小話(81〜100)

海と夜汽車
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ひゅ、と小さく息の音がして、坂本の目が一瞬見開かれたのを、葛西は見逃さなかった。

今日で三回目になる。
ふたりで水族館に来るのは。

その中の青い回廊。

通路の壁に、ライトアップされた小さな水槽が、埋め込まれて並んでいるコーナー。
この回廊の入り口で、坂本は三回とも同じ反応をした。
だから葛西は、何となく訊いたのだ。

「お前、ここ好きなの?」
「あ、うん?や、好きってか…」
坂本はびっくりして葛西を見詰め、それから目を伏せて、はにかんだような顔をした。

ガキみてェなツラだな、と中二の葛西は思い、
「何だ?」
遠慮なく促した。

「電車の窓みてェでキレイだろ」

海草のように花のように揺れるタツノオトシゴに目を遣りながら、坂本は答えた。

「へェ?電車」
「夜、走ってるやつ。河原とかにいるとさ、窓が光って見える」

ふゥん…乗ってンじゃなくて見てンのか、と葛西は頭を巡らせた。

淡く光る海中を走る電車の、灯りを落とした車内…そういう、ロマンチックな発想ではなく、
並んだ窓から光をこぼして走る列車を、夜闇の中で見ていると言う。

コイツはそんなもの、いつ見ているのだろう。
最近も見たのだろうか。
オレの知らないうちに。

坂本が美しいと言う光景が、葛西には哀しく思え、その事が葛西の胸を疼かせた。

「今度、オレにも見せろよ」

思わずそう言った葛西の口調は、知らず拗ねたようになっている。

「次は、いつ見ンだよ」
「…決まってねーよ。それに今時期、夜寒ィし」

坂本は空調の利いた館内で肩をすくめた。
それから、葛西の目を見返して、

「オレ、本当は見に行きたくねェの」

苦笑して首を少し傾けた。

何だそれ意味が分からねェ、と葛西が不満を口にしようとした、その時だった。

葛西を見る坂本の目に、ふっと光が走った。

それは、回廊の照明が変わったのかと葛西に思わせる程の強い光だったが、そんなイベントの告知はない。
目を逸らす事の出来ない葛西の前で、一瞬の光に撫でられた坂本の目は、もう穏やかに凪いでいる。

「葛西、見るよか乗らねェ?」

それなら寒くねーし、そう言って坂本が、ぱっ、と笑った。

あ、オレ今、何か知らんがコイツを救ったな、と葛西は気付いた。

坂本が、そう思っているという事を、全く隠そうともせずに葛西を見ているからだ。

自分の存在が、坂本を救った。
あの明るい光を、坂本の目の中に降らせた。

そう考えると、葛西は幸せで目眩がした。
慌てて体を揺らしてごまかし、取り敢えず「いいぜ」と素早く返事をする。

坂本が、そう思っているなら今はもういい、それだけで胸がいっぱいだ。
自分の納得なんかどうでも。

これからまた少しずつ、オレたちは互いを理解してゆく、その中に、今日の事もいつか表れるだろう。

回廊の終わりで、ふたりは、どちらともなく顔を見合わせて笑った。


―――

夜の河原へ、坂本は、何を探しに行っていたのだろう。
帰らない大人達だろうか。

一瞬で目の前を通り過ぎる、光の切り取り線の中に。

誰かは、誰かは、と。
何度も。
何度も。

探しに行っていたのだろうか。

それを坂本は、あの三回目の回廊で吹っ切った。

葛西を、あんな寒いところに連れて行けない。

ただそう思った時に、坂本は吹っ切って笑ったのだ。

その事に、葛西が思い至った時には、ふたりは制服もとっくに変わり、さんざん夜を遊び倒していた。

クソ寒い河原で雪を眺めることもしたし、ケンカもたくさん買った。
張り切ってホットしるこ缶も買ったが、いつも最後まで上手く飲めた試しが無い。


「葛西!漕げ!漕げ!!オレたちなら勝てる!!」

そして今、群青の夜に坂本が叫ぶ。

「マジでか!!」

荷台に坂本を乗せた自転車を、葛西は全力で漕ぎ始めた。

「てか、坂本お前何だよ!?最前線で闘ってんのオレだけじゃねーか!!」
「いや、ものすごい絶妙なバランサーとして活躍してるからオレ!来た!葛西!!」

河原沿いの土手道を、轟音と光が進んでくる。

「坂本!早く旅費貯めろよバカー!!」

健闘空しく、明るい窓の列にあっさり並ばれた葛西がヤケクソで叫び、その背中に坂本が笑う。

鈍色に光る道を、たくさんの温度を抱いて揺らしながら、夜汽車が一直線に走り抜けていった。


―――海と夜汽車―――



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