Rアール
□R(4)
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仕事を理由にケントと別れた僕は、先ほど聞いた言葉を反芻していた。
「愛多ければ憎しみ至る……か」
特定の人から寵愛を受ければ周囲から妬まれ、憎まれ、いずれは身を滅ぼしてしまう。そんな言葉だ。
(ケントはその覚悟をしろって言ったんだ)
だけどその程度の覚悟なら、僕はとっくにできている。
出逢ったその瞬間に、命を賭けていいと思うくらい。
『本気になるなんてバカだよね』
それは違う。まだ本当の恋を知らないから、本気じゃないから言える言葉なのだ。
身分差の違いに、幾度となく涙を飲み込んだ夜も。
この世のすべての女性に嫉妬し、身を焦がした日々も。
背徳感と闘い、誰に責められても構わないと決めた雨の中も。
本気になったら、綺麗事じゃ済まされなくて。欲しくて、奪いたくて、哭き叫んで……。
出逢わなければ、なにも知ることができなかった。こんなにも誰かを一途に想える幸せを。
リューク様と出逢えた喜びを再び噛み締めて、僕は歩き出した。
(今の僕は……不幸なんかじゃない)
あの瞬間、リューク様と出逢う前の自分に比べたら、幸せすぎて申し訳ないくらいだ。
部屋に来るなと言われていたが、僕は自分のピアノじゃないと弾けないため、リューク様のいない時間を狙って練習していた。
「……失礼します」
そっと扉を開け、僕はリューク様の部屋に足を踏み入れた。
(あっ、リューク様の匂い……)
毎日来ていた頃には気づかなかったのに、距離を置いて初めて、この部屋はリューク様で溢れていると気づかされる。
離れていいこともあるのだと、前向きに考えるだけで少しだけ救われた気がした。
「ふぅ〜……」
納得の行くまで練習を繰り返した僕は、そのまま部屋を出ようとしたのだが、寝室が目に入り足を止める。
(駄目だよ……)
そう思うのに、身体は馴れ親しんだように自然と歩みを進めていた。
扉を開けて中に入るとリューク様の気配がより強く感じられる。
「リューク様……」
布団に顔を埋めれば、リューク様に抱き締められている。そんな気分に浸れた。
そして安堵感からか、次第に睡魔が訪れ、そのまま身を沈めた。
わずかな人の気配に、僕は身動ぐ。
「━━前は誰にも渡さない」
その低く穏やかな声に安心して、僕は再び夢の中に舞い戻った。
「あっ……」
心地良い夢の中から目を覚ますと、僕は自室のベッドの上にいた。
(寝惚けて自分で戻って来たのかな?)
しかし僕の身体には、憶えのある匂いが染みついている。
「リューク、様……?」
そして頬には柔らかい唇の感触が、確かに残っていた。
(逢えた……リューク様に逢えたんだ……)
意識がなかったとは言え、僕は数日振りにリューク様と逢えたことが嬉しくて口許を綻ばせる。 せめて一目でも姿を見られたら……。
喪失感がないと言ったら嘘になる。だけど今はこの温もりを心の糧に、頑張ろうと思う。
自分自身のために、そしてなによりも、リューク様のために。
「こっちは僕がやりますので、そちらをお願いします」
一歩日々の生活に戻れば、忙しさに悩む時間さえない。
「後は、よろしくお願いします」
けれど、大分仕事を覚えた新人達のお陰で、少しの余裕はできた。
(よし、今のうち……)
一段落ついた所で、僕は部屋を抜け出し、音楽室に向かった。
「えっと、音叉と……」
実は昨日練習をしている時、微妙に音のずれを感じた。
ピアノの調律をするための器具が必要なのだ。