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□唇のジレンマ
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「ムカつく野郎いんなら遠慮なく言えや。オレがボコッてやっからよ」

 いい奴だなーと感動してみるが、勘違いで加藤あたりボコられても責任は負えない。

「じゃなくてさ。つきあい出した相手がやきもち焼きってか、束縛? されてるみたいな。女の子と仲良くしちゃダメみたい」

「ああ? やっぱり女絡みかよ。懲りねえっつうか、んなの当然だべ。ってもおめーにはムリか。ぜってー続かねえな」

「だよねー」

 ゲラゲラ笑ってたかと思ったら「おい加藤、なにジロジロ見てんだゴラァ!」と突然いちゃもんをつけ、三尾は加藤を追ってどこかに消えてしまった。
 環のさっきの気遣いは無駄だったらしい。

「ハハ……あーあ」

 なんだかんだ言って、実はあれから周防とは意外にもうまくやってる。
 うまくやってると言っても、周防の部活が終わるのを待って手を繋いで一緒に帰ったり、昼を二人で食べたり、まるで中学生がするおままごとみたいなつきあいをしてるだけだ。
 ここ最近の環の生活はキヨラカすぎて、仙人にでもなってしまいそうだった。

(性欲ないのかね? バスケで発散させてるから平気とか?)

 体格的に抱かれる覚悟はあるのだが、どうにも受け身になるとうまく立ち回れない。
 男同士だろうとキスだけでもしたいのに、あくまで女除けでつきあってるだけだから、周防には必要ないと思われているのだろうか。

(わかんなーい)

 でもそれにしては周防はちゃんと甘やかしてくれるし、優しいのだ。恋人としては申し分ないほど、大切にされている。
 ただ、口数は少ないくせに小言だけは多くて、浮気じゃなくても女の子とベタベタするのもダメだと禁止された。
 甘えたな性格の環には非常に厳しいところだ。

(もうムリ! 人肌恋しいよ〜)

 真面目に誰かとつきあうのも悪くないと、そう思い始めている今日この頃だが、このままでは欲求不満で死んでしまう。
 泣き寝入りをするように、環は癇癪を起こしながら机に突っ伏した。

「椎名起きてる?」

「ん」

 また声をかけられて体勢はそのまま視線だけを向けると、人好きする甘いマスクを持った級長の久世が遠慮がちに顔を覗き込んできた。

「体育祭のことなんだけどさ。前にも話したけど考えてくれたかな?」

「言ったじゃん、パスだって。おれは雑用頑張りまーす」

「でも椎名は足早いし、是非リレーに出てほしいんだけど」

「やだよ。他に運動部の奴とかいるだろ?」

 クラスの中で浮いてるせいか、久世はこうして時々環に構ってくる。
 面倒見がいいせいで、担任からなにか言われてるのかもしれない。同情か哀れまれているだけなら、大丈夫だから余計なお世話なのだと言っておきたい。

「俺もリレーに出るからさ。一緒にやろう?」

「いんちょーしつこい」

 親切を叩き落としてやると、久世のシンパっぽい連中があからさまにヒソヒソと文句を言いながら、不愉快な視線をよこした。

(ダルッ……次の授業ふけよう)

「待って、椎名――」

 今までのやり取りを見ていたのだろう。呼んだ久世ではなく、代わりに杏奈が追いかけてきた。

「タマ大丈夫? あたしも一緒にサボろうか?」

「ん、いい。ありがとねアンちゃん」

「まったくもう……ほんとはリレーに出たいくせに。素直じゃないんだから」

 自分の都合で、一方的に関係を絶った環を責めるわけでもなく、今まで通りに接してくれるのは本当にありがたい。
 いっそここで甘えてしまえば楽だけど、それはいけないことだと環にもわかっていた。



 校内をプラプラしていたら、移動授業らしい三年生のグループが環の前を通り過ぎていく。
 その中には、周防の元カノでもある来栖美佳子の姿もあった。

「ねえねえ、美佳子別れたって本当?」

「うん、言ってなかったっけ?」

「さっき亜紀に聞いた。なんで別れたの? 周防君って一年だけどイケてんじゃん」

 聞き耳を立てるつもりではなかったのだが、どうしてもその名前に過敏に反応してしまう自分がいて、その場から立ち去ることができなかった。

「受験を理由にしたんだけど、正直つまんない男だったのよ。部活も引退したし、ちょうどいい機会だと思って」

「へー。うまくいってると思ってた」

「だって、デートがスポーツ用品店とかありえなくない?」

「確かにそれは引くわ」

 明け透けな会話に、次第に環の顔が強張っていく。そして次の瞬間、環は完全に固まった。

「でもやることヤってたんでしょ?」

 まさかそんなことまでという内容を、躊躇いもなく話せる神経がわからない。明らかにこれはルール違反だ。

「まあね……でも彼、大きすぎて痛くて。出血しちゃったから思わず処女のふりしちゃった。困った顔されたけど」

 周防が美佳子とセックスをしていたという事実は、思っていた以上にショックで、環に重くのしかかってきたが、それよりも悔しくて悔しくて堪らない気持ちになる。

(なんだよそれ……最悪じゃん)

 人の心を弄んでおいて平気な顔をしていられるなんて、美佳子がいくら美人でも環にの目には醜く映る。

「エグいわー。あの体格だからしょうがないじゃん」

「自分の身になって考えてみなさいよ」

「えー?」

 遠ざかっていく不愉快な笑い声が、耳の奥にこびりついた。

(あんなのが清楚って言ったの誰だよ?)

 女ってこれだから怖いと思う。遊んでそうな外見のギャルの友人たちのほうが、ずっと純粋だし可愛げもある。
 周防がこんなのにふられたかと思うと、自分のことでもないのに腹が立ってしょうがなかった。

(んだよ、今は周防はおれのなんだからなー。好き勝手言うなよ)

 そうだ。周防が環を束縛するように、環だって周防を束縛していいはずだ。
 逢いたい――周防の顔を思い浮かべると、恋しくて無性に泣きたい気持ちになる。
 自分が思うよりもずっと、環は周防のことを好きになっていたのだと気づかされた。



 少しでも早く周防の顔が見たくて、いつもなら適当に部活が終わるのを待っているのだが、時間を惜しんだ環は休憩時間を狙って体育館に顔を出した。
 何人かに不思議そうな顔をされたが、環に気づいた周防の表情が綻ぶのを見ると、嫌な気分も一気に吹っ飛んでしまう。

「どうした?」

「べつにー。ただ逢いたかっただけ」

「寂しかったのか?」

「ん」

 休憩に入るとすぐに周防は環の元に駆け寄ってきてくれて、愛しいものを見る眼差しをして頭を撫でられた。
 どうしてこれぐらいのことを、すごく嬉しく感じてしまうのだろう。いっそのこと、人目もはばからずに抱きついてしまいたい気分だ。
 
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