小話(81〜100)

約束の日
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「突撃!お前の晩ごはん!」

限りなくピンポイントな鬼塚の訪問に、坂本は玄関でヘコーとなった。

冬の日曜日。
独り暮しの坂本のアパートには、照明が明るく灯っている。

「今年の冬はどうも寒くていけねェ」

鬼塚は肩をすくめながら、ずかずかと部屋に上がり込み、無人の居間を見ると、
「何だ、飯まだなのか」
しめた!とばかりに部屋の主を振り返る。

「そーだよ」
「葛西は?」
鬼塚は一応、念のために訊いてみた。

「そろそろ来る」
「チッ」
鬼塚の舌打ちに、堪えきれず坂本が吹き出した。

「どうせなら、面倒は先に済ませてェんだよ」
「起こさなきゃいい!!」

呆れたように、それでも坂本が流しに向かったので、鬼塚はこたつに入る。

やがて坂本は、肉や野菜を適当に入れた温そうめんを作って鬼塚に出し、自分もこたつに入った。

「取り敢えず、それ食ってろ」
「いいねェ!冬にも、そ〜め〜ん、アリ?」

麺をすすり込みながら鬼塚は首を傾げた。

コレってもしかして。

―――

前回。
やはりふらりと鬼塚はこの部屋にやって来た。
その時は、当たり前のように居間にいた葛西と、ひと悶着やらかしてから居座った。

テレビの、冬には温そうめん〜的なCMを見て、食いてェ食いてェ坂本コレ食いてェ、と騒ぐ鬼塚。
何様だテメェふざけんな、と激怒する葛西。
そして坂本は、黙ってキッチンバサミでアルミホイルを切り始めた。

「ちょきちょきちょき坂本!ハサミのキレ味良くして何する気!?」
「刻み海苔作りか!?そうだよね!?それなら今すぐ!直ちに!既製品を買ってきます!!」

切る斬るkillの恐怖に、葛西と鬼塚は戦闘態勢を解除した。

その後で、坂本は、
「今日はそうめんねェから、次、考えといてやるよ」
やれやれだぜ〜、と言ったのだ。

―――

「あ」
と、記憶を掘り返して、間抜けな声を上げた鬼塚を、坂本は訝しげに見た。

鬼塚は、次から次へ立ち上る麺の湯気を、軽く手で払うようにしてから、自分の顔を指差した。

それだけで坂本には通じたらしい。
鬼塚の間抜けなジェスチャーにニヤリと笑うと、

「一応、約束だからな」

と言った。


―――約束。

坂本が当たり前の様に使った言葉の響きは、鬼塚の心の底に沈んでいた何かを揺らした。

「今日」の「オレ」が気付けただけで、多分ずっと、こんな事はたくさんあったのだ。

交わした片方が忘れても、『約束』というものは、有効なのだろうか。

『そうだよ』と。

例えそれが、どんなにバカみたいでも、くだらなくても。
坂本の答えは明快である。


それにしたって、と鬼塚は思う。
どうせならコイツとは、もっと上等な約束を交わしたいモンだぜ!
…上等な約束ってのが、どーゆーモンかは知らねェが。

まァ間違っても、コイツと葛西がしているようなヤツじゃねェな。
水族館行くとか肉買うとか水族館行くとか、アレ?水族館二度言った?とにかくコイツらバカだからな。

そんなんではなく、例えば、

例えば坂本が、坂本自身に誓ったような。


鬼塚も半殺しの目に遭わされた、あの葛西の暴走の日々の、多分、そのもうずっと前から変わらなかった何か、

闘いであり、行動であり、祈りのような、

葛西から逸らさなかった目や離さなかった手や注ぐのをやめなかった心も、

あれは、坂本が自分と交わした約束ではなかったか。

坂本を見ていてそれに気付かないほど、鬼塚は荒れた人間ではなかった。

それがどうして、ふたりとなると、水族館!肉!水族館!になるのかは理解できないのだが。


そろそろ葛西はここへ来ると言う。

苦しみを乗り越え、自信と信頼を手にした男が、
ぼんやりとテレビを見ている親友のいる、この明るい部屋へ。

鬼塚は、かすかになってきた湯気と、その向こうの坂本の横顔とを見ていると、
生まれてから今まで、自分の中に沈めてきた悔いや過ちが、揺り起こされて湯気とのぼり、淡い雲になっていくような気がした。

ふん。
雲の鬼塚か、いいじゃねェの。


雲からは慈雨が降る。
お前が優しさに変えたこの雨を、お前に渡してもいいか?


坂本、と鬼塚は呼んだ。

「お前、良かったな」

穏やかに言ってやると、坂本は軽く目を見張り、少しだけ鬼塚の方に顔を向けた。

鬼塚から見えている、坂本の左目だけに、涙がみるみるまるく満ち、それは一回の瞬きで切り取られると、球を結んで坂本の頬を転がり落ちた。

「あぁ」
と、明るく静かな返事をして、坂本は頷いた。

あぁ、と声に出して返事をしているのに、わざわざ、こくり、と頷いた仕草が、こどもの祈りのようで、鬼塚は思わず喉で笑った。

「お前、葛西には言うなよ」

ひと粒だけの涙が落ちた辺りの、こたつ布団を揉みながら、坂本がくちびるを尖らせて言う。

「もちろん」

と、鬼塚は請け負った。

「約束する」


―――約束の日―――



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