旧・拍手御礼駄文
□月見
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月の綺麗な夜だった。
その日は生憎、想い人の砕蜂隊長からは特に連絡もなく、晩飯時にも現れなかったので、俺は縁側に出て、独り酒をちびりちびりと呑んでいた。
澄みわたった夜空に静かに輝く月は、なんとなく彼女を思わせた。
決して華やかではないが、どこか魅きつけられる美しさ。ある時は気まぐれに、雲に隠れたり、また現れたり。
「そんなところがまた、いいんだよなぁ。」
そうひとりごちて、クツクツ笑っていると、不意に首筋にヒヤリとしたものが当たり、声がした。
「何を独りで笑っているのだ? 気色の悪い奴だな。」
あわてて振り向くと、そこには、想い人の姿があった。砕蜂隊長が俺の首筋に当てたのは、酒の瓶だった。大きさからして四合瓶か? しかし、彼女は自分から酒を飲むことは滅多とない。
「……。その酒、どうしたんすか?」
「貰った。というか、くすねてきた。私は酒はあまり飲まぬので、檜佐木にやる。」
「あ…。ありがとうございます。」
しかし、「あまり飲まない」と言った割には、今夜の彼女は結構、飲んでいるようであった。彼女から僅かに酒の匂いがする。頬も、よくみると、ほんのりと桜色をしているのがなんともいえず艶っぽい。
「もしかして、飲んでます?」
「ああ。付き合いでな。立場上、断れぬ時もある。」
「大丈夫ですか? 気分が悪いとか、そういうのは…?」
「それは大丈夫だ。だが、たしかに少し酔っているな。すまぬが、水をくれないか。」
俺は、台所に氷水を取りに行った。
台所から戻ってくると、彼女は縁側で柱に凭れて座り、月を眺めていた。月明かりに照らされた彼女は、やはり美しいと思った。
不意に砕蜂隊長が問うてきた。
「さっきは独りで何を笑っていたのだ?」
「別に、何でもないっすよ。酔っぱらいですから。はい、どうぞ。」
と水を渡し、俺は砕蜂隊長の横に腰を下ろしてまた酒を呑みながら、彼女は俺の渡した水をぐいっと飲み干して、2人でしばらく無言で月を見ていた。すると、彼女がまた問うてきた。
「酒とは…、そんなに旨いものか?」
「ええ、まあ。俺にとっちゃぁね。特にきれいな月に大好きな砕蜂隊長を愛でながら呑む酒は格別です。」
酔った勢いで、つい口が滑った。怒られるかと思ったが意外に、
「……そ、なのか…?」
と上目遣いでじっと見つめてくるばかりか、こちらににじり寄ってくる。
(うっわ、なんかヤベえ。)
月明かりでも分かるくらい顔が赤いように見えるのは、彼女も酔っているからなのか?
(うん。きっと酔っているんだ。そういうことにしておこう。うん。)
自分に言い聞かせていると、
「私の持ってきた酒は呑まぬのか?」
と言う。
「ああ、まだこれ、呑み掛けですし、こっちが無くなったら…」
「今、呑め。」
「へ?」
砕蜂隊長は、自分の持ってきた酒の瓶の蓋を開けると、さっきまで水の入っていたコップにとくとくと注いで、ぐいっと差し出してくる。
「え…、ええっと。いただきます。」
確かに旨い酒だった。純米大吟醸の特撰。冷酒で呑むのに良さそうだ。
「旨いか?」
と問われるので、
「ええ。今、俺が呑んでた酒とは全然、段違いです。」
と答えた。すると今度は、
「そうか。」
と言って俺のコップを取り上げると、くいっと自分も呑んだ。そして、
「ふむ…。たしかに、さっきのどうでもよい宴席で注がれて呑む酒と、こうして檜佐木と呑んでいる酒では、同じ酒でも違うものだな。」
何だか嫌でもちょっと期待してしまうような、意味深発言だった。
理由や発端が何であれ、自分から滅多と酒を呑まない砕蜂隊長が、俺と呑んでくれるというのは、それだけでも嬉しい。
「あの…、まだ呑まれるようなら、コップでは無粋ですし、ちゃんとした酒器を持ってきますよ。」
「ん。もう少し呑む。」
そう言うので、俺は酒器を持ってきて、砕蜂隊長から頂いた酒瓶から酒器に酒を移した。その動作を、彼女はとろんとした目つきで見つめてくる。コップの酒はなくなっていた。
(だから、その上目遣い、止めてくださいっ! 俺の理性がっ!)
という心の叫びを知る由もなく、酒の用意ができると、
「じゃあ、檜佐木にも注がねばな。」
と、俺のぐい呑みに注いでくれる。
(つまり、今の俺は、砕蜂隊長に酌をしてもらってるわけで…。ああ、幸せ…。)
幸せを噛みしめながら、俺は彼女に注いでもらった酒を呑んだ。
「じゃあ、砕蜂隊長にも。」
などと、注しつ注されつしている間に、いつしか夜は更けていき、気がつくと、貰った酒は、ほとんど呑んでしまっていた。俺のほうが沢山呑んだとは思うが、砕蜂隊長は大丈夫だろうか…?
ふと見ると、砕蜂隊長は、柱に凭れかかって、すうすうと寝息を立てていた。
(うわぁぁぁぁっ! また呑ませすぎたぁっ!)
しかし、砕蜂隊長の寝顔は何とも言えず気持ち良さそうで、かえって、邪な気持ちは削がれてしまった。この前、呑ませすぎたあとの「風呂場で全裸で眠っている」などというとんでもない状況に比べれば、どうってことはない。とりあえず布団を敷いて、眠っている彼女を抱きかかえると、
「ん……。檜佐木…」
と声がした。起こしてしまったかと思ったが、それは寝言だった。さすがにこれには参った。再び、俺の中でムクムクと湧き上がる思い。ばっくんばっくんする心臓で、彼女をそっと布団に横たえると、今度は、
「この…、たわけ…。ふ、ふふ…」
(笑ってる? いったい、どんな夢みてんの、この人?)
色々な意味で、ムラムラときてしまったが、彼女の前髪をそっとかきあげると、額に口付けをした。今夜はそれで十分だった。
その後、俺はだいぶ西に傾いた月と穏やかな寝息を立てる砕蜂隊長を眺めながら、残り僅かになった酒を飲み干した。
――翌朝。俺も砕蜂隊長も、頭がガンガンに痛かった。