小話(81〜100)

例えば19960325
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「お!葛西、コレだ!」

新年度が始まったばかりの、三年○組の教室。

昼休みに級友が眺めていた写真週刊誌のページに目を留めて、坂本が言った。

坂本と連れ立って屋上に行こうとしていた葛西も、足を止める。

「今のヤツ見せて」
坂本は、机の上に広げられた雑誌を指差しながら、再び葛西に確認した。

「な?こないだ見たの、コレだろ?」

それは青白く尾を引いて燃える、彗星の写真。

「へェ、坂本、見たのか?」
「あぁ、夜に葛西とチャリ飛ばしててさ」

級友と話し始めた坂本を見ながら、葛西は、やれやれとため息をついて腕を組み、背後の壁にもたれ掛かった。

「それが、気付いたら目の前にあったんだぜ」
「んなワケあるかよ、流れ星じゃあるまいし」
「ホントだって、結構、遠くまで走ってて、北斗七星がよく見えるなァっつってたら、急にデカい星が光ってたんだよ」

気付いたの、同時だったもんな?

坂本は、また葛西を振り返る。
あぁ、と葛西は短く答えた。

街から離れ、ゆらゆら進む自転車の上、
ソレに気付いて、ペダルを漕ぐ葛西が思わず左手を背中に回したのと、荷台の坂本が無意識にその手を握ったのは同時だった。

本当は見えていても、意識しなければ、目の前の出来事も、人は気付けない。
この、全く未知の明るすぎる星に、ふたりは同じタイミングで「出会った」のだ。

「マジ、巨大死兆星かと思ってビビったぜ」
可笑しそうに話す坂本の声に、聞くともなく男たちが耳を傾ける。

彼らはこの春、三年生になった。
池袋・正道館の最高学年。

「コレ、名前とかついてんの?」
「あるみたいだぜ、えーっと、ひゃく…た、け」
「百武彗星?何か強そうだなァ。確かにスゲェ!!って感じだったからなァ」

そう言ってから、坂本は、ふと首を傾げた。

「アレ何だっけ、ガキの頃盛り上がった…アレ、アレ彗星?」
「ハレー彗星だろバカ。彗星であることに疑問を挟むな」

葛西が仏頂面で突っ込んだ。

「それだ!…って何だよ葛西。さっきからスカしてんじゃねーよ!
お前だってスゲェスゲェっつって、自転車倒しそうになってたろ!」

坂本は、くちびるを尖らせて葛西をゲシゲシ蹴った。
葛西は苦笑いして、されるがままにしている。

「あ」、と。
休み明けの男たちは目の前の光景に、そうだ、このふたりは親友であったと、今更のように思い至る。

葛西を中心に、自分たちの仕上げの一年がいよいよ始まる、彼らの頭はその事で一杯だった。

そんな時期に坂本は。


「ハレー彗星なんか、探しても探しても、全っ然!見えなかったもんな」

コレはホント凄かったんだぜ!
デカくてよ、キラッて感じじゃなくて、ジューッ!て。
白く燃える音が、聞こえそうだった。
北斗を指して。

な、な、と坂本は、いちいち葛西に確認する。


あぁ、コイツは、特別な星を葛西さんと見たことが、嬉しくて嬉しくてたまらないんだ。

ガキみたいにはしゃいでいる。

それがどんなに美しく燃える天体だったのか、今、坂本の目に、頬に浮かぶ輝きが伝えている。


「…坂本、オレァ、腹が減ってんだがな」
やはり苦笑しながら葛西が言った。

「あ、悪ィ!」
坂本は級友に、サンキューな、と言うと、ふたりは教室を出て屋上に向かって行った。


教室内では、やれやれ、と男たちが息を吐く。

「ったく、坂本もしょーがねェなァ、星ひとつで」
「葛西さん、相変わらずアイツにァ、甘いよな」

「まァ、構わねェさ、四天王最強には何の影響もねェよ」
「四天王?何だよそれ」
「オレ、なんか聞いたことあるぜ」
「何だよ、オレにも聞かせろよ」

空気が変わってゆく。

くすぶりながら行き場を求める炎たちが、ひとつひとつ集まってゆく。

やがて巨大に育った凶星は、軌道を失い、さ迷い流れようとしていた。


―――例えば19960325―――



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