Present

□それは突然起こり得る
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ふわりと頬を撫でる優しい風。風があたると気持ちが晴れやかになる。すっと色々な感情を持っていくみたいに感じられる。
けど、そんな心地好い風が吹いているにも関わらず、何時もなら晴れていく私の心は全くといっていい程変わらず、悶々としている。
それは今私の手の中にある腕章の所為だったりする…。普通の腕章だったら私だって落とし主に届ける。けど、これは普通の腕章じゃない…百歩譲っても普通じゃない。
だって…!風紀と書かれた赤と黄色の色合いの腕章…。言わずと知れた風紀委員の腕章です…。腕章とすぐ近くに落ちていたピンは針が曲がってしまっている。
恐らく、というか絶対戦闘中に落ちたんだと思われる…だってじゃなきゃこの目の前に広がる光景に説明がつかないのだもの…。
呆然と見ているのは傷だらけの生徒が倒れている姿。それも一人だけではなく、数人。髪色は派手で服装は乱れていて(これは殴られたからかも知れない)彼等は所謂不良という生徒だろう。
だから多分戦闘中にピンが壊れてしまい落ちたのだろう。…どうしよう、これ…風紀委員ならまだ良い。いや、良くはないけど…風紀委員長よりはマシだろう…。
というか本当にヒバリさんだったらどうしよう…!?もし届けず見なかった振りをしていた事がばれたらヤバいだろうし、かといって届けに行って機嫌を損ねたらどうしよう…!?
延々と自分の中で思考が巡り巡って行く。繰り広げられるツッコミに自分でついつい疲れてしまうのはバカでしかない事を自分が一番良く分かっている。
これはもう腹をくぐって届けに行くしかないだろう。結局至った結論はそれだ。もし届けに行かなかったら機嫌を損ねた時とは比べ物にならない位に怒られそうだ。
…否、この場合は咬み殺されると言った方が良いかも知れない。そう思うとまだ機嫌を損ねる方がましなのかもしれないと思ってしまう。そっちの方が軽く済まされそうだし…。
ぎゅっと腕章を握る手に力が籠る。大丈夫、ヒバリさんは校則違反をしていないなら何もしてこないよ…きっと…。自分を落ち着かせる様にそう呟き、風紀委員の使っている、応接室に行こうと踵を返した時だった。

「ねぇ、キミ何してるの」

ビクッと自分でも大袈裟じゃないかと思ってしまう程に肩が跳ねる。この声には聞き覚えがある。というか今一番聞きたくない声だった。ギギ、とゆっくりと振り向くとやはり声の主はヒバリさんだ。
さっと血の気が引いていく。この今目の前にある光景に勘違いをされていないかと不安になると同時に、もしかして下校時刻を過ぎてしまっているのかという不安に支配される。

「これキミがやったの?」

私の目の前に広がる光景を指差しそう言うヒバリさんにブンブンと思い切り首を振る。

「ちちち!違います!わ…私が来た時にはもうこうなっていました…」

ふぅん、と興味無さげに呟いたヒバリさんに少しほっとしてしまう。勘違いされなかったのがそんなに嬉しかったのかと。自分の事ながらにそう思ってしまう。

「ならどうしてキミは此処に居るの」

「それは…その、たまたま通りかかって…」

そう、と倒れている不良の懐を探っているヒバリさんの様子をじっと見る。何をしているのだろうか…?あった、とその言葉と共に取り出されたのは煙草。
…中学生なのに煙草を吸っているの、と思わず軽蔑の視線を不良に向けてしまう。確かに今の時代未成年でお酒や煙草を吸っている人は多いのだろうが、いざ目の当たりにするとやはり信じられない思いが強い。

「で?キミは何時まで此処に居るの」

じろりと向けられた視線にさっきまでもどもっていたのにもっとどもってしまい、言葉にならない声を出してしまう。あぁあ、と同じ言葉が出てしまう。

「はっきり言ってくれないかな。イライラする…」

小さく呟かれたイライラするという声に頭はパニックを通り越してしまい、冷静になる。というより、答えなければという思いが強く、慌て振りはどこかへ飛んでいってしまった。

「あの、これが落ちていて…」

パニックは収まったものの恐怖心が消える訳ではなくて、怖い事に変わりはない。けれど、言わなければ余計怖いめに会うという事が分かっているからこそ言えた。
おずおずと握っていた腕章をヒバリさんに差し出す。針が曲がってしまったピンと赤と黄色の風紀の腕章。それを見た瞬間ヒバリさんの目付きが変わった。
鋭く、獲物を狙う肉食獣みたいに見えるその表情に鳥肌が立ち今にも逃げ出したくなるのをぐっとこらえる。
油断すれば震え出しそうな程に空気が張りつめていて、それをヒバリさん一人が産み出しているのだと理解するとすごいと思うと同時にとてつもない恐怖心が心を締める。
空気に飲まれない様に、だなんて無理な事で。私は自分の震えを堪える事しか出来ない。唇を噛み、その痛みで自我を保つ。

「へぇ…良い度胸だね、腕章を落とすなんて…」

自分に向けられた言葉ではないのに、怖い。逃げ出したい。一刻も早く逃げて、家に帰って安心したい。けれど、足は動かないし、こんなヒバリさんを前に動こうとも思えない。怖い…。
ゆっくりとヒバリさんの手が延びてくる。思わず手を引きそうになるが、ヒバリさんは腕章を手にする為に手を伸ばしているんだ。手なんて引けない。

「少し分からせてやらないと…」

腕章を掴んだヒバリさんの手が私の手に触れる。ドクリと胸が跳ねたのは恐怖心からなのだろうけど…。威圧感のある笑みを浮かべるヒバリさんにも胸が跳ねた気がしてならない。
恐怖心からじゃなくて、もっと別な反対の感情が…。今まで見た事のないヒバリさんの表情。威圧感はあるものの、その表情は言い表せない程に綺麗で…。
そういえば、何時も怖くて顔をちゃんと見た事はなかったけど、ヒバリさんってすごく綺麗な顔つきをしているんだよね…。と思わず見いってしまう。
すっと私の横を通るヒバリさんの表情は何処か楽しげだった。風に靡く肩に掛けた学ラン。その袖に付いている風紀と書かれた腕章。
拾った直後は怖くて仕方なかった。けど、ヒバリさんの見方が変わったという点では腕章を拾って良かったと思える。
トクリ、トクリと早い鼓動は恐怖から来るものなのか、ヒバリさんのあの笑みを見たからなのか、私には区別がつかなくて。もしかしたら両方なのかもしれない…。
ヒバリさんの後ろ姿が見えなくなってもなお、その場を離れられず、視線を向けたままの私は相当重症なのかもしれない。





それは突然起こり得る


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