短編集
□Endless world
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人気のなくなった放課後。一人で教室の窓から外を眺めるのが、俺――佐伯慎の日課だった。
なんだかこの孤独感が堪らない。世界を独り占めできるような、そんな気がしていた。
「ねえ、佐伯。私とエッチしない?」
「は?」
そんな俺を邪魔するように、一般的な高校生なら誰でも喜びそうな言葉を吐いたのは、クラスを仕切っている秋山怜治の彼女の千里だった。
馬鹿らしい。正直俺はそんな風に思って、千里を睨みつけた。
「俺は御免だね。他を当たれよ」
面倒なことには巻き込まれたくない。秋山に目をつけられたら、この学校で生きて行けなくなることぐらい、誰もが知ってることだ。
周りや噂に疎いこの俺だって知ってるぐらいなんだから。
「つまんなーい! あんた、それでもナンバーワンなの?」
「知るか」
千里はつまらないと、俺を見下してくる。
俺の通うこの高校ではくだらない投票が毎月行われていた。俺はそれの『抱かれたい男子』の一番になってしまったらしい。
「怜治を抜いたなんてすごいのに、もっと喜んだら?」
千里は秋山がランク落ちしたのを気にも止めてないのか、楽しそうにケラケラ笑っている。
「そんなの……彼女がいるからだろ?」
さっさと帰りたくて、俺は適当に返した。
「そっか、人気ナンバーワンの私が彼女だもんね!」
なにをどう勘違いしたのか、気を良くしたように千里はポーズを取ってはしゃいでいる。
秋山の彼女じゃなければ、自惚れるなと殴り倒してやりたいぐらいだ。
「いいじゃん!ナンバーワン同士、仲良くしようよ」
千里は人の顔色を窺うってことを知らないように、俺の腕を掴むと、そこに自分の胸を擦りつけてきた。
本当に馬鹿らしい。相手にしてるだけで、俺まで馬鹿になりそうだ。
「やめろよ。秋山にチクるぜ?」
「……っ!」
言ってやった途端、千里の顔が青ざめる。
流石に今の地位が秋山のおかげで成り立ってるってことは分かってるみたいだな。
「じゃあ、俺は先に帰るわ」
細い身体を押しのけて言い捨てると、千里の顔は恐怖か怒りで赤くなっていた。
「覚えてなさいよ!」
そんな千里の叫びを背中に浴びながら、俺は教室を後にした。
本当に、なにもかもが馬鹿らしかった。
どうして、人間は完璧な物を手にしてなお、別な物まで欲しがるのだろう。
こんなくだらない世界に、生きてる意味などあるのだろうか……。
答えの出ない疑問を考えてる自分に苛つき、無意識に窓の外を見ると、部活を終えて校舎に入ろうとしている秋山と目が合ったような気がした。
(気のせいか……?)
俺は自嘲げに笑い、秋山から視線を外す。
誰もが憧れる凛々しい顔立ち。外見だけでは、彼の欠点を見つけることはできない。
しかし、気分屋で横暴な性格には関わりたくなく、俺はあえて秋山とは距離を置いていた。
関わりたくない。絶対にあいつとだけは……。
「おはようございます! お疲れ様です!」
バイト先に着いた俺は元気よく先輩や店長に声をかける。
学校では見せない顔だってことは、自覚している。でも、こっちが本来の俺なのだ。
「おはよ」
「待ってたよ、慎君!」
ニコニコと人のいい笑顔を向け、店長が俺のほうに近寄って来た。
まだ三十歳前にして、人としての品格を持ち合わせている、俺が唯一尊敬できる人でもある。
「慎君がいないから、お客さん悲しんでたぞ」
「えっ?」
からかうように俺の脇腹を小突いて、店長は制服を手渡してくれる。
俺がポカンとしてるのを見て、悪戯に目が細められていた。
「さっ、じゃんじゃん運んでくれよ」
「は、はいっ!」
俺がバイトしているここは、昼間は喫茶店で夜にはバーになる、個人経営の小さな店だ。
そこで俺は主にウエイターとして働かせてもらってるのだ。
「この店は、慎君の人気でもってるからね〜」
冗談を言いながら、店長はテキパキと手際よく俺に皿やグラスを渡してくる。
「もう、なに言ってんですか」
「本当なんだけどな」
店長の軽口はいつものことで、俺は笑いながらホールに出た。
ここではちゃんと笑える自分にホッとする。
この世界に自分の居場所のない俺が、初めて見つけた唯一の居場所だった。