小話(21〜40)

タイムマシン
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人類はついに、夢のタイムマシンを発明した。

オレはもちろん、あるだけの財をかき集め、権利を買い、順番を待った。

あの日の年と天気は覚えていても、意外と日付はどうだろうと思ったが、初めての衣替えの、移行最終日だと思い出せた。

場所と時間は間違えようがない。

受付にそれらを告げて、呼ばれるのを待った。

「…ただのクラシック・カーに見えるんだが」
「皆さん、そう仰います。これは開発者の趣味ですので」
さぁ、と受付嬢に事務的に勧められ、左ハンドルのポンコツに乗り込む。

「あの壁に向かって全速力で走らせて下さい」
「分かりやすい趣味だが、開発者はイカれてるな」
「皆さん、そう仰います。では行ってらっしゃいませ、葛西様」


気が付くと、オレは薄暗い校舎の踊り場に立っていた。
何だ、校庭にポンコツ外車でご到着、じゃねェのか。

と、いきなり目の前を、一人の少年が横切り、大股で階段を上ろうとした。

ギリギリじゃねェか。

慌ててオレはそいつの腕を掴んだ。

「行くな!」

突然腕を掴まれバランスを崩した少年は、それでも何とか踏みとどまり、もの凄い目で睨んできた。

だが、怯みはしなかった。
彼は、"オレ"なのだから。

「屋上に、行くんじゃねェ」

知らず力が入り、ギリギリと少年の腕を締めたが、彼も引かなかった。

「何だテメェ担任でもねェくせに!」
あぁ、入学して二ヶ月余り、まだほとんどの教師の顔も覚えてねェんだな。
つか、担任は今頃、帰りのホームルーム中だろう。そういう時間なのだから。
担任じゃなくても止めるところだ。

それにしても、幼い自分の目の、何という烈しさだろう。
力こそみなぎっているが、それは底無しに暗い。
自分を燃やす黒い炎で、虫を呼んでいる。決して飛び込んでは来ない虫たちを。

さすがに、そういう自分に敵視されるのはしんどいものがあったが、事は一刻を争う。
今がギリギリの線だ。

「ガキ、こっち来い!」
階段から引きずり降ろす勢いで腕を引く。
「ふざけんな!離せよテメェ!」
引かれていない方の手を、手すりに絡ませて、必死にふりほどこうとするが、所詮、春までは小学生だったガキだ。オレの相手じゃない。

お前は屋上に行かせない。
このままではお前は。
オレは。
坂本に出会ってしまう。

オレと出会いさえしなければ坂本は。

オレと坂本は、あんな悲しい詠別をしなくてすんだ。

だから、行かせない。
会わせない。
この先の日々はいらない。
いらねェんだ。

どこかで坂本が健やかにいる。

その未来が欲しい。
例えその事実が、オレには無関係な、そんな未来でもいい、だから。

だから、オレの体が少しずつ透けてきているのも気にならない。
こんな、開いたまま潰れた目をした子どもが独り、走り続けてどこまで生き延びられるものか。
分かっている、だけど。
オレには。

タイムマシンを使う権利を買えるのは、一生のうち一人一度。

長ったらしい説明書の中でオレが読んだのはそこだけだ。
考え抜いてこの時を選び、見事ビンゴ。

さぁ、この場を離れるんだ。
一層の力を込めて、幼い自分の腕を引く。
ガキには分からないようだが、オレの体はますます透けてゆく。

その時、

上から、ちちっ、と小さな金属音がして、細い光が差してきた。
すっと人の呼吸の気配がして、

「誰か、いんの?」

ひょろひょろの子どもが、屋上の扉を開けて立っていた。

『…坂本!』

見間違えるはずも、なかった。

オレが呆然としている間に、坂本は、不審そうに首を傾げながら、それでも何の怖れも躊躇もなく、階段を降りてきた。

そして、ただならぬ様子のオレ"たち"を見ると息をのみ、力のこもるオレの腕に、自分の薄い手を重ねた。

「コイツ、離して」

坂本はオレをまっすぐに見て、慌てたように言った。

「血が止まってる!」

そこでオレは、すっかり変色して細かく震えるガキの腕に、やっと気付いた。

「離して」

まだ声変わりを迎えていない子どもの声に、操られるようにオレは手の力を抜き、だらりと下げた。

ほっと息をついた坂本は、そのまま手を、ガキのオレの腕に添えた。

「大丈夫か?」

心配そうに覗き込む坂本の目を、オレ"たち"は、信じられないように眺めていた。

と、
『葛西様、葛西様、お時間です』
耳奥に付けられた通信機から、受付兼オペレーターの声が響いた。

『そこからですと…階段を一気に駆け降りて、最後の階段の前の踊り場から飛び降りて下さい』

「カースタントの次は生身でアクションか!?迎えの車を寄越せよ」

『車は開発者の私物でございますので、そちらへは持ち込めないようになっております』

飄々と言ってのける女の声に舌打ちし、オレは、ガキどもに一瞥をくれると走り出した。

右腕に坂本の手の温度が残っている。

はっきりと輪郭を持ち出したオレの体。
あいつらは、じきオレの事を忘れる。
あの腕のアザ、どう辻褄をあわせるのだろう。
結局、変わらない事実だけが残った。

変えられなかった。
変わらない、ただひとつの運命を、見せつけられただけだった。

最後に見遣った時、ガキのオレの目の黒い炎は、光に道を開けていた。
心へ至る道を。
炎は、細くあたたかい光に道を譲ったのだ。

『葛西様、ご希望通りの旅になりましたでしょうか?では、座標を合わせてお待ちしております』

夢のタイムマシン。
夢のタイムマシン。

オレは目標を果たせなかった。
だが、オレの望みは、
オレの本当の願いは。

夢のタイムマシン。
夢の。


ーーータイムマシンーーー



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