短編集
□花粉症の恋人
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「はい、身分証」
「はい?」
免許証を差し出すと、タカダ君は困ったような顔になった。
正確には見えないんだけど、だんだん雰囲気で分かるようになってきたのだ。
「ほら、あそこ」
俺の指差した先には、未成年者飲酒撲滅キャンペーンのチラシが貼ってあって、その下に「身分証の提出をしていただく場合がございます」と書いてあるのだ。
「未成年には見えませんけど?」
「ひどーい。まだ俺ピチピチよ」
「すみません」
って、本当は困らせたくてわざとやってるんだけどね。
「……26歳。しかも家けっこう遠いですね」
ポツリとタカダ君がつぶやく。
「ハハ、君に会いに来てるって言ったら、危ない奴かな?」
「……いえ、そんなことありません」
本気を冗談に隠して笑うと、タカダ君は今までで一番困ったような顔をしていた。
でも、嫌がられてなさそうに思うのは、俺の勝手な想像かな?
「――合計で、655円になります」
「千円から」
「345円のおつりです」
楽しい時間はこれでおしまい。会計が嫌いになったのは、いつからだったろう。
「ありがとうございました。またお越しくださいませ」
はーい。言われなくてもまた来ます。
せっかくの休みだというのに、雨が降った。
とくに予定が入っていたわけではないが、なんだか憂鬱だ。
(腹へった……コンビニ行くか)
お昼からタカダ君はいないだろうか。
でも、学生が土日に朝から入ることは珍しくない。無意識に足がタカダ君のいるコンビニに向けられる。
彼に会えば、気持ちまで晴れる気がして。
「見てー。あの子、すっごいキレイな顔」
「本当だ、チョー美少年じゃん。いや〜ん、こっち見ないかな」
俺の前を歩いてた女の子の二人組が、突然足を止めた。鬱陶しい雨の中でも、若い子は元気だ。
傘がかさばって、二人を追い越すことができなかったから、俺もつられて、その声の先に視線を向ける。
(まあ……確かにな)
その男の子は、テレビの中にいるような、アイドルみたいな顔をしていた。同性としては、あまりいい気はしない。
女の子はどうして、あんな軟弱そうなのが好きなんだろう。
「やーん、こっち見た」
(……えっ?)
女の子が黄色い声を上げる。だけど正確には、彼は俺を見て会釈をしたのだ。
あんな美少年に知り合いはいないハズ……今年の新入社員の可能性はあるかもしれないが、全員の顔まで把握してない。
美少年に気を取られていた俺は、一瞬反応に遅れた。
「キャーっ!」
甲高い悲鳴と、ブレーキ音。その後に、なにかがぶつかったような鈍い音がした。
慌てて車道を見ると、多分野良だろうと思える猫が、ぐったりと横たわっていた。
「やだ〜、ひき逃げ? キモーイ」
「さっさと行こう」
女の子たちの意見には反感を覚えたが、俺もどうしていいのか分からず立ち尽くす。
「――あっ」
と、そんな俺の前を、傘を投げ捨てた美少年が駆け抜けて行った。
「すみません! ちょっと、停まってください」
そして車道に飛び出すと、車を制して猫を抱えて戻ってきた。
その見た目に反した行動力に愕然とする。俺はなにもできなかった自分を、ただ恥じるしかなかった。
「……大丈夫?」
猫を抱えたまま蹲ってしまった少年に、俺は拾った傘をかざす。
すでに、ずぶ濡れだった。濡れた前髪の隙間から、綺麗な瞳が俺を見上げる。
「キモイって……言う奴の心のほうが気持ち悪いよ」
――ドキッ、澄んだ声と瞳に、胸が高鳴った。
男相手におかしい。最近の俺は、どうかしてるのか。
(って、あれ?)
その澄んだ声には覚えたがあった。