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□彼の背中
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「あっ、佐久間君だー。新学期から綺麗だね」

 春休み中につき合いだした彼女――水沢弥生に腕を引かれて、橘はしかたなさそうに振り返る。
 そこには、立ち去ろうとする皓の姿があった。

「弥生、お前の彼氏は誰だ?」

「はーい。橘健太郎君でーす!」

「わかってるならいい」

 橘は平常心を装って、弥生の額を小突く。
 後ろ姿しか見れなかったけど、それは確かに初恋の相手。
 こっぴどくふられた時の傷は、まだ癒えていない。

「昔は可愛かったのになぁ……」

「へっ?」

 小声でつぶやいたつもりだったのに、弥生には聞こえていたようで、キョトンと不思議そうに首を傾げていた。
 そしてハッとしたように、すぐに笑顔になる。

「そっか、そういえば健太郎、同じ中学だったもんね。佐久間君って、前からあんなクールだったの?」

「うん? いや……人なつっこくて、子犬みたいだったぜ」

 不意をつかれたように橘の脳裏に大好きだった笑顔が蘇ってくる。
 小さくて、可愛くて、抱きしめたい気持ちにさえも躊躇っていた。

「うっそだー」

 嘘じゃない。目の前の弥生のように、よく笑う奴だった。今では、見ることもない表情。
 その笑顔を奪ったのは他でもなく、橘自身だけれど……。
 大好きで、大好きで、言わずになんていられなかった。
 皓から笑顔を奪うなんて、予想だにしてなかったんだ。



「――好きだ」

 けれどそう告げた時、皓の無邪気な笑顔は一瞬で凍りついた。
 後悔しないための告白だったのに、すぐにそれは後悔へと変わった。

「ひどい……っ! ずっとそんなふうに俺を見てたの? 優しかったのも全部嘘?」

 青ざめたその顔には、はっきり「裏切り者」と書かれていた。
 皓の言葉を否定することもできずに、橘は逃げるように立ち去るしかなかった。





「もう、見る陰もねえけどな」

 同じ高校を選んだことをひどく後悔した。
 けれど、傷は癒えなくても、あの日の幻影が橘を苦しめることはない。
 中学卒業と同時に、皓の身長はぐっと伸びたのだ。顔も大人びて、可愛さより綺麗さが際立つようになった。
 きっと、あの頃の皓の写真を見せても、すぐに誰だかわかる人間はいないだろう。

「アハハ、可愛い子役って、大きくなると幻滅しちゃったりするもんね。でも、やっぱり佐久間君は綺麗だよぉ〜」

「……幻滅、ね」

 そうだったら、よかったのに。
 いっそ、見る陰もないくらいに醜くくでもなってくれれば、この胸の傷は癒えたかもしれないのに。
 
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