短編集
□白馬のおじさま
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櫁と良子が歩く先の道には人だかりができていたが、すぐにその道は開かれる。
櫁の姿を見て感嘆のため息をもらす者、顔を知る者の中には、恭しく頭を下げる者までいる。
この、狭く閉鎖された場所でも、住む世界や家の資産によって階級は分かれているのだ。
友達の一人も作れぬ櫁にとっては、苦痛以外のなにものでもない場所だった。
「代表の挨拶、頑張ってくださいね」
「もう、緊張するから言わないでよ」
だって、櫁は限りなく一般の生徒と変わらないのだ。
帝王学なんてものを学ぶようにはなったが、五年前まではごくごく一般的な家庭で育ったのだから。
(ああ……胃が痛い)
あることが原因で、友達を作ることも諦めた。
今の自分は、天道家の跡取りでしかないってことも、櫁は重々理解していた。
(おじ様……制服姿の僕を見て、すごい喜んでたな)
新しい環境、新しい学生生活。
変わらないのは、秀次の態度と、汚れた関係だけ。
その行為の意味さえ分からないころから、身体だけは秀次の手で蕩けるように仕込まれてしまっていた。
櫁はきつく瞼を閉じて長い睫毛を震わせる。
逃げたかった。こんな地獄のような生活から。そして、なによりも、顔面に髭を蓄えた熊のような叔父、秀次から――。
五年前、両親が亡くなったことを知り、すぐに駆けつけてくれた秀次。
秀次は迷うことなく、養子として、櫁を受け入れてくれた。
大きな事故で、奇跡的にかすり傷だけで助かって、一人ぼっちになってしまった櫁は孤独から解放されたことに喜んだ。
抱きしめられると、秀次の髭が頬を擦り、くすぐったいと身をよじる。
深い悲しみの中、秀次だけが櫁の味方のような気がした。
例えそれが、天道家の跡取りを欲した結果だとしても、櫁の幼い身体が目当てだったとしても。
『くすぐったいよ。おじちゃま』
最初は、秀次の髭が触れるのは頬だった。
そして、額や鼻、やがて唇へと増えていく。
天道家の屋敷に暮らし始めて一年、唇から侵入してくる分厚い舌、全身を舐められるようになっても、まだそのおかしさには気づかなかった。
それに気づいたのは、まだいた友人たちとの会話の中でか、それとも、保健の授業でだったか。
でも、櫁が秀次を拒むことはなかった。唯一の味方だったから。信頼していたから。
それを、秀次の裏切りだと捉えるようになったのは、あることがきっかけになっていた。
身体の成長も進み、櫁が初めて秀次の手で射精を経験し、局部に産毛が生え揃おうとしたころ――櫁が中学校の友人にそこをからかわれたのが原因だった。
発達が遅い。思春期の冗談は、残酷に櫁を傷つけた。
『おじ様、トイレで友達に毛が薄くて、ココが小さいって、バカにされたの……』
ベッドの中で相談する櫁に、珍しく秀次は不愉快そうな歪んだ表情を浮かべた。
『だったら全部剃ってしまえばいい。大人になる必要なんてないんだよ、櫁……』
『――っ!』
『それに、ベッドの上では“お父様”だろ? 可愛い可愛い櫁……私だけの櫁……』
怯える櫁をよそに、秀次は櫁の控えめな茂みを剃ったのだ。
つるつるになったそこにうっとりとほお擦りして、秀次は満足そうに何度も頷く。
ベッドの上では父親。それは、両親を想って夜になると泣き出す櫁をあやしながら、秀次が約束したことだった。
その約束は、今では櫁の背徳感を増幅させるものでしかない。
『やっ……痛いっ! 髭がチクチクする!』
久しぶりに敏感な場所で感じる秀次の髭は、固くて太く、櫁にとっては凶器だった。
櫁は泣き続けた。けれど、秀次にその声は届かなかった。
(おじ様は、小さい子供が好きなの……? 成長したら、僕のこと嫌いになるの?)
やっと、秀次がくれる優しさの意味を知った。
秀次は櫁を助けてくれたのではない。ただ、小さい少年の身体が欲しかっただけだ。
櫁は涙が止まらなかった。自分はいつか捨てられるかもしれないと、恐怖が襲ってくる。
(でも……跡継ぎがいない今は、僕はここに必要なんだ……))
秀次が結婚して、妻との間に男子を授かるまでは、櫁はここにいれる。
だから我慢することに決めた。
(助けて……お願い、誰か助けて……)
助けを求めるのは、まだ物心がつくかつかないかという頃に一度だけ会った、すごくハンサムで優しい青年。
誰にも、両親にも、もちろん秀次にも話したことのない人物だ。
彼は幼い櫁の手を取って、眩しいほどの笑顔で言った。
『いつか、君を迎えに来るから』
と……。
櫁の前に現れた王子様だった。
一度しか会ってない。夢だったかもしれない。
でも、櫁はいつも彼の姿を思い浮かべ、迎えに来てくれる日を待っていた。