異世界A

□水底の記憶
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しばらく練習を続けているとだいぶ慣れてきたので、ビート板を放して自力で泳ぐ練習になった。まずはクロールから。腕の動きと息継ぎのタイミングが合わず、思いっきり水を飲んでしまった。立とうとしたが、……足がつかない。咄嗟にコースロープに掴まると檜佐木が、

「大丈夫か?」

と声をかけてきた。

「だ、大、丈夫。」

「あんまり無理すんなよ。」

「煩いっ! 誰のせいで…」

と八つ当たりをしかけた時、檜佐木の後ろに気味の悪い影のようなものが見えたような気がした。思わず、

「ひっ!」

と声を挙げてしまった。

――突然、幼い頃の記憶が蘇った。兄が父に水練の特訓を受けていた時、兄は溺れ死んだ。幼なかった私は一部始終を見ていた。その時、私は「何か」を見たのだ。暗い水底から得体の知れないものが蠢き、その直後、兄は視界から消えた――。

幼なすぎて、兄が何故その日を境にいなくなったのか理解できず、やがて兄の記憶は薄れていった。そしてある時、何故自分がこのような酷しい特訓を受けねばならないのかを父に尋ねた時に、実は私には兄がいたのだが、事故死したことで私が蜂家の次期当主になったからだ、と聞かされた。その頃にはすでに、私には兄がいた記憶は残っていなかった。その時に「兄がいたという事実を初めて知った」と今まで思い込んでいたのだ。

(あれが浦原が言っていた「虚(ホロウ)」というものだったのか……?)

ただ、もう一度、檜佐木のほうを見た時には、その黒い影はいなくなっていた。私の目の錯覚だったのか?
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