち、あまり動かす機会の減った部分の筋肉は、案外凝り固まっていたらしい。
「くびれてると疲れるの?」
「何ワケわかんねーこと言いやがる、……っあ」
首筋を不意に触れる、指とは違った感触。
「じっとしててよ」
「……」
何事もなかったかのように、再び腰椎近くを指圧される。
だがしばらく揉みほぐされると、軽くなった首をまた甘く噛まれた。
「……っ!」
びくんと身体が波打つ。
「ここだけ、やけに硬い」
「……」
雲雀は神妙な表情で腰の凝りをほぐすことに一生懸命だ。
雲雀にしては、善意の極みに違いない行動。
その接近のついで、間違えたようなタイミングで時々落とされるくちづけはリラクゼーションのひと時を乱している。
だけど与えられる心地良い刺激の中で、それだけを制止するような、都合の良いことばが見つからない。
そもそもがっちりと背中を固定され、獄寺の意志では雲雀を退けようにも困難だった。されるがままの身体は、次第に緊張が解けて円滑に血が巡り、暖かくなってくる。
「ん……っ……」
……何故だ。
「ちょっ……ヒバリ、あ、あんがとよ、もういいぜ」
「まだ終わってないよ」
「……指疲れねぇか? いや、オレもう仕事に戻んねーと」
どうして……触られたわけでもないのに、勃つ?
「僕との約束は?」
「茶飲むくらい、今じゃなくても出来るだろーがっ……!
たまには最近の財団の話も聞きてぇけど、こっちもいろいろ立て込んでんだっ……今度にしろよ」
「やだ」
獄寺が雲雀の身体を強引に跳ね退けようとしても、体勢に不利がありすぎる。全くびくともしない。
うつ伏せた身体の下の変化を知られたくない。
しかし雲雀がそう簡単に承諾するはずもなかった。
「やめろって……!」
「急に……どうしたの」
「いいから、ちょっと放っとけ……!」