それはきっと
□頑張るきっかけ
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遂に一週間が経ってしまった。
もうすっかり、妖怪の中での生活にも、一日中寝て過ごす生活にも慣れてしまった。
あれだけ暇だ暇だと思っていたのが、今は快適だとまで思えるようになっていた。牛頭丸のお陰だと思う。
「おい、起きろ」
「…………ん」
閉じた瞼の裏側の暗闇が、うっすらと明るくなる。部屋が朝日に照らされて眩しい。
まだ夢と現実の狭間にいるような感覚の、まあはっきり言えば寝呆けている私を、牛頭丸は容赦なく拳骨で起こした。
「……仮にも床に伏せてる人に対して酷くない?」
「頭は怪我してねーんだから大丈夫だろ」
そう言う問題かな、とぐちぐち言ってると、「朝飯要らねーんだな」とからかう様な口調で朝食の乗った盆を遠ざける素振りをされた。
初めの3日は、気が付くと部屋の外に無言で食事が置かれていた。
なのにいつの間にか牛頭丸が三食持ってきてくれるようになっている。
この一週間で、大分牛頭丸と打ち解けられた様な気がする。
初めは目も合わせてくれなかったのに、その内食事は持ってきてくれるし本は持ってきてくれるし、その度話をしてくれる回数も増えて。
おかげで感じていた退屈は何処かへ行ってしまった。
進歩した、って思って良いんだよね。
それに、進歩したのはそれだけではなかった。
「庭でも散歩してみたらどうだ」
その日の午後、牛鬼が部屋を訪れて私にそう提案した。
「杖、ですか?」
「大分回復しただろう。リハビリに少し歩くといい」
牛鬼の気遣いだろう。松葉杖とは微妙に形が違うようにも見えるが、恐らく松葉杖であろうそれを持ってきてくれた。
久し振りに自力で立った。
確かに大分足の感覚は戻ってきている。
初めはぎこちなかったけれど、すぐに杖にも慣れた。
一気に行動範囲が広がった気がする。
牛鬼に促されて庭へ出て、一週間ぶりに外を歩いた。
こうしてよく周りを見渡してみると、牛鬼組は思っていたよりも遥かに大きいように感じた。
内側から見るのと外側から見るのではまるで違う。
この屋敷を一周するだけでもかなり大変だろう。
当てもなく、何となく進んで行くと、裏庭のような場所に出た。特に何もない広い空間。
そこに人の気配があった。
「あ、牛頭丸」
「…何だ、お前かよ」
そこにいた牛頭丸は、いつものすましたような態度の時とは違って、偉く息切れしていて疲れているようだった。
その手には竹刀が握られている。
「……修行してた?」
「…まーな」
はあ、と大きな溜め息を吐いて、汗を拭った。相当頑張ってたんだろう、その手は随分赤くなっている。
「あれ、やめるの?」
「休憩すんだよ」
牛頭丸はそう言うと、近くにあった大きめの木の幹にもたれかかった。
何となく私もその隣に座る。木陰は涼しくて気持ちが良い。
「いつも此処で修行してるの?」
「まあ、な」
少しだけ恥ずかしそうに言った。
そこらには、バラバラに切り刻まれた丸太が大量に転がっている。これら全て、牛頭丸の修行の痕跡なんだろう。
「牛鬼様の力になるのに努力は不可欠だからな」
「…凄いね、牛頭丸は」
「……そうか?」
「うん」
木の葉の隙間から、清々しいくらい晴れた青い空が見えた。
私は、今までずっと逃げて来たような気がする。牛頭丸みたいに何かを必死でやった事なんて、あっただろうか。
努力する事がとにかく嫌いで、苦手で。だからいつも流されるまま、何となく勉強して何となく進路も決めて。
それを自分で選んだ癖に、退屈で何の代わり映えもしない毎日にいつも不満ばかり言って。
「…牛頭丸は、牛鬼が本当に好きなんだね」
「な、何だよいきなり…」
「なんか、ちょっと分かった気がする」
「何がだよ」
ずっと考え続けていた、あの時牛頭丸が私に言った言葉の意味。
「私、独りなんだね」
「…………」
本当に大切な人なんか居ない。
全てを投げ捨てられるくらい好きな人なんか居ない。
そして、それに気付かない自分が本当に哀れな事。
「…牛頭丸みたいに頑張ってたら、独りじゃなくなるのかな」
「…生まれてから死ぬまで一生独りの人間なんて居ねーよ」
「そういうもんかな」
「そういうもんだろ」
そよそよと柔らかい風が頬を撫でて、私たちの間を通り抜けていった。
こんなに爽やかな空気、初めて知った。
「ねえ」
「あ?」
「牛頭丸、何か格好いいね」
「はあ?」
何言ってんだこいつ、と言いたげな顔をすると、修行を再開するのか、牛頭丸は竹刀を持って再び立ち上がった。
かと思ったら、振り返って私と目線を合わせると、軽く私の額を指で弾いて言った。
「当然だ、馬鹿」
その笑顔に心臓が、とくん、と音をたてた。