ショートストーリーファイル
□36度
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無数の足音が不協和音となって僕に襲い掛かる。
もうどれだけ逃げて来ただろうか。
自慢の脚は悲鳴をあげている。しかしもはや僕にはその声に耳を傾けることは出来ない。
逃げなくては。
足音に混ざり、何か鉄がこすれたような音がする。
引き金を引く音が、妙にはっきりと聞こえた。
僕は誘導されるように、自分の胸に目をやった。
僕の目に入って来たのは、紛れも無い燃えるような赤だった。
もはや痛みを感じることすら出来なかった。
あの嫌な不協和音が遠ざかっていく。
僕を殺して満足したか。
あるいは僕の耳がもう空気を感じることが出来なくなってしまったのか。
しかしその時、僕は確かに黒いコンクリートの大地を踏み締める音が1つ、近づいてくるのを聞いた。
足音は地に伏せる僕の耳元で止まった。
一人の人間が僕を見下ろしている姿を見たが、その偶像はすでにかすれて人影(ひとがた)であることが辛うじて認識出来るほどだった。
(誰…?)
頭の中にその言葉が浮かんで間もなく、僕の目の前を闇が覆った。
その時何か心に暖かいものを、感じた気も、した。