小話(101〜110)

空に選ばれなくてもあなたは僕を
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その日の雨が、冬の終わりだった。


―――

「あ、葛西さんたち帰るみてーだぜ」
「マジ?」
窓から外を眺めていた牧山のセリフに、山中と仁が寄ってきた。
サボりに使っていた図書室の外には、少し距離を置いて駐輪場が伸びている。
その端に停めてある一台の自転車に向かって、葛西と坂本が歩いていた。
「なんか天気やべェもんな、雨降る前に帰んのかな」

だが、正道館のツートップは、坂本の自転車に辿り着いた後もだらりとしたまま、帰る気配はなかった。

サドルに後ろ向きに座った葛西は、ペダルをカラカラと逆回しに空転させ、坂本は、葛西と向かい合うように荷台に跨がり、ふたりは時々言葉を交わしながら、ぼんやりと同じ方向を見ている。

そんな彼らの後頭部や横顔を、後輩たちも、これまたぼんやり眺めていた。

と、
『やっべ!あの人たちチューする気だ!!』
三人は無言で目を見開くと、窓に張り付いた。

くちびるをとがらせた坂本の横顔が見え、それに応えるように葛西も同じ仕草をしている。

『いけいけいけーーーっ!!!』

しかし、次の瞬間に彼らが見たのは、穏やかに笑い合う葛西と坂本の姿だった。
ふ、と坂本の左腕が上がり、駐輪場のトタン屋根の一角を指差す。

「あぁ、燕の」
低く呟いた仁の声に、同じ事を考えていた二人も、目だけで同意を示した。

そうだ、あの場所に春、燕が巣をかけていた。
珍しそうに話題に出した後輩に、ほっといてやれ、と言ったのは坂本ではなかったか。
暴走する葛西に率いられていた正道館生たちは、やがて本当に、小さな鳥の事など気にしなくなった。

しばらくして葛西が前田に敗れ、皆の乱闘の傷も薄くなった頃、屋上でサボっていた連中の誰かが、駐輪場の屋根を見て燕の事を思い出した。
もう、巣立っちまったなァ。
その頃、校内に満ちていた照れ臭さや気まずさを反映するように、彼らは柄にも無く少し残念そうに言い合い、らしくない会話の続きを、視線で坂本に投げたのだが。

坂本は困ったように首を傾げ、半分な、と短く答えてから微かに苦笑した。

「そうか、厳しいな」
すぐにそう引き取った葛西の声は、ひどく優しかった。


―――空は自分を選んでくれるのか。
自分が空を飛べる者かも知らないまま、ひなどり達は全てを賭けて鳴いていたのだろう。
今しかないこれしかできないと全身で。


「…あれ、ヒナのモノマネのつもりなんだろな」
「地味に上手いよな、あの人達そーゆーの」
「あーあ、降ってきたぜ」

ふたりの中の、かつてそこにいた小さな生き物の話を包むように。
細く柔らかな雨が、とうとう降り始めた。

静かに降る雨は、それでもトタンの屋根には響くらしい。
葛西と坂本は、何度か互いの声を聞き返す素振りをしていたが、やがて苦笑いすると会話をあきらめた。
そうして、

額に額を。
手に手を。
重ね合わせて雨を聞いている。

『チューより恥ずかしいモン見ちまった…。
大切な人ができたら真似しよう』

すっかりツートップウォッチャーと化していた図書室の三人は、窓が細かい水滴で曇り始めたので、指で放送禁止落書きを描いたりしていたが、飽きて大机に戻り、だらりと雑談を始めた。

雨の隙間に、春が生まれている。
美しい旅鳥たちは、どこを飛んでいるのだろう。


―――空に選ばれなくてもあなたは僕を―――



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