東方儚奏仙
□第三章 仙人にとって……〜The sorrowful memorys〜
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「重くないの?」
憂香は、男性の背中でそう問うた。
男性――三国雄一は首を振ると、そんなことないよと笑顔で言った。
――でもなぁ。憂香は首を傾げた。なんだか殺気から、この人の心臓の鼓動が早いのよねぇ。
山登り、という理由もあるかもしれないが、何故彼の心臓が早くなっているのかは、あえて書かない。
それよりも、憂香はこの状況をどう主さんに説明すればよいのか迷った。
まさか、ふもとのあの里の人間だとは言えない。きっと、警戒して殺してしまうだろう。それだけはいけない。
憂香には分かっていた。この人が、生命を軽蔑視するような人ではないと。
何故かと聞かれても迷うが、多分、目が優しいからだろう。
……男性に背負われるのは、何時以来だろう。きっと、憂香は父が死んでから一度も、誰にも背負われたことは無いだろう。
ずっと孤独だった彼女。主が一緒にすまないかと、彼女に近づくまでは、ずっと孤独だったのだ。不思議と、憂香はそれが嫌いではなかったが。
「なぁ、君は一体どういう生活を――」
「スー、スー」
雄一が問いをかけようとするも、彼女は寝ていた。
それもそうだろう。人外であれば山登りなんて屁でもないが、人間にとっては過酷なものだ。大の大人でも、背中に誰かを背負っていれば、負担が大きくなる。故、彼女を背負い始めてからかなり時間が立っていた。
――疲れているのかな? すやすやと寝息を立てる彼女を見て、雄一はそう思った。
不意に、彼の背後で草むらががさがさと音を立てた。
「……」
チャキン。雄一が腰に差していたナイフを取り出す。――ナイフが、青白い気を放っているように見えるのは気のせいだろうか?
刹那。
「バウバウ!」
「ガルゥアァ!」
二匹の狼――子供と親か――が彼に襲い掛かった。
雄一はナイフを逆手に持ち変えると、柄の部分で親狼の腹に打撃をいれ、もう一匹の子狼を片手でキャッチし、親の方に投げた。
「何故殺さない?」
再度、草むらが揺れ、もう一匹狼が現れた。人語をしゃべるということに、雄一は一瞬興味を引かれる。
「何故殺さないと聞いている」
雄一はハッと我に返ると、その問いに答えた。
「自分は生き物を殺せない」
「冗談を言うな。あの里の人間だろう?」
……雄一は、力無く頷く。
「でも自分は……」
「憂香を返せ!」
バウ! 一言ほえると、雄一に噛み付こうとする。
だが。
「っぐ!」
雄一は避けない。狼――主は流石に驚いた。だって、避けないのだから。
「ぐ……君はこの子の……知り合いかい?」
明らかに動揺をしている主に、そう言葉をかける雄一。……そこで主は、本当に自分たちを殺す気がないと分かった。
ゆっくりと口を離す主。雄一の腕からは大量に血が流れ出る。……狼にかまれて、これぐらいで済んだのだから幸いだろう。
「はは、憂香さんは……返しますよ」
もう片方の手に持っていたナイフをしまうと、雄一は憂香を背中からおろした。
「お前さん――」
「家に送り届けてやってください、お願いします……」
雄一はそういい残すと、主と二匹の狼に背を向け、山を下り始めた。
その姿を、主は見えなくなるまで、見つめていた。