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□リトルモンスター
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――遡ること、数時間前。盛大に地面に投げ飛ばされた彼は、まだ自室に置かれた鏡の前で自分と睨めっこしていた。
本日晴天。向かうとこ敵なしって気分だ。
「よしっ、高校では問題起こさず頑張るぞー!」
鼻息も荒く、そう意気込むのは――大沢祐。今日、高校の入学式を控えた健康な男子だ。
実家を出て、高校に入学すると同時に一人暮らしも始めた。
不安はあるけど、新しい生活への期待のほうが大きい。
「また、親の呼び出しとかなったら困るしな。うん」
中学を卒業して、五センチも身長が伸びた。もう、絶対にバカになんてさせない。
鏡に映る自分は、ふわふわな猫っ毛が気になるとこだが、どっからどうみても男だと、余計な心配をくれた幼なじみたちに内心舌を出してほくそ笑む。
『男子校は怖いとこよ。祐なんて、すぐ物陰に連れ込まれて変なことされちゃうよ』
『それに、中高一貫校だろ? 持ち上がり組からいじめられる可能性だってある。今からでも遅くないから、俺たちと同じ高校にしなよ』
世話焼きの彼女の言葉には首を傾げたが、心配性の彼が言うのはわからなくもなかった。
でも、もう誰にも迷惑かけず、立派な高校生として自立したいのだ。
一ヶ月にも及ぶ話し合いの末、どうにか祐の情熱が伝わったのか、二人は渋々ながら送り出してくれた。
(あいつらの邪魔もしたくないしな)
そう、祐の幼なじみの二人は恋人同士。疎外されることはなかったが、祐自身が、どうにも気まずくて距離を置いた。
理由はそれだけじゃない。家にも居づらくなった。
女手一つで祐をここまで育ててくれた、母親の子連れ同士の再婚。新しい家族が嫌なわけでも、いじめられてるとかの理由があるわけでもない。
すべてが、小さなきっかけにすぎないのだ。祐が、新しい人生を歩き始めるための。
「ああ、なんか楽しくなって来たぞ。喧嘩はしないけど、ナメられないようにもしなくちゃな」
なんて言ってたが、現状はこのあり様。
大きな学校に戸惑ってうろうろしていたら、邪魔だと背中に蹴りを入れられたのだ。真新しい制服には、くっきり靴底の跡が残された。
そして、怒りに任せて振り返れば、ここは女子校じゃないと女顔を皮肉られた。
結果、入学式……どころか、入学式すら始まっていないのに、盛大な喧嘩をおっぱじめてしまった。
(ぐぅ……)
我慢だ、我慢。言い聞かせようとするけど、全然無理。
祐はすくっと立ち上がり、腹立たしいくらいに長身の男を見上げて睨みつける。
迫力の欠片もない。でも、まっすぐな瞳を向けられた方は、なにか思うところがあったのか意外そうに眉をひそめた。
(こいつ……高校入学組か?)
今更ではあるが、初めて見る面だ。
ちんまいけど、一度見たら忘れられない印象があるから間違いないだろう。まあ……いろんな意味で。
それに、自分にこうして刃向かって来る人間がまだいるとは思っていなかった。
「あれって、高須賀じゃん。あの子、大丈夫かなぁ?」
二年と思われるギャラリーから、そんな声が聞こえる。
中等部ではかなり暴れてたから、それを知ってる持ち上がり組だろうと想像はついた。
今では若さ故の衝動も治まり、おとなしくしているがそのイメージは拭えない。
と言っても、高須賀と呼ばれた彼は、ただやる気がないだけで、真面目とは程遠い場所にいるのだが。
「なんだよ? 人を突き飛ばしておいてシカトかよ!」
ふと現実に戻り、見下ろせばキャンキャン吠える小型犬。
犬というより、リスとかハムスターの小動物に限りなく近いけれど。
「お前こそ人の話を聞いてなかったか、チビ? 勝てもしねえくせに、突っかかってくんな」
「……っ」
ムッキー! 事実だから言い返せないのがつらい。悔しい。無駄にデカいその身長分けろ。と、祐は内心吠える。
改めて男を観察してみれば、かなりの男前。長い前髪から覗く鋭い切れ長の瞳。筋の通った鼻梁に整った眉と薄い唇。
制服の上からでもわかる均整の取れた肢体は、鍛えてるのか、かなり逞しい。それでも細身の長身が熱苦しく見せないのが余計憎い。
「まだ勝負はついてねえだろ! 逃げんのか!」
「アホらし」
「あっ、おい……」
興味が尽きたように、背を向けて先に行ってしまった男を、祐は唖然と見送る。
奴を負かす勝算なんてなかったが、なんだかすかされたようで、後味の悪さだけが残った。
「入学おめでとう。君、高等部からの新入生だよね?」
「は、はいっ!」
その数分後、祐は緊張で固まっていた。
上級生と思われる生徒から胸に花の飾りを着けてもらい、頭を優しく撫でられる。
普段なら憤慨するとこでも、彼の穏やかで落ち着いた雰囲気に思わず見惚れてしまう。
眼鏡をかけてるのも、その知的度をさらにアップさせてるみたいだ。
(オレの理想!)
大人っぽくて余裕があって、こんなふうになりたくて自立を決意したのだと思い出す。
身長もさっきの嫌な奴ほどではないが、標準を軽く越えている。それに身に纏う空気がなんとなく幼なじみに似てて癒されるのだ。
「えっと……先輩は三年生?」
「そうだよ。それに中等部からの持ち上がりだから、わからないことがあったらなんでも聞いてくれ」
「はい!」
この学園生活も悪くないかもしれないと、元々楽観的な性格の祐は、あっさりと鬱な気分を吹っ飛ばしていた。