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□無精髭に一輪の花を
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「――スミ、久しぶり」
「…………」
 バタン。
「ええっ!?」









 大きな手に頭を撫でられると気持ちがよくて、ついうっとりしてしまった記憶がある。
 大好きだと告げると、一瞬だけ困ったような顔をして、俺もだよと言って抱きしめてくれた。
 あれは、初恋だったのだろう。今でもあの腕のぬくもりを思い出すだけで、チリリと胸のずっとずっと奥のほうが痛み、キュンと心臓が縮まるような甘い疼きが全身を侵す。
 それなのに何故、人とは変わり行く生き物なのだろうか――。





(なにこのきちゃないオッサン? マジ無理なんですけどー)
 生理的に受けつけられない。とは、こういうことを言う。
(つか誰だよ? こんな奴知らないし)
 松島菫は不愉快さを隠すこともせずに、目の前で母親と談笑する“オッサン”に一瞥をくれてやった。
 菫と言っても、女の子の名前じゃない。お世辞でも身長に恵まれたとは言えないが、小顔ですんなりと伸びた手足。気の強そうな眼差しは、今時の少年そのもの。逃げも隠れもしない、れっきとした男の子だ。
 趣味で『フラワーショップまつしま』という花屋を営んでいる花好きの母親が名付けたことを考えれば、女だろうが男だろうが関係なく、好きな花から適当につけたのだろうと思っている。
 ともかく、菫は男の子だ。男の子だけれど、実は初恋は同性だったという、かなり痛い過去を持っていたりする。
 その初恋の相手に再会できると知って、顔には出さずとも胸を踊らせたのも事実だ。
 座ってる椅子をわざとギーギー鳴らしながら、菫は不服そうに唇を尖らせる。
(こんなんだったら、コンパの誘い断るんじゃなかった)
 しかしながら、現実なんて残酷だ。いっそ清々しいまでに開き直り、現状を受け入れるしかないのか。
 美人ばっかと評判の某女子大とのコンパを蹴ったから、罰でも当たったのかもしれない。信じられないと、あんぐりと口を開けてた友人の顔が脳裏をよぎる。
(ああ、悪いのは俺だ。自業自得だ。でも、だからって……)
 こんな現実、あまりにもひどすぎる。そこそこやんちゃはしてきたけれど、十八年間清く正しく真面目に生きてきた……はず、なのに。
 それなのにこの仕打ちときたら、麦茶と偽られてめんつゆを飲まされる以上の衝撃だ。
「どうした? ご機嫌ななめみたいだな」
「……っ」
 不意に向けられた眼差しに、全身が拒否反応を起こして強張る。
 危なく椅子から転げ落ちそうになった菫は、間一髪踏みとどまって肝を冷やした。
「菫は憧れのお兄ちゃんに会えて、緊張してるのよね」
 気を利かせた母親が、二人をとりなすように間に割って入ってくるが、いらぬお節介だ。
 どんなに目で合図してみても、今の菫にとってその行為が迷惑でしかないことを、母はわかってくれない。
「そうなのか?」
 んなわけあるか。
「にしても、成長したなぁ……身長以外は」
 うっさい。
「荘司君だって、また一段と男らしくなっちゃってー。変わらずいい男だけど」
「はは、老けただけですって」
 黙れ黙れ黙れ――。
「スミ?」
 変わらないとこがあるとするなら、その長身に見合った大きな手。嘘をつかない、まっすぐな眼差し。それを向けられると、どうしようもなく泣きたくなった。
 こんなに変わってしまったのにずるい。こんな汚いオッサン、大好きだったお兄ちゃんじゃないのに――。



 パシッ――と乾いた音が室内に響き渡り、穏やかだった空気がわずかに張り詰めた。
 いつも呑気で少しばかし天然が入ってる母親でさえ、頬を引き攣らせて菫を見ている。
 払いのけた手の甲が痛い。払いのけられた大きな手は、行き場をなくして宙を漂っている。
「どうやら不機嫌なんじゃなく、俺が嫌われてるみたいだな」
 みたい、じゃなく嫌いなんだ。そう言ってやりたかった。でも唇はただ震えるばかりで、なにも言葉にはできない。
 寂しげに陰る眼差し。どうしてそんなを顔するのだろう。そんな顔、してほしいわけじゃないのに……。
 六年も会わずに平気だったじゃないか。自分だって、そっちだって。今更なんの感情も持ち合わせてないはずだ。
「じゃあ、今日はこの辺で。また顔出します」
「もう、ごめんね。菫ったらこの年で反抗期かしら」
「まだ来てなかったんですか?」
「と言うよりも、ぼやーんとした子だからね。昔から」
「ああ、スミは不思議ちゃんだから」
 苦笑混じりの低い声。自分の話題なのに、そこに入って行こうとは思えない。
 握りしめた手の平に、じわりと汗が滲む。
 ――スミ。
 そう呼ぶのは彼だけだった。彼だけに許した呼び名だった。
 ――スミは菫の花のように、小さくて可憐で可愛いな。
 変わったのは、自分だって同じだ。一方的に責めるほうがおかしい。理不尽極まりないだろう。
 わかっていても、素直にそう思うことはできない。裏切られた。勝手に沸き起こる強い憤り。
 たとえ自分が、名前のように可憐で可愛くなくなっていても。
「スミもまたな。ちゃんとメシ食えよ。そんな細っこくて、体力もたないだろ」
「……よけーなお世話」
「菫!」
 いらない気遣いにプイッと横を向くと、母親の声にかぶるようにクスッと笑い声が聞こえた。
 
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