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□失恋の音
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 確信すれば目の前が真っ暗になる。神経が麻痺し、全身に寒気が襲う。

「ほら律、ピーマン残しちゃ駄目よ」

 朗らかな奏の声に、心がささくれ立つようだった。
 奏がなにか悪いことをしたわけじゃない。わかってる。でもどうしても納得したくない自分がいるのだ。

「わかってるよ。もう子供じゃない」

「可愛くないなー」

 実の母親のように、いや、母親以上に、甲斐甲斐しく世話を焼いてくる奏には感謝しているが、劣等感からつい素っ気ない態度をとってしまう。
 なんでもできる姉。誰からも愛される姉。なんでも持っているくせに、なんで、と……。

(姉貴のせいじゃないって、わかってるよ)

 それでも律の大切なものまで奪わないでほしいと、どうしても恨み言を洩らしたくなる。
 たった一人の、大切な親友。唯一律を理解してくれる、なににも替えの利かない存在だった。
 その春季まで奏に奪われる。そうしたら、今度こそ律は生きる意味を見失ってしまうだろう。

(お願いだ……俺の勘違いであってくれ)

 その願いが絶望的であったとしても、律は眠れぬ夜、羊を数える代わりに繰り返し願い続けた。
 




「俺、好きな人できた。一目惚れなんだ」

 ――やはりきたか。
 放課後、春季のピアノの練習に付き合ってほしいと言われた時から、なにか聞かされることは覚悟していた。
 願いは届かなかったのだと、律は絶望感に打ちひしがれる。
 太陽が沈みかけ、窓の外の空にオレンジと紫と水色のコントラストが広がる。
 律は外から視線を室内に戻すと、ひっそりと儚いため息を洩らした。

「本気なの?」

「ああ、うん……」

「その相手に好きな人がいても、それでもまだ好きでいられる? 頑張れる?」

「なんだよ、それ?」

「本気なら、手伝ってあげるよ」

 わけがわからない顔をしている春季に、律は目を逸らさずきっぱりと告げる。

「相手、昨日行ったカフェの店員だろ?」

「な、なんで……!」

「おまえ露骨すぎなんだよ。てかさ、あれ俺の姉貴なんだよね」

「はあっ!?」

 淡々と言ってのける律の言葉を、春季が理解するのにはまだ時間がかかりそうだった。
 春季は遊んでいそうな外見のわりに、実は恋愛に関してはわりと真面目で、意外に硬派なところもある。
 クラスで女の子の話になると必ず、今は音楽が恋人だ、音楽以外には興味がないと言っていた。
 律も同じだった。春季に出会うまで、人を好きになるという感情すら知らなかった。
 正直、今でもよくわからない。両親の愛情をすべて姉の奏に奪われた律にとって、それは生きる過程で培われはしなかった。
 ただ一つだけ言えること――恋と呼べるほど、春季が好きだ。

「今日姉貴家にいるし、紹介するよ。うちに来るだろ?」

「律……」

 なにかをあぐねているように、春季は名前を呼んだきり押し黙る。
 急すぎる展開についていけないのだろう。しかし、律のほうがこのままじっとしているのに耐えられないのだ。

「恋人はいないけど、好きな相手はいるよ。多分だけど」

 それでもいいのか? いいなら、全力で応援してやるよ。
 見つめる力強い眼差しに、戸惑いながらも春季はしっかり頷いていた。
 
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