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□Break kiss
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 朝から頭がぼーっとしている。栄養失調か、それとも寝不足か。
 サボろうかとも考えたが、学校に来れば、とりあえず食料にはありつける。後輩からの献上品。
 寝不足は授業中に解消させるしかない。こんな天気のいい日のうたた寝は、最高に気持ちいいだろう。
 青空が澄み渡った五月晴れ。気に入らない世界でも、少しだけ気分がよくなるような気がする。



「ふう――」

 声をかけられて振り向こうとしたが、足元が不安定なことに気づいた。

(はっ……?)

 グラッと身体が揺らいで、栄養失調で目眩に襲われたのかと思った。景色が、反転する。
 差し伸べられた手を掴もうとしたけれど、スローモーションのようにゆっくりと、それは遠くに離れていく。

(しまったっ!)

 自覚した時には既に遅く、階段から足を踏み外した身体は派手に宙を舞っていた。
 下に目をやれば、驚いて見開かれた瞳と目が合う。軟派な感じで、自分の最も嫌いなタイプだ。
 なんて悠長なことを言ってるヒマはない。

「どけろぉぉっ!」

 そいつは、自分が落ちていく先にいる。
 まともにぶつかったりしら、ただじゃ済まされないだろう。

(いや、待てよ……)

 ここで避けられたら、悲惨な目に遭うのは自分だ。

「そこを動くなーっ!」

 今はこの身体が無事ならそれでいい。怪我なんてしてたら、金も稼げなくなる。
 それに、これは自分だけの身体じゃない。必要としてくれる奴らがいるんだ。
 そのために、こいつには犠牲になってもらうしかないと思った。
 それが、最善の策だと疑いもせず――。
 




「――っ!」

 激しい衝撃にきつく目を閉じる。最後に焼きつけられた残像は、大きく広げられた腕だった。
 ゆっくりと目を開けると、そこには、嫌いなタイプではあるが、なかなかの男前のドアップがあった。

「んん……っ!?」

 息ができない。身体はどこも痛みを訴えていないというのに。
 まばたきを何度か繰り返して、何故かしばらく目の前の男前と見つめ合っていた。

「……フッ」

 目の前の瞳がキュッと細められる。鼻息がかかって、笑われたのだとわかった。
 唇がなにかに塞がれているという事実よりも、むしろそっちのほうが気になった。

(こいつ……このオレをバカにしてるのか?)

 怒りに任せて身体を起こそうとするが、腰をがっちり掴まれていて、身動きがとれない。
 唇が剥がれていく感触に、ようやく二つの唇が重なっていた事実に打ちのめされる。

「熱烈ですね」

 耳に入り込んでくる、穏やかな声色。
 ハッと我に返るが、身体が動かない。

「……っ、おまっ、なんなんだよ。離せっ! ぶっ殺すぞ」

「あんたが勝手に空から降ってきて、俺の唇奪ったんでしょうが」

 腕の中で慌てふためく存在を、苦笑を浮かべながらあっさり解放した。
 彼が降って来た時、強い風でも吹いたのかと思った。この腕の中に収めても、それは軽すぎてまだ実感が湧かない。
 男とキスをしてしまった。嘆くべきところなのに、太陽のように明るい頭を見ていたら、可笑しさが込み上げてきた。
 最初っから、彼の存在を知っていたら、もしかしたら違う反応をしていたかもしれない。
 しかし、その前に出逢ってしまった。過ぎた運命は、もう本人たちにですら変えられないのだ。

「てめー、覚えてろよ」

 捨て台詞を残し、太陽は風のように去っていってしまった。
 唖然と背中を見送る。堪えきれず吹き出したところで、隣から怯えたような声が上がった。

「お前……やべーよ。あれ、WINDの小山田風馬先輩じゃねえか!」

 なにをそんなビビってるのか理解できず、首を傾げて小さくなっていく背中を見つめる。
 WIND――風。目を閉じると、さっきの光景が吹き抜けていく。

(ああ、そうか……)

 彼の正体がやっとわかり、納得したように笑みを浮かべる。
 小山田風馬。この一帯の不良を牛耳るチーム、WINDの総長の名前だ。噂には聞いていたが、その姿を見るのは初めてだ。

(面白いことになりそうだな)

 まさか、あんな華奢な体型とは想像もしてなかった。
 透き通るような真っ白な肌。金色の長い前髪から覗く、意志の強そうな大きな瞳。唇を合わせた時にさわさわと頬をくすぐっていたのは、長めの睫だろうか。

「風馬だからWIND? 安易だろう、そりゃあ」

「お前、マジで殺されんぞ」

 友人から物騒なことを言われても、その顔から笑みは消えない。
 それどころか、ますます愉しげな表情を見せている。

「是非とも殺されてみたいね……ベッドの上で」

 小さくつぶやいた意味深な言葉は、幸い誰の耳にも届いていなかった。
 
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