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□ブラックストロベリー
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閉店まであと三十分。入ろうか。入らないか。
美味しいケーキを出してくれる『Strawberry』という名の喫茶店の前で悩んで五分。入っても寛いでる時間はない。
「ハァ……」
俺は深いため息をついて、憂鬱の原因を思い出していた。
また、振られたのだ。
見た目にはそこそこ自信がある。給料だって、人並み以上には稼いでいるつもりだ。
告白してくるのは、大抵相手から。別れを告げてくるのは、必ず相手から。
(ああ……俺の癒やし)
追い討ちをかけるように、雨が降ってきた。
閉店まで、あと十分。入るか、入らないか。いや、もう入ってる時間はないみたいだ。
バイトだか社員だか、いつも気持ちのいい接客をしてくれる青年が店から出て来て、シャッターを下ろそうとしている。
「あれ?」
雨の中、佇む俺を不審に思ったのか、青年は俺に視線を向けた。
目が合う。常連客だから、気づかれたよな? 恥ずかしい。
「どうぞ、中に入ってください」
「……えっ?」
もう来れなくなるじゃんか。なんて考えていたら、爽やかな笑顔を向けられた。
青年は、シャッターを下ろす手を止める。
「ビチャビチャじゃないですか。風邪、引きますよ」
「あっ……」
凍えそうだった頬が、一瞬で朱を帯びた。
どうしてここは、いつも俺の傷ついた心を癒やしてくれるのだろう。
甘いケーキ。美味しいコーヒー。優しい店員。
「すぐ、あったかいもの出しますから」
誘われるまま、俺は彼の後について行った。そっと、涙を拭い去って。
「ショートケーキは売り切れてしまったので、ガトーショコラでいいですか?」
俺が一番に好きなのがショートケーキ。次がガトーショコラ。よくそこまで覚えていてくれたよな。
俺が来ると、必ずこの青年が接客してくれるんだ。もしかして、俺に好意を持ってる、とか?
「今日はビターな気分じゃないから、ケーキはいいや。代わりに、ココアくれる?」
つか、そんなことよりこれ以上俺に苦い思いをさせないでくれよ。まったく、空気の読めない奴だな。
「じゃあ、たっぷりクリーム乗せてあげますよ。もちろん、ココアにも」
「ふーん。じゃあ、それでお願い」
カウンターの席に着くと、俺は静まり返った店内を見渡した。
いつもは賑わった時間に来るから、少し変な感じだ。
(バイトじゃなかったんだ)
カウンターの中に入って行く彼を見て、俺はそんなことを考えていた。
スマートで無駄のない立ち振る舞いや、穏やかな物腰。見た感じ、同い年か、ちょっと年上くらいだろう。
「どうぞ」
目の前にココアを出されて、俺はハッとする。
寄せられた顔。よく見れば、なかなかの美男子だ。清潔感のある短髪と端正な雰囲気が魅力的に感じる。
(仲良くなりたいなー)
自然とそんな考えが浮かんできた。俺は友達がほとんどいない。女の子と同様に、最初は寄ってくる同性も仲良くなる前に離れて行ってしまうのだ。
「冷めますよ。どうかされたんですか? 悩みくらいなら、僕にも聞けますよ」
暗い表情でうつむいていたら、彼は穏やかな笑みと声を、俺に向けてきた。
「名前、教えてよ。友達になりたい」
悩みを洗いざらい話し終えたあとで、俺は勇気を振り絞って、そう告げる。
彼は一瞬驚いたような顔をすると、すぐに満面の笑みを見せてくれた。
「黒沢伊知。ここのオーナーの息子で、今は見習い中です」
「イチ?」
「イチゴのイチ。ちなみに妹の名前は、桃です」
「へー。安易な名前の付け方だな」
だったら2もいるんだろうかと、くだらないことを思っていたら、どうやら違ったみたいだ。
それより、なんて呼べばいいのかな? 黒沢君? 伊知君……は違うかな?
自分から声をかけたのなんて初めてだから、正直どうしていいのか分からないんだ。
「僕にも、名前教えてもらえますか?」
「ああ、俺は広瀬涼。若く見られるけど、今年で二十五だよ……黒沢君」
「じゃあ、涼さんの方が年上ですね」
こっちは名字で呼んだにも関わらず、いきなり名前で呼ばれて、ドキッとした。
俺の方が年上ってことは、二十三、四なんだろう。べつに敬語じゃなくてもいいような気もするんだけど、親しき仲にも礼儀ありなのかな?
「さっきの続きなんですが、涼さんはどうして周りが離れて行くか分からないんですよね?」
「うん」
「そんなの、簡単なことですよ」
質問する前に話を振られて、俺はおとなしく聞くことにした。
それより、どうして黒沢君には分かったのだろう。それだけ俺を見てたってことなのか?
「それは、涼さんの性格が悪いからですよ」
「はっ?」
「バイトも皆、涼さんの接客するの嫌がるんですよね。だから、僕がいつも代わってあげてたんです」
頭の中が真っ白になって、なにを言われているのか分からなかった。
つまり、俺の性格が悪いってことが、すべての謎を解く手がかりだったのか。
ってー、俺って性格悪かったのか!?