□ホットミルクが嫌なワケ
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疲れてしまった時には、ホットミルクがいいと君はいう。


甘く淡く染み渡った君の体温の後に、雪が積もる。
なんて寒々しい光景なんだろう。
雪は音をも飲み込み、全てを白で埋め尽くす。
時々、似ていると思う。
大空をつかさどった君の、琥珀色の瞳の中。
奥底に眠る『無』を飼いならしたその姿。
まるで雪のようなんだ。
冷たく、全てを捻じ伏せる力。
悲しい一匹の人間。
どんなに天候が彼を染め上げようが、関係ない。
結局のところ、重要なものはその色だ。

虹は、空に滲み渡っている。
空は虹の色で形成されている。

青く澄んだ大空。
夕暮れと共にオレンジから赤へ。
そこへ時折混ざる黄色。
闇を囁く紫。
星を連れてくる藍色。

いつだって、その大空を染め上げるのは他でもない僕達の役目。
それなのに。
それなのに君は、雪のように白いままだ。



「ホットミルクに蜂蜜は入れる派?入れない派?」

「入れない。今日はね。砂糖にしておくよ」

「了解。んじゃ、砂糖は黒糖派?それとも―――…」

「ム。普通の白いやつでいいよ」

「何杯?」

「3杯」



了解、とまた君は呟いてキッチンへと姿を消した。
ふと窓の外、空を眺め見ればそれは灰色。
あまり良くない傾向だ。



「雪、降るって?」

「さぁね」



ジージーと、時折雑音の入るラジオは彼のお気に入りだ。
よく自室で酒を煽るとき、このラジオから聞こえてくる音に身を任せていることを知っている。
ラジオの向こうからは、機械的な男の声。
天気予報はまだ聞こえてこない。
聞こえてくるのは、どこの誰が殺されただとか、何とか州の何処何処でトラックが横転しただとか、なんともどうでもいいことばかり。



「出来たよ。熱いから気をつけてな」

「ム。君じゃないんだから」

「猫舌がよく言うよー!」

「ほっといてほしいね」



手渡された藍色のマグカップ。
これの色違いがキッチンにあと4つもある。
大空を染め上げる虹の断片だ。

ふわりと漂った甘い香りに、眩暈がする。
手の内で、真っ白な液体が小さく波打ち波紋を作った。
ゆっくり口付ければ、香りを閉じ込めた優しい味が舌に広がる。
飲めないほどの熱さはない。
いつもこうやって彼は気を使ってくれる。
僕たちの知らない処で、いつも。

くん、と鼻を動かせば、違和感のある香りが漂ってきた。
ああ、これには覚えがある。



「君はココアなのかい?」

「そう。マーモンもココアが良かった?」



白いマグカップを手にした彼がソファーへと戻ってきた。
ゆっくりと中身をこぼさないように腰をおろす。
穏やかな時間が流れているが、外は相変わらず曇天だし、ラジオの内容もそのままだ。
気でも狂いそうな、不安定さ。
だから僕は彼が少しだけ怖い。



「そうだね。僕もココアを貰おうかな」



真白なミルクより、もっと安定感のあるものを。
今は、白を取り入れる気分ではない。

だから。
だから僕は、カップの中身を彼の私室の床にぶちまけることにした。


パシャ、と間抜けな音が響き渡る。


それでもその部屋の主は驚いた後、困ったように笑うだけ。
可笑しいじゃないか。
どうして、色を撒き散らさないんだ。
白を好んでいるわけでもないのに、それに侵食されている。
彼は、感情の感覚が麻痺しているんだ。
白に、包まれたままそれはきっと眠リ続けてる。



「了解、マーモン」



疲れたときにはホットミルクがいいだなんて、そんな戯言。
今の僕には、何の効果も持たないんだ。
君の白が、こちらにまで足を伸ばしてくるようで。



嗚呼、
安心なんかしていられないじゃないか。

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